第十三話 兄弟 その3
入ってきたのは、「草」だった。
そうか。考えて見れば、そうだよな。
暗殺と言えば「草」。
なんで気づかなかったんだろう。
「……説明してくださいますね?」
フィリアと千早も、気づいたようだ。
ハッとした伯だったが、平静な声で命を下した。
「全て話せ。遠慮も、謝罪もいらぬ。」
「はっ。伯の命に従い、ヤン様の行状を探っておりました。その内容については、以前報告した通りですので、ここでは差し控えます。」
断りを入れて、「草」が語りだす。
「……私は、ウッドメルの旧臣です。粛清があった時、表向きは死んだこととされましたが、ギュンメル伯に仕えて参りました。『良いから見ておれ。気に食わねば、わしを刺しても構わん。ウッドメルのため、三兄弟のためと思って、仕えてくれ。』と、そう言われて。その後の7年間、『草』として過ごしました。伯はウッドメル領を復興してくださり、ご兄弟の教育にも遺漏なく、私のような人間でも未来に希望を持ちました。やがてはウッドメル家の再興も成るであろう。そう、信じておりました。」
なぜ、彼の経歴を語る必要があるのか。
その疑問は、すぐに解消された。
「ヤン様の行状については、『草』として、あらましは存じておりました。しかし、伯の命で詳細に調べを重ねていくと、あまりに情けなく……。この方がウッドメル家を継ぐことになったら、どうなってしまうのか。これまでのウッドメル旧臣たちの苦労と、夢見ていた未来が崩れ落ちる様が見えて、暗澹とした気分になりました。」
動機。
ウッドメルへの希望と、ヤンへの失望。
彼の経歴は、その動機につながるものだったのだ。
「この時点で、私は『草』失格です。感情に振り回されるようでは、この仕事は勤まりません。」
「草」の声が、うつろに響く。
「報告書をお読みになっている伯の顔色も、それはひどいものでした。正直、『暗殺せよ』という言葉をいただくものと思っておりました。いえ、それを期待していたのかもしれません。しかし、伯のお言葉はそうではなかった。顔面蒼白のまま、椅子を掴み締めて立ち上がり、『監督を強化する。まずは取り巻きの排除か。』そう、おっしゃったのです。即座に人を呼び、取り巻きの排除を命令されました。」
「草」が、面を伏せた。
「そして……伯は続けて……『済まんな。』と。」
声が震えだす。
「私は顔が上げられませんでした。自分が恥ずかしくて……。暗殺は、安易な手段です。ギュンメルとウッドメルの安定のためには、それが一番効率的です。しかし、伯はそれを選ばれなかった。伯は、誰よりも先代のウッドメル伯爵閣下を重んじてくださっている。誰よりも、ご兄弟のことを思ってくださっている。苦労が続く選択であっても、迷わずそちらを選ばれた。それなのに、旧臣のこの私が、かりにも先代のお子に対して、殺意を抱くなど……。もう私は、ウッドメルの者と名乗ることはできない。いや、草となった時点で、ギュンメルの者だったのかもしれない。それがウッドメルの旧臣のつもりでいて、しかも思ってはならぬことを……。」
「わしはあの時、『つらい調査をさせてしまって済まんな』という意味で言ったのだが……。そうか、お前は、『済まんな、暗殺は選べんのだ』と捉えていたのか。そこに齟齬があったか。」
ギュンメル伯も苦しげにつぶやいた。
「伯は、引き続きヤン様の監視を、私にお命じになりました。どのような気持ちで臨めば良いのか、そう思いながらヤン様の部屋に伺いましたところ……。」
「もう、いいでござるよ。ヤン殿の様子を見て発作的に、でござろう?」
千早が助け舟を出した。
「はい、その通りです。計画的な暗殺であれば、もっと上手に、確実に自然死に見せられるように準備できたのですが、発作的な行動だったもので……。かえって伯に疑いの目が向かうことになってしまい……。」
「わしも、まさかお前とは思わなかった。あんなヘマな偽装をする男ではないからなあ。報告を受けて命令を与えて部屋に向かうまでの間に、何者かがやっていたのであろうと。様子がおかしかったのは、自分の不手際として責任を感じているからだと思っていた。」
伯が補足した。それだけ「草」を信頼していたのだろう。
「言おうと思ったのですが、私が犯人だということになれば、これはもう『伯による暗殺だ』ということになってしまいます。この罪は、私が背負うべきものと決心したのですが……。こうして、明らかになった以上は、いかなる刑にも服します。」
「草」は土下座し、自ら後ろに手を回した。
佩剣の柄に伸びたケイネスの手を、千早が素早く掴む。
「ギュンメル伯爵がヤン殿暗殺の命を下し、ウッドメル爵子がそれを糾弾した、ということになってしまうのでござるよ?」
「くうぁああおおっ」
貴公子の、声にならない叫び声が、防音機能の高い部屋の調度に、吸い込まれていった。
どれほど出来が悪くても、この世に残された血族、たった三人の兄弟。そのひとりの仇を目前にして、何も出来ないという、狂おしいほどのもどかしさに、ケイネスが苦しんでいる。
温和な少年でも、こうなるのか。
「場所を変えるべきでしょうか。誰の目にもつかないところに。」
「草」が言う。自分のことなのに、驚くほど冷静だ。ケイネスとの格差がひどい。覚悟が決まっているのか、壊れているのか。
この空気をどう収めれば良いのだ。
そう思っていると、空気を読むのがうまいフィリアが、何故かさらに空気をかき乱し始めた。
「この人を私刑に処する意味がありますか?」
みなが一斉にフィリアを振り向いた。
「彼の言う通りです。ケイネス兄の評価が文弱として定着し、ヤンがウッドメルの後継者となっていれば、将来は悲惨なものとなっていたでしょう。ケイネス兄が後継者となった場合でも、ヤンを担ぐ不穏分子が現れるはずです。ヤンは、いないほうが良かったのです。彼の行動は、ギュンメルとウッドメルの未来にとって、また民の平穏のためにも、最善のもの。ウッドメル伯からの負託に応えるためにも、実は最高の手段だったのではありませんか?」
そう言って、ケイネスに向き直る。
「ケイネス兄、ご自分に力がないことを嘆いていましたね。ここで彼を許せば、ひとりの死兵が手に入るのですよ?それも非常に有能な。」
どこまで本気で言っているのかは分からないが、毒のある発言に、ケイネスの気勢がみるみる削がれていくのが、目に見えて分かった。
空気をかき乱していくようで、落ち着かせる。
えげつない発言が、ひとの心の救いになるなんて。そんなこともあるのか。
本当にフィリアにはかなわない。
「と言って、人をひとり殺した者を無罪放免というわけにもいきますまい?」
ケイネスは言う。「弟の仇」という感情をできる限り押さえつけ、為政者の卵として判断する。貴族とは時に、悲しいものなのだと知る。
「だがこの男は、評価されるべき功績について、何一つ栄誉を受けずにここまできた。」
伯が発言する。あえて反論を述べて、視野を広げ、選択肢を増やしているのだろう。だが、この男・「草」への感情が無かったとは言えまい。この男もまた、伯やケイネスと共に、ウッドメル・ギュンメルを支えてきたのだ。
「余生を全てウッドメル再興に捧げさせることもできますよ。」
伯の意を受けての、再びのフィリアの発言。
「それはあまりにも酷でござろう。旧主のお子を殺めてしまったのでござるよ。この者の心は、引き裂かれ虐げられ続けてきたのでござる。」
千早の言。世故に長けている、と言ってはいけないのだろう。彼女は、人を見ている。「ひとというもの」を見つめている。
「だからこそ、です。仕事に専念させるという心の救いもあるのでは?」
フィリアが反論する。彼女もまた、政治マシーンなどではなかった。
「草」の「救済」を思っていたのだ。偽悪的、と言うべきか。日本でも、中学生や高校生の年代ならば、自然なことだよね。
「追放、はどうでしょう。」
ふと、俺の口をついた言葉。
それが妥当かどうかなど、分からない。倫理や道徳、法律や政治の狭間に立たされたのは、俺にとってこれが初めてだったのだから。
ただ、口をついて出てきた。
みながこちらを向く。
「なるほど。」
ギュンメル伯が口を開いた。
「この者が人を殺めたことは、間違いない。だが、そこに至るまでには、過酷な過程があった。主に、わしの責任だな。この男の罪を問うならば、この男の功績も評価しなければ不当だが、それは今までなされていなかった。仕事を与えるというやり方もあるが、それはすでに酷だという考えも分かる。それならば、追放、か。保護も無く、束縛も無く。功と罪とを相殺されて。この男が握っている情報の中には、漏れて痛いものなどほとんどない。いや、漏らすことなど、あり得ぬわ。それで行くか。それで良いか?」
みなが、うなずいた。
「あれから7年。いろいろと、変わるべき時に来ているのかもしれない。この男も、我らも、解放されなければならないのかもしれない。……道士ヒロ、良いことを言ってくれた。感謝する。」
ギュンメル伯が、俺に向かって、頭を下げた。率直な人だ。
「大団円、ですわね。ほんとうに良うございましたわ。」
初めて、ブリトニー嬢が口を開いた。全てはこのひとがきっかけだったのだ。
中心になる。流れを決める。貴族としての働きを果たしたのは、このひとだったのかも知れない。
ただ、いちおう。彼にも聞いておかねばなるまい。当事者なのだ。
「ヤン、それでいいか?」
「良いも悪いも……。この流れで反対できるかよ!旧臣、か。身内にやられたんなら……、ウッドメルのためと言われちゃあ、文句言えねえじゃん。ケイネスの兄貴とセイミも安全みたいだし、俺がここにいる意味もねえな。千早にぶん殴られる前に天に帰るよ。」
クズであっても、ただひたすらに思うのは、兄弟のこと。いや、家のこと。
それほどに、家の再興は重いのか。
「ウッドメルの者」にとっての、7年間の過酷さを知った。
ウッドメル大会戦の、傷の大きさを知った。
「ケイネスに伝えてくれ。ウッドメルを、セイミを、頼むと。それだけだ。」
迷惑をかけて悪かったな。
最後になってようやく、詫びらしいことを言いながら、ヤンは天に帰って行った。