第一話 老人 その4
「うひゃい」
声にならない声をあげる。用足し直後で助かった。ベンさんを笑えなくなるところだった。
「呼んでないのか?」
「呼んだ覚えはないのですが……いわゆるテレパシー的なものですか?」
「ワシも分からんけど、幽霊だし、そういうもんかもしれんのう。」
やはり、分からないことが多すぎる。とりあえず情報を得なければ。
「ここはどこですか?」
「クマロイ村じゃ。地域で言うならラス高原。あるじはギュンメル伯じゃの。……いや、ヒロ君の聞きたいことはそういう意味ではないか……。田舎のジジイには分かりかねるのう。」
やはり、言わずともこちらの「意図」を理解してくれているようだ。テレパシー的な何かなんだろう。
「僕が運ばれてきた状況は?」
「家の裏で、ベスが見つけたんじゃ。何でも空から降ってきたとか。裏の崖から落ちてきて、牧草の山に突っ込んだ、ということらしい。何やら事情があるようだの。こちらとしては頼み事もあるし、ヒロ君は悪い子でもないようだから、詮索はせんよ。いま考えているソレ、記憶喪失のセンで押せばよいじゃろ。ワシもフォローする。」
俺はトラックに撥ねられたはず。それが空から降ってきたということは……。
どういうわけだか、見知らぬ国に飛ばされたということなのだろう。いや、今どき世界のどこに「領地持ちの伯爵」なんてものが存在する?見知らぬ国ではなくて、見知らぬ世界・異世界に飛ばされたと、そういうことか……。
むちゃくちゃだ。ありえるわけがない。そう思いたい。
でも、現に俺は子供になってしまったし、幽霊が見えて会話している。むちゃくちゃかもしれないけれど、そういうことになってしまっているのだ。
それならそれで仕方ない。とりあえずはもっといろいろなことを知らないと。
ベスとベンさんにもお礼をしなければいけないし、トムじいさんとは約束をしたんだから…。
部屋に帰り、ベスと話をした。
どうやら記憶喪失らしいこと、何も分からないということを伝える。
ベスからは、発見の状況を教えてもらった。
「裏のお山を通る人がいるなんて、聞いたことがない。道に迷って、足を踏み外したんじゃないかなあ。」とのこと。
発見現場にも連れていってもらったが、どうやら崖ではなく、中空から降ってきたと考えるほうが、やはり筋が通るような気がする。
日も翳ってきたので、夕食をいただくことになった。
ベンさんによると、「神官さま」は明日到着するらしい。
彼は俺のことを、「神官さま」の従者か何かと思い込んでいるようだ。
記憶喪失だから分からないと言っても、聞く耳を持たない。
まあいい、明日になれば分かるさ。
「神官さま」なら、「この世界」とか、「幽霊」とか、抽象的な疑問にも答えられるかもしれない。
そんなことを考えながら、ベンさんのお宅にもう一晩ご厄介になることにした。