第百六十一話 リゾート地 長浜 その3 (R15)
「遅いな。」
「逃げたんでしょうよ。あのジジイはいつもそうだ。弱いくせにバクチがやめられなくて。倍にして返すなんて言ってたけど、溶かしたに違いありません。分かったでしょ?軍人さんが付き合っていい手合いじゃないんですよ。」
店主の声に応ずるかのように、扉の前に人影が立った。
差し込む陽光が、驚くほど眩しい。
「言ってくれるじゃねえか。飯がマズイなら、せめて愛想ぐらい振りまいたらどうだい?」
「お帰り。どうだった?」
「言っただろ兄さん、勝てるって。バカづきだよ、大金貨になった。それで、約束なんだけどさ、その……。」
「約束って何だ、じいさん?」
「おい、兄さん。」
「大銀貨一枚だぞ?バクチの話だ。意地になって果たすほどの約束じゃないだろ?」
「見損なってもらっちゃあ困るねえ。」
「そんなガラかよ。」
「『きれいどころ』じゃないんだ。この年寄りに大銀貨くれるヤツなんているかよ。嬉しかったなあ。兄さんにいい思いをさせてやろうと思ってさ。」
「頑張っちまったか。……すまん。」
「よせよ兄さん。そりゃあこのおじいちゃんも、文句を言ってやろうかと思ったさ。『てめえが大銀貨なんかくれるからこのザマだ』って。でもさ、『お帰り』って言われちまったら。……そのひと言、何十年ぶりに聞いただろ?『いらっしゃい』からの『出てけこの野郎』ばかりだったからなあ。」
ここはリゾート、歓楽街。
金があるうちは「いらっしゃい」。
金が無くなれば「出てけこの野郎」。
挨拶してもらえるなら、マシだ。
賭場でバカ勝ちしては、生きて出られるわけがない。
ほどほどにして、ご祝儀とか何とか言って、皆に配れば良かったのに。
俺にいい思いさせてやろうって、意地張ったせいで。
「生まれ変わるんなら、兄さんの子分になりたいもんだね。」
「おう、なれなれ。ちょうど年寄りが欲しかったんだ。」
「最期まで嬉しい事言ってくれるね。ありがとよ、兄さん。……それじゃ、お別れだ。」
朝と同じように、俺に背を向けた老人の霊。
店外の光に、溶けていった。
「アカイウスを呼んでくれ、ピーター。」
軋みを立てて、開いた扉の向こう。
通りを照らす光は、完全に遮られていて。
人影から、聞きなれた声が響いてきた。
「その必要はありません、ご主君。」
「賭場ならば、午前中に突き止めてござる。」
見ていたか、ヒューム。
おちおち、ひとり遊びもできやしない。
「頼りがいのあるベテランにも、お出でいただきました。」
まだ根に持つか、アカイウス。
大概ねちこい男だな、お前も。
「自慢にはなりませんが、こうした事ならばせがれクラースが役立つかと思い、連れてまいりました。」
助かります、ファン・デールゼンさん。
「さて、みなの意見が聞きたい。遠慮せず、頼む。」
「賭博は、絶対悪です。」
日ごろ控えめを心掛けているピーターが、真っ先に口火を切った。
「マスターもご存知のはず。カレワラ家でもご法度だと定めておいでではありませんか。今回の件、悪ふざけが過ぎたかと。」
「ご立派だとは思うけどさ。」
前置きしたクラースが、苦笑を見せている。
「節度を守って遊ぶなら、悪いとは思わないぜ俺は。男爵サマにだって息抜きは必要だろ?ストレス溜めておかしな方向に爆発されたら、目も当てられない。上流貴族は、影響力が大きいんだから。」
そのクラースに苦労させられたファン・デールゼン氏。
息子そっくりの表情を浮かべていた。
「せがれの若い頃に比べれば、上品なものです。大銀貨一枚のことでしょう?」
「息抜きは構いません。しかしこのような振る舞い、あなたのガラではないのです、ご主君。」
アカイウスには不要だったな。
「遠慮するな」なんてひと言。
「アレクサンドル様……は、顔が良すぎるから比較の対象になりませんか。そうですね、例えばジグムント・クビッツァさん、エドワード様、ここにいるクラース君。そうした皆さんならば、お似合いです。何も申しません。しかしご主君、あなたのガラではない。決定的に、圧倒的に、似合っていません。」
辛辣ですこと。
「寄騎」の立場にあるヒュームからは、少し違って見えるようだ。
「と、申せ。技芸の幅を広げるためには、似合わずとも挑戦せねばならぬことも事実。ニンジャはそうして、変装術を覚えるのでござるよ。」
「ヒューム君。ご主君はニンジャでは無い。」
「下々の生活を直に知るため、こうした振る舞いをすることにも意味はある。アカイウス殿は似合わぬと言われたが、現に騙しおおせたではござらぬか。筋が良いでござるよ。」
「……問題はそこではないんだ、ヒューム君。」
「付き合いも4年目となれば、先刻承知。ヒロ殿の心情は、庶民に近い。……ゆえに、『情に流される』。で、ござろう?」
アカイウスとヒュームの議論が何を示すものか悟ったに違いない。
ピーターの口調は、強かった。
「捨て置きましょう、マスター。私は街場の出。ああした連中のことは存じております。まさに『ろくでなし』、貴族が守るべき『民』の範囲外です。あの年寄りに『親しみを覚える』ことからして、まともな庶民からすれば軽蔑の対象です。」
「街場の理屈」もひと色では無いのか。
クラースが、異論を唱えた。
「小遣いをやったんだろう?小さな縁でも、子分には違いない。なら、親分が果たすべき義務ってものがある。……俺はさ、ヒロ達、いや閣下がたに救われたんだ。最期に会いに来た爺さんの気持ち、分かるような気がするぜ?」
「心が弱っている時に助けの手を差し伸べるとは。ヒロ殿は悪党にござるな。」
どの口が言うか、ヒュームよ。
「ヒューム君、貴族や頭領は、みな悪党だろう?徹底しきれぬのが、ご主君の若さ。」
さっきから少し厳しすぎませんか、アカイウス先輩。
「手間のかかる上司だからこそ、お仕えのし甲斐がある。そうも言えますよね、アカイウスさん?」
今の俺はそんなに情け無いですか、ファン・デールゼンさん?
でも、よく分かった。
「自分でも、周りにも分かってることを聞くなって?」
「主君の意を体するのが、郎党です。あからさまな間違いでない限り。」
「細かいことに神経をすり減らすのは下の仕事です、閣下。」
「そこで踏み込むヒロ殿だからこそ、郎党衆がついて来たのでござるよ。」
裁量を許した郎党頭、アカイウス。
他家のベテラン、ファン・デールゼン。
独立した協力者・「寄騎」の、ヒューム。
皆が、同じ事を言う。
ああ、よく分かった。
入口の用心棒をユルとアカイウスに任せて、ひとり飛び込む。
簡単な仕事だ。
「頭」だけ、やればいい。
あとは歓楽街の自浄作用で、どうとでもなる。
メル家の領邦に移管されれば、きめ細やかな行政が布かれるのだし。
夕食は、表通りのレストランで摂った。
気心の知れた皆との、楽しいひと時。
高級レストランの料理は、さすがに美味かったけれど。
白酒だけは、あの中華料理屋のほうが上だと思う。




