第百六十話 新領ミューラー その6
「城を築くならば、北の山をおいて他にあるまい?」
さも当然のように、千早が口にする。
ま、それはそうだ。地勢から見て、まさに「他にありえない」。
陸側からの攻勢に対し、背中に農地と市街地をかばうことができる。
……いや、それ以上だ。
ふもとをめぐる川は天然の堀であるのみならず、海に漕ぎ出す水路としても利用できる。
何より、街道を扼して半島の付け根に位置する、その立地。
あの山に城を築けば、単にミューラー領のみならず、「半島そのもの」を守ることができる。
だろう、モリー老?
「いかにもヒロ殿の申さるる通り。計画は、はるか昔にもあったのでござるよ。……三百年前、あの山に城があれば。ファンゾに逃げ込まずとも……。いや、それも無理な話。城ひとつで、極東全域を覆った頽勢を覆せるものではござらぬか。しかしいまやその城を、千早が。」
モリー老の感慨が、俺の脳内、いや胸のうちにも広がる。
思わず、口を開いていた。
「大きな城になりそうだな。イースとは言わぬまでも、高岡に次ぐ、あるいは並ぶ規模か。」
「ちょっとヒロ?……ああ、そうか!そういう話になるわけね?」
「良いのかい、フィリア君?メル家としては許せるのか?」
「軍人でなくともレイナさんやイーサンさんならば、当然気づくところでしたね。……それぐらいの張り合いがあってこその、千早さんでしょう?メル家としては、郎党を知るための良い試金石になりそうです。『その城は何を守るものか。城主の気概がどこにあるか』。見抜ける者と、そうでない者と。」
「ま、先々の話でござるよ。城ばかり立派でも仕方ござらぬ。まずは港を建て直し、このミューラーを豊かにするところから。それから金子を貯め、兵を整え。……某の代で、築けるかどうか。」
郎党衆が、身じろぎした。
「築いてみせる、千早に贈ってみせる」、か。
アランに至っては、糸目の光を目の奥に押し込んでいる。
具体的に考え始めたな?
そんな部下の意識に、気づいたかどうか。
千早の思惟は動き続ける。
「まずは、『館』。その立地を先に考えねば。……あの山には、まだ登っておらぬ。見回りがてら、山頂から下を見繕うでござるかな。」
「城」(防御施設)と「館」(政庁)とは、別に築く。
それが王国の通例。
「殿、そのことにつきまして。北の山、地元では『荒神山』と申すらしいのですが。」
言われてみれば、「かまど」のような形にも見える。
それで「荒神山」ね。
「我が名は千早。これは悪くない。」
「はっ。その、めでたい限り。」
「ああ、すまぬな保田。話を遮った。で、その『荒神山』が?」
「村長・庄屋衆に言わせると、少々難物が住み着いているとの話にて。佐久間……いえ、ミューラー家に異心を抱くものではないらしいのですが、『よく分からぬところがある連中ゆえ、お館様がじかに足を運ばれる際には、どうぞお気をつけていただきたく』と。」
千早がこちらを見た。
「ファンゾの佐久間家には、伝わっておらぬ。」
そのモリー老の言葉を、首を横に振ることで伝える。
「某は、多少の事情を存じおるなれど。」
その言葉に、思わず皆が振り向いた。
しかしヒュームは、そこで口を閉ざす。
その先を問うこともせず、千早が立ち上がった。
「隅々まで威徳を及ぼしてこそ、領邦のあるじ。参るぞ。……ヒューム殿も、お付き合い願えるか?」
ヒュームが俺を見た。
今の立場は、俺の郎党だから。
……ハクレンならともかく、ヒュームだ。寄騎に扱いを変えるべきかな?
視線に誘われるように、俺も立ち上がる。
いま考えなくても良いことを、思い浮かべつつ。
直轄領時代の市役所から、北西に徒歩で一日。馬ならば半日。
川を越えたところに、「登山口」がある。
現代の日本とは異なり、整備などされていないけれど。
川の手前に、やや離れて高台があった。
早朝からの登山に備え、そこで野営に入る。
「山頂から見繕うまでもござらぬか、これは。」
ミューラー領の、地理的な中心はこのあたりになろうか。
野営のための周辺警備もスムーズに回る、守りやすい地勢。
水脈はあるが、高台ゆえ開発されてこなかった土地でもある。
ともかく日の出と共に川を渡り、「荒神山」を見上げる。
こんもりと、丸い山容。
「山」というほどの高さは無さそうだけれど。
3月も中旬を迎え、陽射しは暖かさを帯びてきた。
吹き付ける海風も、今日は穏やかで。
整備されていない山道を登る小さな困難を、癒してくれる。
……いや、違う。
周囲を見回す。仲間たちの顔を。
ひとりと、目が合った。……と思いきや、鼻で哂いやがった。
やっぱりお前は、郎党じゃない。
「ヒューム。この道、住人の手が入っているな?」
「いかにも。侵入を拒むための道。」
起伏のついた道。本来の自然以上に盛ったり削ったりしてある。
左右にぐねぐねと曲がり、先が見えない。
ところどころ、切通しの下を通る。
「人の気配が無いのは、敵対の意思がないことの現れにござる。」
「恭順するならば、迎えの者を寄越しても良いのではありませぬか?」
頭の回る小次郎。即、口に出し行動に移す。
子供だからか、モリー老に似て俊敏だからか。
「事情があるのでござろうよ。」
ひと言だけ告げて、行列の先頭へと跳躍するヒューム。
技能を活かして警戒・先導役を務める……体で、「逃げた」。
日が高くなる頃、山道を抜けた。
想像するよりも開けた平場に出るや、鉢合わせたのは。
土下座する一団。
みすぼらしい姿であった。
カンヌの、極東の農家は、割合に豊かな暮らしをしているはずなのに。
薄い着物。体の線がはっきり現れている。
その体つき……ただの農夫では、無かったか。
「お前達は何者か?」
小次郎の問いにも答えず、ただただ頭を地に擦り付けるばかり。
逆らう気は無いらしいけれど、これは少々。
見回すと、平場の先に門があった。
開かれた扉の脇に、やはり土下座を見せる者がいたのだが。
こちらは、目の前の一団とはやや様子が異なっていた。
小奇麗で、いかにも「お迎えに上がりました」という風体。
アランと顔を見合わせた小次郎が、ふたたび誰何の声をかけると。
「お待ち申し上げておりました、お館様。」
「答えよ。何者か。」
「我ら、『津別野』と『大崩』の末裔にござりまする。お館様の指示を仰ぎたく存じます。」
ふたたびアランと小次郎が顔を見合わせる中。
「案内せよ。」
千早の声には、迷いが無く。
小奇麗な男が、打たれたかの様に体を震わせた。
深く一礼するや立ち上がり、先導に立つ。
千早だよなあ。
罠があっても踏み破る実力と自信を持っている。
信じられる者か疑わしい者か、本能的に判断できる。
だから、こういう場では迷いが無い。
その迷いの無さが、信頼の証として相手に伝わる。感動を呼ぶ。
天性の才質を伸ばしたのは、李老師と天真会だ。
「領主になる」とまで、明確に見越していたわけではないだろうけれど。
「こういう立場になる」ことは、見通していたに違いない。
……そしてその天真会をしのぐ勢いを持っているのが、聖神教。
いつの間にか気配を消しつつ後ろに下がったヒューム。
誰も知らなかったこの連中と、交流を持っていて。
そのヒュームと霞の里は、ミーディエ家と、それ以上にメル家を恐れ憚っている。
カレワラ家の、俺の存在は、王国ではちっぽけで薄っぺら。
「だから、虚勢でも何でも、張らなくちゃいけないんだな、アリエル?」
返事を待つ必要など無い。
千早に続き、大またで門内に足を踏み入れる。
客人第一等のポジションにあることが、さも当然であるかのように。
……やっぱりフィリアには、一歩遅れたけれど。
門内には、さらに平地が広がっていた。
高い木に覆われ、登山口・平地からは見えなかった。
「この山が、将来の城になる。……だから視察は、領地を全て見た後の、楽しみに取っておこう。」
その千早の思いは、みな理解していた。だから誰も、あえて何も言わずにいたけれど。
荒神山のグリフォン視察を後回しにしていたことは、油断であったかもしれない。
その奥に、小さな子供。
これは、土下座していない。先ほどの男よりも、なお身なりが良く。
「お還りお待ち申しておりました、お館様。『いせ』と申します。」
頭を下げる。
「では、お願い申し上げます、『二の丸さま』。」
先導の役割を、小奇麗な男から引き継いだ「いせ」。
さらに扉の向こうへと、俺達をいざなう。
「いせ」は、その呼ばれ方から見て、「二の丸」のあるじ。
ならば、この先は。
荒削りなこの「集落」、まだまだとても「城」とは言えぬまでも。
開け放たれた扉の向こう。
整えられた地肌に跳ね返る陽射しが、まばゆい。
荒神山の「本丸」に、足を踏み入れた。




