第百六十一話 リゾート地 長浜 その2 (R15)
翌日は、朝から街をぶらついた。
本当はひとりで出歩きたかったのだけれど。
ピーターとユルが、きっちり後をついて来る。
「2人も自由にして良いぞ?」
とは、言ったのだけれど。
ピーターは、「そういう訳には参りません」と言い出すし。
ユルは、その。一人では行動できない。特に、こういう街に放り出すわけには行かない。
通りを行けば、高級そうなレストランにカフェ。
夕食はみんなで繰り出すとしますかね。
ホールと思しき建物。看板が掲げられている。
朝からダンスショーにレヴュー、短い時間を縫ってマジックショー、講談。
夜は遅くまで演劇・歌劇が行われるようだ。
そして並び立つ、「おとなのお店」。
どれもこれも、ロイヤルスイートなお宿の近所に相応しい、高級路線。
気後れを感じて裏路地に入った途端、声をかけられた。
「そこの軍人さん!どうだい、遊んでかないか?」
俺のことだよなあ。
詰襟に、刀ぶら下げて歩いてんだから。
「遊ぶって?」
「それを案内するのが、この年寄りの仕事ってわけさ。」
小柄で細身、ちょっとオシャレな爺さんだった。
「兄さんのお財布じゃあ、表通りは厳しいだろう?軍人さんが、気後れした姿を見せるもんじゃあない。堂々と遊べるところに連れて行こうじゃないの。で、どっちにするね?」
左手の小指を立て……いつの間にやら、右手の指の間に、2つのサイコロ。
まあ、そうだよなあ。遊ぶったら、そのどっちかだ。
「このリゾートには、カジノは無いんだな」と思っていたところだったが。
おそらく、「表向きはご禁制」なんだろう。「隠れて楽しむ」ぐらいなら、お目こぼし。
……乗ってやるか。
「上官が厳しくてね。そっちはバレたら一発でクビになっちまう。」
サイコロを指差す。
「上官とご一緒?……やっぱり!この年寄りの目に狂いは無い。昨日着いた偉いさんの護衛だね、兄さんは。」
お眼鏡違いだよ。俺は護衛される側。
そんなことで、よく客引きが務まるもんだ。
でも、ま。乗ってやると決めたからな。
「そういうこと。……そっちもなあ。」
男が立てている小指に、目を向ける。
「ここのところ、お姫様の近くにいたせいで、目が肥えちまって。……と言って、きれいな姐さんと遊べるほどは、持ち合わせがない。」
「何だい、だらしない。」
「とりあえず。弟分が、腹を減らしてる。美味いところ、知らないか?悪いなじいさん、メシと酒ぐらいしか奢ってやれなくて。」
後ろに立つユルに、親指を向ける。
ユルよ、それぐらいは誤魔化せるだろ?
「朝酒もオツなもんだ。兄さんのご相伴に預かるとしますか。」
客引きのじいさんに従って、裏通りに直行する細い横道を抜けたところに姿を現したのは。
これは案外と、落ち着いた商店街。
華やかなリゾート地を支える、裏方のための店と言ったところか。
「この辺までだねえ。観光客が入って良いのは。」
「向こうは、住宅街ってわけか。」
「住宅街か。こいつはいいや!そんな上等なもんじゃないよ兄さん。……ま、でも。人が住んでる街には違いない。」
商店街から、さらに奥へと下る横道が伸びていた。
大通り、裏通り、商店街と、海岸線と並行していて。
なぜかその向こうは、低くなっている。
遠くに視線を投げると、高台になっているのに。
顔を動かす俺の様子を、じいさんは目ざとく捕らえていた。
「奥の丘は、偉いさんのお宅さ。それこそ兄さんの言う『住宅街』。で、表通りも高台になってる。」
「海に近づくほど、低くなるもんじゃないのか?」
「他はどうか知らないけど、この辺の海岸は、海際が丘になってて、いったん落ち込んで、また奥の方が丘になってるんだよ。」
「へえ?」
「風や波で、砂が運ばれてくるからじゃないかねえ。」
「物知りだな、じいさん。」
「軍人さんは、みんな同じ事を聞くからね。地面の形が気になって仕方ないらしい。……ともかく、華ある海と静かな山に挟まれて、ここだけいじけて凹んでるってわけさ。」
「俺の財布みたいにか?」
「揚げ足を取らないでおくれよ。ほれ、そこだ。」
中華料理屋みたいな匂いがした。
「具を小さく刻んで、油と香草でごまかしてんのさ。その分、かさはある。お連れの大きな兄さんは満足してくれると思うよ?」
実際、悪くなかった。
じいさんは文句を言っていたけど。
「おい、いつも俺に出すのと、違うじゃねえか。肉が三切れ入ってる。」
常連なのだろう。
言い返す店主にも、遠慮が無かった。
「しけたもんしか頼まないジジイと一緒にできるか!」
「客を連れてきてやったのに何言いやがる。酒だ酒!いつもの頼むぜ?」
「『いつもの』って言えるほど来てくれりゃあ、肉の一切れも増やしてやるよ!」
手の平に収まるサイズのグラス……いや、「コップ」に注がれたのは、透明な液体。
手に取ると、鼻に酒気がツンとくる。
これ、白酒じゃないか。
お猪口みたいな、小さな器で飲むもんだろうに。
「すきっ腹に飲むもんじゃないだろじいさん。何か食えよ。」
「この店のもんなんか食えるかよ兄さん!犬のエサだよ。」
「俺に食わせといてその言い様はないだろ。……おやじさん!何か腹に優しそうなもの、見繕ってくれるか?」
「犬のエサをお出しするわけには参りませんや。」
「へそ曲げるなって。このじいさん、『ここがうまい』って俺を連れてきてくれたんだ。」
おやじさん、目を丸くした。
照れ隠しか、背中を見せて厨房に向かいながら、大声を出す。
「はばかりながら、ここらではウチが一番ですよ!ジジイも素直に言えば良いのに。ほれ!」
餃子?ワンタン?
そんな感じのスープが出てきた。
油が浮いてる。
けど、白酒の肴には、ちょうど良かった。
「合うねえ。」
「でしょう?」
箸が進む。酒も進む。
その様子に、親父さんは満面の笑みを浮かべていた。ひと言もしゃべらず。
じいさんのほうは、しゃべりっぱなし。
酒と、女と、バクチの話を。
一世一代の悲恋だの、身代をかけての大勝負だの、そんな上等なのは一切出てこない。
艶笑談と小銭の話ばかり。
だけど、下品じゃない。気持ちよく笑える。
聞き入っていると、剥かれた果物が出てきた。
「そういう話だけしてくれるんなら、こっちも邪慳にはしないんだよじいさん。ウチは食事を出す店なんだ。下品でえげつない話はやめとくれよ。」
「人を見て話をするのが客引きだよ。こちらが、気分良いお人なのさ。……どうだい兄さん?やってみる気はないかね?」
またサイコロを取り出す。
「あんたなら勝てるよ。勝てなくても、気分良く遊べる。嫌な嵌り方はしない人だと見るけどね。この年寄りが言うんだから間違いない。」
さっき思い切り眼鏡違いをしてたじゃないか。
でも、「ギャンブルにド嵌りしないだろう」ってのは、たぶん当たってる。
何せ幽霊達があれこれ口を出してくる。集中なんかできそうにない。
「悪いなじいさん、賭け事だけは本当に駄目なんだよ、俺のところは。」
「ああ、今の気分なら勝てるんだけどなあ。間違いない。だけど持ち合わせがねえ。」
わかったよ。
「話を聞かせてくれた礼だ。軍資金の足しにしてくれ。」
大銀貨をテーブルに置く。一万円相当だ。
バクチの軍資金としては、あまりに湿気ているけれど。
「持ち合わせの少ない兄さん」を演じている俺。小金貨を出すわけには行かない。
十万円相当の持ち合わせがあれば、相応の「姐さん」を相手に、遊べるのだから。
「いけないよ軍人さん、酔っ払って。お金は大切にしなくちゃ。……おいジジイ、あんただって物乞いじゃないんだ。一緒に遊びに行くならともかく、もらうだけってのはいけない。」
中華料理屋(?)の親父さんが腕をつかむより早く、じいさんが身を翻し。
戸口から、声をかけてよこした。
「倍にして返すよ、兄さん!」
「ああ、昼にまたここで会おう。」
店主がため息をつく。
「昼も寄ってくれるなんて、そんなこと言われちゃあ、説教もできないじゃありませんか。」
「ここはリゾートだろ?命の洗濯をさせてくれよ。」
顔を、覗き込まれた。
「ああ、大戦に参加しなすったか。」
「分かるか?」
「分かりますよ。……なら、仕方ないや。生きて帰って、遊ぶにしてもじいさん相手にじゃれるなら、上等な部類だ。昼は、麺類がお勧めですよ。」
「なら、腹を空かしておくかな。温泉にでも浸かって。」
「そうですよ兄さん。酒にバクチ、姐さんだけじゃない。露天風呂から海を眺めるのだって、命の洗濯さ。」




