第百五十六話 観梅
別れの宴が、開かれた。
アスラーン殿下と、ピョートル殿下との。
「お互い気兼ねなく楽しめましょうから(身分の軽い者は、隣の会場で)。」
そんな理由で、皂衣衛の男は、会場の外に締め出された。
貴顕の命を狙うなどとは思わないけれど。
いろいろと探り回られるのは、気分良いものではない。
仕切ったのはデュフォー男爵だろうか。正直、感謝したい。
みな、わだかまりなく楽しんでいる。
春如月の、梅の香を。
「アスラーン殿下も都に帰られるとか。」
「ええ。これからは政務修行の日々。気楽な生活とは訣別ですね。……お互いに。」
アスラーン殿下も、気づいていた。
ピョートル殿下の変化に。
「この2ヶ月、幸せでした。王国の皆様に、感謝を申し上げます。」
「つらいことがあったら、ぜひまた新都へ逃げてきてください、ピョートル殿下。歓迎しますよ。」
「オサムさん!」
「カトレア。君が連れて来るんだからな?……私もとっておきのボトルを、『夜光杯』に入れておきます。一緒に飲みましょう。」
「もう!オサムさんだって、王都に帰るんでしょ?」
「忘れてた!まあ、あれだ。ウォルター君は残るし、立花の呑んだくれも、誰か一人ぐらいは王都から流れてくるだろうから。新都にお出での際は、その連中と楽しんでください。」
政争も戦争も、立花伯爵に、いやオサムさんにかかれば、流れて消えてしまう。
さながら酔客の口論のごとく。
軽いノリだけで世の中が回れば、最高なんだけどな。
いつのまにやら、俺の隣に立っていたレイナ。
「これが、立花の務め。」
父を見るその目は、いつになく誇らしげで。
そして主賓のピョートル殿下は、あいさつ回りに大忙し。
「千早・ミューラー卿にも、ご挨拶を。……気まずい思いをさせまいと、私に会いに来るのを控えていらしたとか。もっと早く、こちらから申し出ておくべきでしたね。」
こういう、「プライドの無さ」……と言っては申し訳ないか。
「こだわりの無さ」は、たぶんピョートル殿下の、武器になっていくと思う。
とは言っても。
千早は、千早なのであって。
いつだって手強い存在なのだ。
「女性だとは聞いていましたが……。まさか、あの時の。」
ピョートル殿下、絶句していた。
いかつい鎧の中身が、カトレアと抱き合って泣いていた美少女とは、思わなかったのであろう。
「カトレア姐さんを、どうかよろしくお願いいたしまする。」
「ヤキモチ妬いたら私が悪者ね、これじゃ。」
「天真会の女性は、ピョートル殿下には鬼門のようですな。2度もつかまってしまった。」
そんな、少し無遠慮な発言も。
「3度目は無いから。ご安心あれ。」
さらりと流し、カトレアに片目をつぶって見せていた。
酒のせいだろうか。
はたまた、梅の香のなせる業か。
ピョートル殿下との、カトレアとの、一生の別れだと言うのに。
なぜだか実感が湧かない。
迎賓館に咲き乱れる梅。整えられたその枝振りの見事さに。
貴顕の交わす和やかな修辞に。穏やかなたたずまいに。
心奪われ、ふわふわと。
ピョートル殿下と、目が合った。
近寄って来る。がっちりと、俺の両手を包み込む。
「世話になったね、ヒロ君。」
俺は、何もしていないのに。
「ヒロさんのおかげで、殿下が変わったの。」
変えたのは、カトレアだけど。
そのひと言を、口にさせてはくれなかった。
「ヒロさんに出会っていない殿下には、たぶん魅かれてなかったと思う。」
「分かるような、分からぬような。」
こういう時にこそ、使う言葉だ。
相変わらず少し頼りない、ピョートル殿下。
でも、俺の手を握るその力は、力強くて。
上ずっていた気持ちが、地に着いた。
「官途に就くと聞いた。面白くないことも多いだろうけど、君の性格なら心配はいらないと思う。」
背景の無い貴族が抱える、「面白くない感情」。
それを散々味わってきた人のお墨付きだ。
喜んで良いものやら、どうか。
「つらいことがあったら連邦に逃げてきても良いわよ、ヒロさん?」
仕返しの相手を間違えてます、カトレアさん。
港まで、ピョートル殿下を送る。
その沿道は、新都の住民に埋め尽くされていた。
彼らのお目当ては、同乗されている、もう一人の殿下のほうだけど。
アスラーン殿下も、この観梅の宴を最後に、新都に別れを告げる。
歓喜に、悲しみ。
感謝の言葉と、悲鳴と。
騎行して先導する俺に、その風圧が渦を巻いて押し寄せる。
癖の良い馬は、まるで動じていなかった。
馬に負けるわけにも行くまい。
つつがなく、さりげなく。
併進するエドワードを視野の片隅に、歩調を合わせながら。
どこまでも続く、人の壁。
新都には、それだけの住民がいた。
メル家が一から作り上げ。
王国貴族が、守り育て。
アスラーン殿下が、統合していた。
その中で、みんなそれぞれ、泣いて笑って、働いて遊んで。
これが、新都。
こちらの世界に飛ばされて。
この人たちと、一緒に暮らして。お世話になった。
でもたぶん、俺もそれなりには、恩返しできたと思う。
この人たちは、俺に別れを告げているわけでは無いけれど。
それでも。
さようなら、みんな。
「猫かぶり姫の恋」のほうとの兼ね合いで、しばらくの間、週3ほどの更新ペースになると思います。




