第百五十八話 近郊型農村 カキサワカ その1
旅に出て2日目。
ミサに参加し、ファン・デールゼン親子共々「安らぎの家」に顔を出し。
3日目の早暁、ピウツスキ枢機卿に見送られながら、クリーシュナグを後にした。
クリーシュナグの西には、北西から南東に向かって、川が流れている。
高岡城の麓を流れていたのと、同じ川だ。
中~下流では、新都とカンヌ州の境界とされている。
クリーシュナグから南西に進み、そこで渡河するのが「本街道」。
流れが緩やかで港湾施設も整っている河口近くのほうが、大型船による大量輸送ができるから。
だが今回俺達が選んだのは、「クリーシュナグから西に進んで渡河し、そこから南のカキサワカを目指す」ルート。
言ってみれば、「地元の生活道路」である。
このルートで川を渡れば、少し北上したところにマグナムの故郷・マタコニ村がある。
ちょっと寄って、一泊していこうというわけ。
高岡では、騎馬で渡れた川だけれど。
「河口まで数十km」という現在地点では、船で渡る他は無い。
向こう岸を見やる、マグナム。
川面を眺める、ピーター。
高岡を訪れた時には、マグナムが故郷を懐かしがっていたけれど。
今は、ピーターが故郷の思い出を口にしている。
上流と下流、城下町と農村、領邦と直轄領。
全く違うところで育った、生き様の異なる2人の少年に、同じ表情をさせる。
それが、川の流れ。
……などという感傷を抱いてはいられないのである。
生活道路ゆえ、大きな渡し舟は存在していない。
下流のカキサワカ市にお願いして船を準備させておかねばならなかったのだ、俺が。
本来、無茶な話である。
「素直に本街道から渡って来てはもらえませんかねえ。行政に負担がかかるので。」
などと言われてしまえば、反論のしようも無い。
けれども。
「カンヌ州は、今年中にもメル家に移譲される。管内の農村を、直系のフィリア閣下が視察したいとおっしゃっている。総領への報告が求められているのだ。」
とでも告げておけば、それは正当な理由にできてしまうのであって。
ほんの少し胃に重い物を感じながら、川を渡り終えれば。
船着場には、カキサワカ「市役所」(と言っておこう)の幹部に、マタコニ村長。
正装してのお出迎え。
喜んでくれているなら、気が楽になるところだ。
歓声が聞こえる。
英雄マグナムを見ようと、近隣の農村からも人が出てきているらしい。
小麦なら麦踏みが終わったところ、稲作なら農繁期前か?
良い時期に来ることができたのかな。
村に着き、親戚一同を紹介するマグナムは、真っ赤になっていた。
分かる分かる。
「客が来るから」と言っておいたら。
父ちゃん母ちゃんが、必死で家を片付けて、最高のおめかしをしていた。
十代の少年としては、照れくさい事この上ない。
まして。
友人に縋りつきながら感謝の言葉を述べる姿を見せられたとあっては。
以前にも触れたところであるが。
30年に及ぶ戦争景気のおかげで、マグナムの家では弟に与える田畑まで開墾する余裕ができた。
四男坊が田畑を分け与えてもらえるなんて、100年に一度もないぐらいの奇跡だ。
全てこれ、メル家のおかげと言うわけ。
三男坊のマグナムも、王国が作った学園のおかげで大出世を果たしたわけだし。
鷹揚なお姫様顔を見せるフィリア。
……に、皮肉な目を向けるレイナ。
「移管がスムーズに行きそうで、ご機嫌ね?」
分かっていても言わない優しさってものも、あるとは思うけど。
口にしても壊れないのが、この2人の友情(?)なのだろう。
マタコニ村に寄ったのには、「視察」、「マグナムの両親の顔を見る(あまり似ていなかった。親戚の話からすると、どうやらお祖父さんがイケメンだったらしい)」他にも、もうひとつ理由がある。
それが、「野営の予行」。
諸般の事情で、陸路を進むことになったカンヌ行。
中東地域との州境は、長く続く山道になっている。
建設中の大城から、護衛の兵や兵站の提供を受ける予定にはなっているけれど。
あまり野営慣れしていないメンバーもいることだし、ここで一泊、予行をしておこうと。
村の空き地に、テントを建てて。中央でキャンプファイヤー。
軍人生活も4年目となれば、テンションも上がらず。
近づく足音には、耳が動いてしまう。
「マグナム殿にござるよ。」
まだ肌寒い、春の宵。
声の主は、火影の届かぬ闇に身を置いていた。
ヒュームの声に応じたかのように、大柄な少年が姿を現す。
若衆の集まりを抜けて来たらしい。
「ふるさとなんだし、ゆっくりしてればいいじゃん。」
「馴染めなくて、な。」
見覚えのある表情。
成人式に帰省した友人が、戻ってきたキャンパスで見せていた。
……などと考える俺は、やはりまだまだ甘いらしい。
マグナムもまた、王国の若手エリートなのだ。
「フィリア、イーサン。聞いてくれるか?」
その2人を名指しして。
「若衆なんだが。……不相応に浮かれている。」
苛立ったように粗朶を折り、火に投げ込む。
「高岡近郊を見た。途中にある、ドメニコの領邦を見た。サクティ・メルもウッドメルも見て来たが、こんなに浮かれてる農村、他に無い。……あいつらだって、じいさんから話を聞いてきたはずなんだよ。飢饉に備えて、畑一枚は燕麦を作って置けとか、ジャガイモを作って置けとか。贅沢するな、朝から働けとか。」
「農家には農家の、家伝の教えがあるということだね、マグナム君。」
「分かってくれるか、イーサン?戦争は終わった。不景気とは言わないけど、本来の極東に戻るわけだろう?それなのに。何を買うだの、カキサワカに飲みに行くだの。その、女を……。」
「いいかげんその失言癖、どうにかしなさいよマグナム!」
「私は悪くないと思うけど?正直で。騎兵なんてひどいもんだよ?」
怒鳴るレイナの隣で、ラティファが含み笑いを漏らしている。
「失言は詫びるが、言わせてくれ。村の若衆の会話なんて、酒か女って相場は決まってる。だがな。『クリーシュナグの酒が』とか、『カキサワカの、馴染みの女が』とか。……酒なら、自分の家で作れる。女にしても、『童貞が 必死に溜めた 白銀貨 搾り取られて ……』。いやその、聞かせられない下品な歌だが。そういう話をしてるはずなんだ。」
切迫した声。
個人的な違和感を、どうにかして普遍的なものに、人に伝わる形にしようと、苦闘している。
「おかしいんだ。『育てた作物を、自分の家で食って飲んで。籠や道具も自分で作る』村だったはずが。『作ったものを売って、その金で既製品を買う』村になってる。街の住民だぜ、これじゃ。」
理解できた。
イーサンにフィリア、レイナも顔を上げている。
思い当たる話があった。
それも、つい最近。
「バッハ商会の資本持ち出し」。
気をつけておかないと、新都は王都の経済植民地に成り下がってしまう。
その新都は、周囲の村を、極東を、経済植民地として飲み込もうとしている。
封建制度と商業資本と。
いかに相性が悪いか。
顔を見合わせた「上流貴族」たち。
マグナムの目が据わる。
拳を大地に打ち付ける。
「何か分かってるなら、教えてくれ。このままでいいとは、俺には思えない。」
抉り取った土を、握り締めていた。
「村を出たって、百姓やめて軍人になったって、忘れるもんじゃない。この色、この匂い。爺さんが、先祖が、これに何百年と手を入れて、畑にしてきたんだ。怠れば、土はダメになる。冗談じゃないぞ。マタコニをダグダにしてたまるかよ。ふるさとなんだ。兄貴や弟は、子孫は、ずっとここで暮らすんだ!」
怒りに震えた声が、炎を揺らす。
答えてやりたい。
だけど、問題が難しく、大きすぎる。
この場ですぐに、説明できるものではない。
逡巡を、誤解されたか。
マグナムの気配は、半ば殺気に変わりつつあった。
「家名持ちには、貴族には分かってもらえないか!?」
それだけは!
「言うな、マグナム!」
炎を遠巻きにしていた気配が、膨れ上がる。
軋むような音が、耳を打つ。
「弓を下ろしなさい!……マグナムさんも、不用意な行動は控えなさい。」
鋭い声に、炎が再度お辞儀を見せ。
再び穏やかに、立ち上がった。
「私も領邦貴族。分かります。土地は、先祖から子孫へと引き継ぐもの。血と汗を流してしがみつき、守り広げるもの。」
「済まなかった、フィリア。メル家にも失礼を。……だが分かった。農家も同じだったんだ。今のあいつらには、その気持ちが足りないんだ。ファンゾの連中も、ウッドメルの民も、必死だったのに。」
「難しい問題なんだ、マグナム。何が正しいのか、どうしていくべきか、すぐには分からない。イーサン?」
「ああ、僕もだヒロ君。カンヌを出るまで、村々を見ながら、馬車で話し合おう。」
「姉にも報告することを、お約束します。」
ただし。
そう口にして、マグナムに強い視線を向けたフィリア。
再び、声を励ます。
「マグナムさんも、もう分かっているはずです。村の将来が心配ならば、あなたが変えなさい。姉や義兄と共にカンヌ州のあり方を考え、行動してください。同じ庶民出身の千人隊長でも、あなたはジョーとは違う。前に立って導く義務があります。」
声に打たれ、その巨体を丸めたマグナム。
すぐと、顔を上げる。
「分かってきた。……いや、フィリアの言う通りだ。もう分かっていたんだ。大戦で、理解した。軍に限らず、そういうものなんだ。……俺は、そこに立っているんだな?」
焚き火を囲んだ全員が、頷いた。
「そのとおり。だけどね?」
レイナが、煙たそうに目を細める。
「夜は感情が先走る。詩作には良いけど、難しい話を考えるもんじゃない。……明日も早いんだし、そろそろ解散すべきだと思うわね、私は。」




