第百六十二話 巨城レイ・グアン その1
三十男に四十男、中華料理屋のおやじにバクチ打ちのじいさん。
どこまでも華の無かったリゾート地を後にした俺の目に飛び込んできたのは。
これまた、マッチョでマッシブな建造物。
街ではなく、都市であった。いや、都市だろうと思った。
城壁……となる予定の土塁に囲まれた、南北12km・東西8kmの、その地域。
「唐の長安と、ほぼ同じ規模。ただ……。」
「ただ?」
「これ、都じゃないんでしょ?」
ハルクの指摘どおり。
土塁で囲まれたこの地は、都市ではなくて防御施設である。
多くの兵士を抱え込む予定ゆえ、都市機能も付与されてはいるけれど。
ハルクに倣い、中国に喩えるならば。
この建造物は、「長安」ではなく「函谷関」や「潼関」である。
「函谷関」の後背に、厚みを持たせたような防御施設。
それが、巨城レイ・グアン。
レイ・グアンを論ずるためには、その立地の前提となる、地理から概観する必要がある。
どういえば良かろう。
左右に2つ並んで、接している円を想像してみてほしい。
そこに、下に向けて「きのこ○山」を添えるように描く。
クラッカー部分を、2つの円が作る隙間にはめ込むようにして。
この「2つの円」と「き○この山」。
そのすべてが、カンヌ西部の州境地帯を形成する山岳である。
「きの○の山」のチョコレート部分(を、増量した「た○のこの里」に付け替えたかたち)が、半島として海に突き出している。これも大部分が山岳だ。
「右の円の下・『○のこの山』のクラッカー部分の右」に、スペースができるかと思われる。
それが、カンヌ州南西部の平原。
だいたい正方形に近い形をしては、いないだろうか。
実はこの正方形も、その右側は丘陵によって少し削られている。
結果、縦長の長方形が残る。
その南側2/3が、城壁に囲まれているという次第。
せっかくの巨城だ。
我ながらもう少しカッコ良く表現できないものかとも思うけれど。
ともかく、そうした地理的条件のもとに、レイ・グアンは立地している。
もうそろそろ城門に到着かという時分。
軍事アレルギーのレイナが、いつものようにケチをつけた。
「それにしても、武骨よねえ。ミーディエのフォート・ロッサに比べると、あまりにも。」
そしていつものように、フィリアが流す。
「まだ建設中ですから。土塁も、城壁に変わります。」
その城門で出迎えてくれたのは、見慣れた顔。
「やはり今度は、こちらでしたか。」
「みんなに言われるのよね。『やっぱり』って。」
青写真と線引きの専門家、エリザ・ベッカー氏であった。
ここまでずっと押し黙っていたイーサン。
耐え切れなくなったように、食って掛かる。
「こんな大きなものを作って、どうするんです?主敵を西と見ているんですか!」
「政治判断は、私のレベルを超えています。とにかく案内するわね。」
スパッと言い捨て、前に立つエリザ。
これまではもう少し、弱腰なところもあったんだけど。今や性根が座っている。
大戦を経験して、彼女も少し変わった。
陪臣エリザの切り口上に、イーサンの侍衛・アロンが怒りに目を剥き。
そして騎兵連中は、目を丸くしている。
まあね、エリザの後ろ姿は……その、形が良いから。
歩むことしばし。仮庁舎のような建物に入るや。
充血しかかっていた騎兵連中の目から、一気に血の気が引いて行った。
「君達を見送ろうと出てきた……と言っても、信じてもらえなさそうな剣幕だな。」
まさかの、アレクサンドル・ド・メル閣下であった。
背を翻し、気軽に案内に立つ。
と、言う事は。
ここから先に進める者は、限られる。
フィリア・千早、レイナ、イーサンとトモエ、俺、そしてラティファまで。
「君達には、理解しておいてもらう必要がある。」
アレックス様が新都からここまで出向いて、直接に?
それほどの大事か?
「イーサン。この城が何を守るものか、この城の意味は何か。考えを述べてみたまえ。」
「叛意ありと思われても、仕方ありますまい。」
「叛旗を翻すならば、防衛よりも攻勢であろう?築城に資源を浪費すべきでは無い。」
「王都に攻め上がるばかりが、叛乱ではないでしょう?」
手応えある回答に、アレックス様が嬉しそうに片頬を上げ。
「近づいてきたな。」
俺に目を据え、選手交替を告げた。
イーサンの言わんとしていることは、分かる。
つまるところ。
「割拠、ですか……。」
「王国を割るつもりなのか?」と、そういう話だ。
「大胆に過ぎるな、ヒロ。この城は何を守るものか、そこから考えてみることだ。」
ミューラーの荒神山で、フィリア・千早と交わした会話。
今や郎党どころか、若手貴族を試す試金石にされている。
「この規模ですと、極東全体を守るという意思表示かと。」
割拠ではなく、モンロー主義。
どうやら、正解に近づいたようだ。
アレックス様の目が緩み、その先を促す。
「極東の北の要は、湖城イース。南の要が、この巨城レイ・グアンと言うことになりますね。」
千早が助け舟を出してくれた。
「ティーヌの流れと海が堀になるでござるな。」
「北方三領は……友好勢力に守らせる、『緩衝地帯』。長城と山脈を城壁にした、言わば二の丸となりますか。」
再び千早が、合いの手を入れる。
「寄騎が守るファンゾ島も、二の丸にござるな。郎党衆を配置した、ダグダも。」
「すると、サクティ・メル、新都、カンヌが、本丸ということに。」
「正解だ、ヒロ、千早。」
褒められた喜びよりも、自分の視野の小ささに、腹が立った。
この3年と少しの間で、俺は極東に属する全ての領邦と州に、足を踏み入れていたのに。
ひとつひとつを、バラバラの領邦として眺めていただけ。
「極東は、メルのもの」という言葉。それをただのお題目だと思っていた。
だけどメル家は……この極東全てを、実際にひとつの視野に収め、統合することを考えていた。
「極東全体が、メルの城……。王都に手を突っ込ませる気は無い。その意思表示ですね。」
いや、それだけじゃない。モンロー主義の本質は。
「『極東も王都に手を出すつもりはない、煩わされるつもりはない』、ですか。」
俺の言葉に、アレックス様が最高の笑顔を浮かべ。
同時にイーサンが、震え出した。
秀才イーサンには、当然見えていたはずのこと。
見えていても、口に出したくなかったこと。
「お待ちください。」
しわがれた、第一声。
自分が打ちひしがれていたという事実に顔をしかめ、姿勢を正すイーサン。
次の言葉は、威厳に満ちていた。
「メルもまた公爵家、王国の貴族!王室を支える貴族の義務を放棄されると言うのですか!?」
アレックス様も、また貴族。
イーサンの心に応えるべく、容儀を正した。
「王室への貢献は、これまで通り本領を通じて行う。新領である極東は、ただ極東のためにのみ存する。『開かれた本領、閉じられた極東』。これが今後のドクトリンであることを、宣言する。」
……分かるだろう?
一転、穏やかに呼びかけるアレックス様。
「王室やトワ系を安心させるためでもある。極東で蓄えた勢力を王都の政局に持ち込まれたくはあるまい?」
「寄りかかるなと、おっしゃいますか。これまで以上に貢献することは無いと。」
思案に沈むイーサン。下を向く。
フィリアが、そっと質問を……いや助け舟を、滑り込ませた。
「お義兄さま。エドワードさんは何と?極東が王都に干渉すると疑われるだけでも、トワ系を始めとした法衣貴族は、キュビを引き込むでしょう。キュビとて、介入せずにはいられません。それが政治力学でしょう?明確に伝えておく必要があります。」
「大丈夫だ。エドワードだがな。『これ以上王都に勢力を割くつもりは、ありません。俺達は西で忙しいんだ。本家には、メルの意図をしっかり伝えておきます』と。……ついでに、『しかし、これだけのものを作っておいて、キュビの俺にも見せるときたか。余裕ですね。腹が立って仕方無い』だそうだ。」
首を垂れていたイーサンが、不意に顔を起こす。
縋らんばかりの口調になっていた。
「そうだ、エドワード君が来たなら……アスラーン殿下は、何と?先行されたアスラーン殿下も、この巨城に立ち寄られたはず。」
「アスラーン殿下には、ご理解いただいた。『分かっている。王都のもろもろは、私が解決すべき問題だ。義父・メル公爵を岳父と呼ばせるつもりはない。』とのお言葉を賜っている。」
主筋・アスラーン殿下の力強い言葉を受け、イーサンの頬に血の気が戻る。
アレックス様からは、さらに励ましの言葉。
「気に病むな、イーサン。大戦に勝利し、極東は安定した。本領と王都の勢力を、東に割く必要が無くなったのだ。王都へのテコ入れは可能だ。」
「ウマイヤ家が中東に入れば、地域の治安状況も改善されるでしょう。王都の地力は高まるはずです。」
「姉シーリーンにだけ、伝えておきます。難しい話はさておき、私の仕事は、新領の安定ということで良いのですか?」
「そういうことだ。各人、為すべき仕事をしてくれれば良い。」
ラティファに声をかけたアレックス様、潮時と判断したか。
爽やかな笑顔と共に、立ち上がった。
「せっかく来たのだ。我らメル家自慢の巨城レイ・グアンを見て行ってくれ!」




