第百六十二話 巨城レイ・グアン その2
「えぐい。」
城壁から眼下を見下ろした刹那、それが俺の口を突いて出たひと言。
王国の「中東」地域から見て、レイ・グアンに対する攻め口は、2つある。
先ほど紹介した、地形になぞらえるならば。
南西から、「きのこ○山」のクラッカーと左の円とが形作る狭い道を通って北東に向かう。
折り返すように、右の円とクラッカーの間を通って南東へ進軍すれば、レイ・グアンの北門が見えてくる。
山岳に囲まれた、細い回廊地帯を200km以上行軍するルートである。
当然、数多くの砦が歓迎の轟音を響かせる。
もうひとつは、「きの○の山」のクラッカーを、南西から北東へと直接に横断するルート。
その距離70kmの「山越え」である。
そして山を下った先に見えるのが。
いま俺達が立っている、レイ・グアンの西門であるが。
これが、えぐい。
城門は、急坂を下って「すぐ」のところにあるわけではない。
敵がまず出会うのは、緩やかな下り勾配のついた、少し開けた土地。
どれほど整然と行軍しても、大軍を率いてあれば、坂を下る勢いがつかざるを得ない。
平地に出て渋滞し、後ろから押される。
その「平地」も、実は下り坂になっているわけで。予想外に、城壁に引き寄せられる。
そこに、まずは空堀。横一線に、深く広く。
空堀の手前で踏みとどまったとしても、目標たるべき西門は、そこにない。
坂を下って後、回廊のような平地を、北へ向かう必要がある。
胸壁から矢弾が驟雨のごとく降り注ぐ中、軍の横腹を晒しつつ。
回廊を抜け、右折したところに西門がある。
が、西門前の広場は狭い。大軍を集結して圧力をかけられる構造には、なっていない。
西門を抜けたとして、第二門が、また南にある。
まさに函谷関と軌を一にする、互い違いの構造。
どの世界にあっても、およそ人間の考えることは、似たようなものになるらしい。
他に細かいところを挙げ出すと、キリが無い。
大小さまざま、ともかく意地が悪い。
名将とは、嫌がらせ上手の別名だとは聞くけれど。
アレックス様も、大概だ。
「レイ・グアンから見ても、西に向かうには2つの道があるということになる。アスラーン殿下には、北から大回りする道を通っていただいた。」
そのほうが、安全だから。
いや、南の山越えが危険だと決まっているわけではない。
「未知」なのである。
南に突き出している、山がちの半島。利用価値も無ければ人口も少ないため、ずっと放置されてきた。
地域の実情が、良く分かっていない。
アスラーン殿下がいったん船を下りたのも、「半島回り航路を取って、もし何かのトラブルで途中寄港するようなことがあった場合、住民の気心を計りかねる」という理由があったから。
そして陸路を取るにしても、隣接地域が未調査では、少々心もとない。
だから安全が確保されている北ルートを通ったというわけ。
「ヒロ。君たち一行には、南を通ってもらうのであったな。」
未踏破地域とは言わないまでも。
不確定要素の多い、山越えルート。
そちらを選ぶ理由が、全く無いわけでもない。
我ら若手貴族、積める実績は積んでおきたいのである。
「ルートを調査し、後に街道とするための先鞭をつける」という行動は、「体を張って王国に貢献する」ものであるからして。
これは名誉・実績としてカウントされる。
地球でも、昔の探検家はみなさん「ナントカ卿」であった。
理屈としては、同じこと。
今回は特に、イーサンやレイナといった、「大戦の現場に出なかった」文官系が参加している。
文官系の若手にとって、「現場仕事」の実績は……。
実は、官界においては、あまり意味を持たないけれど。
仲間内で、「『軟弱者』呼ばわりをためらわせる」効果を持つ。
嫌味を応酬する際に、攻め手をひとつ潰しておくことができるのだ。
たかがそれだけのために、王国貴族は山越えをする。
意地と面子の貴族道。
その南ルート。西に聳える山を見上げて、アレックス様がつぶやいた。
「落ちぬ城など無い。が、たやすくは抜かれぬつもりであった。……しかしいま、前提から覆されかねない事態にある。」
は?
いや、無理でしょう。
俺が見せた間抜け面に、アレックス様が彫像のような目を向ける。
寒気がした。
「空……ですか。」
口に出しても、アレックス様は俺から目を離そうとしない。
放射される重圧。殺気に近い。
右手を朝倉の柄に伸ばしかけた。
伸ばさずにはいられなかった、が。
「退く勇。突き進むのではなく、あえて留まる勇。……師の教えを、忘れたか。」
当の朝倉が発した言葉に、思いとどまる。
乾ききった口を、どうにか開く。
「2頭のグリフォンで運べる人数は、一度に4人。巨城を落とすには足りません。大隊の編成も、不可能です。知能優れ誇り高き霊獣グリフォンは、飼い慣らせない。」
揺ぎ無き視線。
注がれ続ける。
それを言わせるのですか、アレックス様。
私の側から、忘れることなどありえない。
信じては、もらえないのですか。
「この3年、ご恩を受けました。この身は王国貴族に列せられましたが、その地位も事実上はメル家からいただいたもの。」
郎党だの寄騎だの、そういう言葉は使えない。
俺はカレワラ家の当主、独立した王国貴族。メル家の下風に立っているわけではないから。
「ありがとう、ヒロ。」
俺が選んだ言葉に、アリエルは感謝を述べていたけれど。
ここまで口にしたからには。
もうひと言を、付け加えなくてはいけない。
それを、アレックス様は求めている。
「……メル家に寇なすことなど、あり得ません。」
「それでは足りぬ、ヒロ殿。」
モリー老の声が、重く響く。
「寇なさぬ」証を立てよと。
朝倉を一寸引き抜く。
金打した。
凍てつくような視線が、やっとほどけた。
いつ以来だろう。ずいぶんと久しぶりだ。
ここまで哀しみに満ちた表情に出会ったのは。
「五番勝負で剣を交わした。人柄を知り、別れを告げた。その後なお、君に釘を刺す。もはや私は、武人の心を欠片も残さず捨て去ったのかも知れぬ。」
「それが、貴族の責任ですか。個人の心情など、何の意味も持たなくなる。」
「君も、その道を行く。同じ荷を背負って。」
西の山から、俺から、視線を切り。
北の道をみはるかすアレックス様。
その背中は、出会った頃よりも、少し逞しさを増していて。
「私達の道も、別れたのであろうか。職責を背負い、地位が上がり、家が大きくなれば。他家への友誼など、二の次にならざるを得ない。それを知っていながら、私は君に釘を刺した。」
感傷に浸る間は、長くは与えられなかった。
背後から、叱咤の励声が飛んで来る。
男の弱気を叩き直すのは、いつだって女だ。
「お義兄さま。ヒロさんはメル家の客では無く、私の客人です。こちらでヒロさんを必要としているのですから、勝手にケンカを売らないでいただけますか?」
逞しさを加えてなお優美な背中が、振り返る。
ようやく、笑顔を取り戻していた。
「色気の無い話だな。」
「私も王都で、『背負う』立場になります。利用できるものは、利用しなければ。お義兄さまが釘を刺す必要があるぐらいには、人材なのですから。」
ありがとう、フィリア。
まだしばらく、お願いします。
「ヒロさん?」
はい?
その……感謝の言葉を述べることを、許してはいただけない?
そのような御気色で、あらせられますね。
「私がいることを忘れていましたね?お義兄さまの重圧、いえ存在は、そこまで大きいですか?」
「失礼いたしました。……フィリア様には、何を誓えばよろしいでしょうか?」
頭を下げたのが、いけなかった。
視線を切ってしまっては。
杖を脇腹に食らったのも、いつ以来であったか。
準備を終え、極東に別れを告げた日。
坂の上から振り返る。
攻撃を防ぎ止めるために建設された巨城レイ・グアン。
西から見るその表情は、どこまでも厳格であった。
城頭に立ち俺達を見送る、王国の若き将軍と同じように。
しかしそこはかとなく、親愛の情を感じられるような気もしたのは。
俺の甘さによるものではないと、信じたかった。




