第百五十九話 直轄州カンヌ その2
「ヒロさん、事前に連絡はありましたか?」
フィリアの目が、すうっと細められる。
「いや、受けていないけど……。」
その表情が意味するところを知る俺の語尾は、あいまいなものとなり。
やりとりの雰囲気に気づいたメル家郎党の顔には、冷や汗が浮かんでいた。
「はっ!その、事故は全て、旗ヶ谷~ミューラー間で起こっておりまして!旗ヶ谷にご到着までは安全、であろう、と……。」
「想定すらしていなかっただけ」に違いない。
正直な男だ。
「安全と判断いたしました!」と、強気で言い切ってしまえば良いものを。
実際に、何事も起きなかったのだから。
馬車による、交通事故。
それも、荷馬車や駅馬車ではない。
貴族やお金持ちが乗り回す、個人所有の高級馬車ばかりが、ここのところ連続で交通事故を起こしているのだと言う。
「まあでもほら、何も起きなかったわけだし……。」
言いさして、気づく。
俺も、メル家の郎党と同じ。
言い切ってしまえば良かった、のだが。
「前日、90kmの旅程を全速力でぶっ飛ばしている最中に、もし事故が起きていたら。」
それが頭に浮かんで、語尾が濁ってしまう。
「言い切りなさいよ。相変わらず抜けてるわねー、ヒロは。」
だからレイナさん、分かっていることをあえて表に出さなくても。
そして、俺がマヌケ扱いされているということは、すなわち。
同じ態度を示したメルの郎党が、「レイナに」マヌケ扱いされているというわけで。
「ともかく、経緯を。」
郎党を問い質すフィリア。
スペアを卒業したはずなのに、ソフィア様そっくりの笑顔を見せていた。
「はっ!」
報告に立っていたのは、メル家の中でも、高級軍人とは言えぬ男。
ソフィア様の笑顔を見たことが無いのであろう。
知らぬが花とは、まさにこれ。
「フィリア様」のすてきな笑顔に気力を奮い起こし、直立不動で報告を始める。
いわく。
昨年の晩秋に、最初の事故が起きた。
馬車はよく整備されており、道も難所というわけではなかった。
が、馬が突如転倒し、馬車は横転。
幸いにして死者は出なかったものの、中に座っていた貴族が骨折。
偶然であろうと思われた。
しかし高級馬車が通るたび、必ず事故が起こる。
これは物取りの犯行かと思いきや、貴族が誘拐されたり金目の物が奪われたりという事実は無い。
これまでの被害は6件。
死者はゼロ。
「だが、その貴族は面目を失っているだろうね。戦場で負傷したならばともかく、『大戦のさなか、後方を移動中に事故に遭って怪我』ではね。」
イーサンの声が、重々しく響く。
「御者も面目まるつぶれ。……失業した者も出たでしょうね。」
馬に携わる者の思いを、セルジュが代弁する。
関心の対象がよそに向かったことに安堵したものか。
郎党が、言い訳を口にしはじめた。
「実は、大戦はこちらにも影響しておりました。山を捜査する人員が手薄でして。旗ヶ谷がミューラー半島の抑えとして置かれているのは、航路の安全を確保することが、主たる戦略目的でありますゆえ。……いえ、さぼっていたわけではありません!大戦終了後、改めて街道と半島全域を調べ回ったのですが、怪しい者はいませんでした。」
「でも、事故は起こり続けてるのよね?」
「さようであります、立花閣下。そこで最近では、半島を横断する際には馬車を降り、馬か荷馬車で行き来してくれるよう、頼んでおります。『個人所有の馬車は、街道の北の道を我々が輸送して引き渡します』と、そのように……。」
みなまで言わせてもらえなかった。
「街道の安全を確保せずして、領邦の主を名乗れますか!」
フィリアの雷喝に、一同縮み上がる。
幽霊諸君が俺の陰に逃げ込む。
「私が出ます!」と言い出したフィリアをなだめすかすべく。
まずはもちつけ、餅は餅屋、馬は騎兵と言うことで。
セルジュとラティファ、ファン・デールゼン親子の意見を聞いてみると。
「高級馬車なら、御者の腕も良いはず。」
「馬車の整備もきちんとしてあれば、馬の癖も良かったんでしょ?」
「なら、外部的要因としか。」
顔を見合わせ、頷いている。
「攻撃を受けたのは、馬ですね?」
「それも、恐らくは足元に。」
「刃物や打撃の跡が無いならば、これは……。」
結論。
「ひも状のもの」を地面に敷いておき、それを持ち上げたのではないか。
転倒させると同時に逃亡しているから、つかまらないのだ。
土地鑑がある者の犯行であろう。
「しかし、怪しげな者がいれば、護衛の随伴騎兵が気づくでしょ?逃げ切れるはずないと思うんだけど。」
「ラティファさん、それです。犯人が分かりました。」
フィリア?
「随伴騎兵に気づかれない者のしわざです。」
いや、しかし。
「騎兵の視点は高いだろう?いち早く気づくはず……。」
なぜ皆、俺を見る。
「ああ、幽霊か。」
「専門家にお任せします。」
フィリアさん、あなたとて腕利きの霊能力者……。
あ、いや。万一があっては困る。任せていただくほうが、気楽である。
と、言うか。さては。
さっきの「私が出ます!」もブラフだな?
そんなわけで、フィリアほか高位貴族の皆さんは、旗ヶ谷観光。
「安心したまえ。政治や行政の話は、ヒロ君が帰ってからにするさ。」
そうですねイーサン君、観光なんかより、大切なのはそっちですよね。
ため息が出ます。
騎兵諸君を借り出す。
もったいないから安い馬車を高そうに塗って、家紋を描いて、と……。
「メル家の家紋は、お断りいたします」と、現地のメル兵に言われてしまった。
「転倒し、破壊されるなど。もってのほかです。」
それってさ、立花もデクスターもウマイヤも、事情は同じだよね?
「カレワ……」
不用意に過ぎる発言。悪気が無いのは分かっている。が、言わせてはいけない。
血を見ぬために、間を詰めて。鯉口を切れば……。ほら、丸く収まった。
それが王国貴族道。
何を描いてもカドが立ちそうなので、しかたなく。
かつての日本で、月曜の8時44分頃に現れたと聞く、あの紋どこr……いや、紋章にしておいた。
世が世なら、刀の錆・刑場の露と消えていたのは俺である。
御者はヒュームに頼もうと思っていた。
馬の転倒・馬車の横転ぐらいで怪我をするタマじゃないから。
が、何と。騎兵連中が次々と立候補するではないか。
「腕の見せ所」、「手柄の立て所」という理由は良いとして。
「おもしろそうだから」、「逃す手は無い」。
頭おかしい。
沿道に、外出禁止令を敷く。
メル家支配下の領民は、そういう事態に慣れているのがありがたい。
なお道端に姿を現すような者がいるとしたら……。
それこそおそらく、「人間ではない」。
と、いうわけで。
容疑者(と言うか、明確に犯人)は、あっさりつかまったのだけれど。
また子供だよ。
勘弁してくれ。
8歳。
「馬車に、撥ねられた」のだと言う。
「11月の、○日だよ。リスを追いかけて飛び出したら。」
……家に帰れなくて。
夕方だったから、お母さんが心配してるはず。
でも、帰れない。道の周りから外に、出られないんだ。
あの馬車が原因だから、あの馬車をつかまえれば、何とかなるんじゃないかと思って。
でも、馬車は脚が速いから、家紋を目で追いきれなくて……。
「それで一台一台、止めてたってわけか。」
ああもう!
死んだ人が出なかったから、良いようなものの!
「怪我人はいるし、仕事を無くしたり立場を無くしたり、死んだ馬もいたんだぞ!」
「僕は?僕は殺されてもいいの?ほったらかし?」
「良くない!良くないけど、お前のやり方も良くない!そうだろ?」
ともかく、その家紋は?
……と聞いた俺が、アホだった。
子どもの描く絵。
まして紋章のような、複雑な図柄とあっては。
「分かった。両親にひと目会わせてあげるから。きちんとみんなに謝って、あとは天に帰れ。それでいいな?」
賠償だの、この子の責任だの。
難しいことは、後で良い。
とにかく、紋章だけは、ハッキリさせないと。
子どもが、頷いて。契約が成立した。
「じゃあ、どんな紋様か、その時のことを……。」
契約が成立した幽霊と俺との間には、テレパシーのようなものが通じ合う。
この子が最期に見たものは?
……忘れていた。
俺も、交通事故で死んだんじゃないか。
追体験なんて、するもんじゃない。
女神の小部屋に到着してからも、震えが止まらなかった。
気絶した俺の「体」のほうも、悲鳴を上げて口から泡を吹いていたらしい。
「カレワラ閣下、分かりました。」
俺が気絶している間に、ピンクが絵を起こしていた。
事情が事情ゆえ、「紋章を図柄に起こす」ベッケンバウアー家の特権については、不問としてもらうよう頼んだ。絵も、即座に焼き捨てている。
「旗ヶ谷は、軍事拠点ゆえ。通りがかる人には、身分証明の呈示を求めています。11月○日にここを通った、その家紋。××家かと思われます。」
そこまで小気味良く報告していた男。
目を伏せて、口ごもった。
「いえ、実は……家紋は不要でした。11月○日の、その時間帯にここを通った高級馬車は、一台だけだったので。」
事故の体験損かよ!
まだ青い顔をしていたらしい俺に、周囲が痛々しげな目を向ける。
「そんなに恐ろしいのか?」
「そうか、子どもの視点だと、自分の何倍も大きいんだもんね。かわいそうに。」
「ほんとうの事情」を知っているのは、この場ではフィリアだけ。
あえて何も言おうとしない。
心配して俺に声をかけるのも配慮。
亡くなった子どものことに触れ、気をそらせようとするのも配慮。
何も言わぬのも、配慮。
そして。
「ヒロ殿……もとい、カレワラ閣下を倒すには、戦車部隊が良さそうでござるな。」
「おいハクレ……面倒だ。おいヒューム!俺でも分かるぞ?文句無しの失言だぜ、それは。」
「ああ、さようにござったマグナム殿。失言と言えば。湿原が広がる霞の里は、戦車の運用には向かぬのであった。かたじけない。」
「戦車が向かってきたら、遠慮なくグリフォンで逃げるさ。……他人事だと思いやがって、お前ら!」
「その意気にござるよ。」
「そうだな、男が弱気を見せるもんじゃない。」
ブラックに過ぎる。
それでも言わぬよりはマシなのが、王国の社交。
ご配慮ありがとうございます!
最高の気分ですよコンチクショー!