第百四十九話 お勉強 その2
「この件に関して、デクスター家からは私が全権を預けられています。」
イーサンの言葉に、ソフィア様が頷いた。
とがめだても、嫌味の一つも口にすることなく。
「では、皆さん揃ったようですし、始めます。」
メル家の総領夫妻に、イーサン。
王都から使者として来ていたアルバ伯爵閣下こと、オスワルド・H・アルバ氏。
典礼担当・デュフォー男爵。
そして、レイナ。
インテグラを筆頭としたメル家の幹部衆に、エリザ・ベッカーのような若手から、居候のエドワード・B・O・キュビまで。
で、いつもの3人。フィリアに、俺に、千早。
何の大事が起きたんだ?
「ああヒロ、そう固くならなくて良い。案件自体は、それほど難しい話ではない。脱税だ。」
アレックス様が、俺に声を掛け。
アルバ伯爵は、ちらりとイーサンに顔を向ける。
「父君が、デクスター子爵が出張るまでもない案件か?」と、目で尋ねている。
取りようによっては、相当な嫌味だけど。
イーサン、笑顔で流していた。頷きを返している。
「ただ、背景については理解しておいていただきたいのです。」
「それで諸卿においでいただいた。若い諸君にも。」
総領夫妻が、話を切り出し始める。
「王都資本の、バッハ商会です。」
ま た お 前 か。
王都資本のバッハ商会は、能力主義を採用している。
「下」の立場、いわゆる「奉公人」・「サラリーマン」からでも、共同経営者まで成り上がることができる、珍しい商会だ。
その思想自体は健全なのだが、結果として、商会内部では過当な出世競争が渦巻いていて。
「儲けのためなら、多少のことには目をつぶる」という風儀が、蔓延している。
王国だろうが日本だろうが、商売に携わる者、それは変わらぬところだけれど。
バッハ商会は、少しばかりその……、やりすぎる。
「財産を、王都に持ち帰ろうとしていた。未遂で食い止めたが。」
アレックス様の言葉に、アルバ伯爵が首を傾げる。
「誰でもやることでしょう?脱税では、無いので?」
「アルバ閣下、税は正当に納めていました。今回は、極東道の法に違反したのです。」
イーサンの説明に、アルバ伯爵、かえって混乱したようだ。
用語のせいである。
王国経済刑法は、現代日本ほど複雑ではない。
だから、聞き返した。
「狭い意味の脱税では無く、『経済犯罪』と言うことでよろしいでしょうか?」
「採用します。今後は、横領・背任・脱税、それらを包括して『経済犯罪』と称します。」
ソフィア様が、スッパリ。
今回の事例、あえて名づけるならば、「資本持ち出しの罪」と言うべきか。
地球で言えば中国と似たような法律が、新都には存在している。
一定額以上の私財を極東道の中に持ち込んだり、外に持ち出したりすることは、禁じられている。
それをする場合には、事前に許可を得なければいけない。
日本にもあるらしい。
法律では禁じられていない範囲の行動でも、なぜだかお役所からしつこく電話がかかってくるとか、何とか。
「なぜだと思いますか?……イーサンさんは、少し待っていてください。」
ソフィア様が、問いかける。
それが、「背景」ね。若手に勉強させておきたいことと言うわけか。
代々続く経済閣僚の跡継ぎであるイーサンは、当然知っていると。
「正直、分かりかねます。物価の高い王都に金を持ち込んでも損だとしか思えないですよ、俺には。同じ金でも、新都や率府にいるほうが『遣い出』がある。」
仕送り暮らしのエドワードが、ぼやく。
校尉として働いてくれたとのことで、裏でそれなりの礼金を受けてはいたようだが。
エドワードは、実入りが少ない貧乏。
俺は、実入りは多い(予定だ)が、出費も多い貧乏。
アレックス様や真壁先生は、「それでいいのさ、若いうちは。」と言うけれど。
ともかく。
エドワードの言葉で、見えてきたものがあって。
「王都と新都の、経済格差の問題ですね。4倍ぐらいでしたか?」
それをフィリアが、まとめてくれる。
4倍でも十分に脅威だが、理解のために「100倍」で考えてみた。
王都で稼いだ1万円を新都に持っていくと、100万円ぶん物が買える。
エドワードの言うとおりだ。
王都で100万円溜めれば、新都では1億円の資産家だ。移住したいんですけど。
でも、それをされてしまうと。
新都で全うに生活している人の暮らしを、破壊しかねない。
王都で稼いだ100万円を元手に新都で商売を始められたら……。
ライバルが、いきなり1億円を持ち込んできたようなものだ。新都の商人は倒産してしまう。
100倍だから極端だけど。4倍だとしても。
大商会なら、大きな資本を持ち込むことができる。
10億円を40億円として使われては、たまらない。
つまり。
「王都からの、経済侵略の防止ですか。」
「カレワラの。侵略とは、物騒な。新都も王都も、王国の一部。王都資本の商会が進出しなければ、新都の経済発展も遅れたのでは?」
「各領邦は、メル家のものであることをお忘れなく。本領資本の商会でもやれるところ、王都にも利益を還元したのですよ?」
アルバ伯爵とアレックス様が角突きあわせているけれど。
新都と王都……あるいは、メル家の領邦は、「同じ」国なのかどうか。
問題の本質は、どうやらそこにあるようだ。
日本とアメリカと中国と。あるいは途上国と。みな、「違う」国だけれど。
グローバルには、「同じ」世界だ。
「同じ」なんだから、同じルールでやって、何が悪い。
「遠くの国から金持ちが来て商売してくれれば、その土地が潤うじゃないか。もともと荒地で、ろくに商業も無かった地域だろう?」
アルバ伯爵が主張しているのは、王家や宮廷貴族のメンツだけれど。
背景には、そういう理屈が流れている。
「それにしても、分かりません。」
フリッツが、つぶやく。
「例えばです。王都で大金貨1枚。これが新都で大金貨4枚分の働きをしたとして。」
王都で稼いで、2倍になったとする。大金貨2枚です。
新都で稼いで、2倍になっても、大金貨2枚じゃないですか。
「大金貨8枚分の働きをするとしても、大金貨2枚には違いありません。じゃあ、王都資本の商会は、何しに新都に来るんです?」
10億円を、40億円として働かせることはできるかもしれない。
それで、新都で無双したとして。
でも、稼ぎとしては、あくまでも10億円を元手とした……たとえば20億円じゃないか。
なら、王都で10億円を20億円にするのと、何が違うんだ?
「ヒロさんが言いたいのは、新都の商人が駆逐されてしまうということでしょう?でも、商人が気にするのは利益だ。そもそも王都の商人が、こっちに来るのでしょうか?」
「フリッツ!」
思わず、叫ぶ。
周囲を見回す。
「彼は、紋章官で。戦地にあっては堂々、矢面に身を曝し敵味方の旗印を……。」
「ヒロさん。良いので、説明を。」
ソフィア様!
「安心なさい。フリッツさんの戦場は、別にあります。」
良かった。
「フリッツ。王都は、しがらみも多いんだろう?」
「ええ、まあ。」
「荒稼ぎができないんじゃないか?王都で財産を2倍にするより、これからの街・新都で財産を2倍にするほうが、楽だろう?同じ金額でも、元手を4倍に働かせられるわけだし。」
日本の経済成長率、0%。変化なし。
発展途上国なら、10%。
なにもしなくても1.1倍なら。何かすれば、結構簡単に2倍になるんじゃない?
4倍に働くお金を持ち込めるとなれば、特に。
「あっ……。これは、その……。」
安心しろフリッツ。
アルバ伯爵も、デュフォー男爵も、いま一つ分かってなかった。
「持ち出し禁止は分かるだろ?極東の人材を利用し、極東政庁が整備した港湾や道路を利用して、メル家に治安を維持してもらって、稼いでいるわけだ。」
中国の言い分も、分からなくは無い。
荒稼ぎして、金だけ吸い出すなんて、植民地扱いじゃないか。
「我々は、独立国だ。」
メル家の主張と、その点は、一致している。
「理解できた。王都から大量の資金を投下されて、新都や極東が荒らされてはたまらない。それでも新都を潤すならまだマシだが、儲けだけ王都に引き上げられるのは絶対に許せない。だから資本の出入りには制限をかける。」
エドワードが、深く頷いた。
「極東はメル家のもの。王都に金を搾り取られる農奴になってたまるかと。率府はどうしてるんだろう?」
「西海道にも同じような法律があると聞いているよ、エドワード君。」
「イーサンは全てご承知か。……俺も勉強するかな。つい、『跡を継げるんだからてめえがやれよ』って、兄貴に反発してたけど。」
「それと一応、もうひとつ。極東の大部分はメル家のものだけど、新都は王国に属する。王国としても、新都の健全な発展は、国力の維持・増強のために必要なんだ。率府も同じだよ。」
王都の経済は、少々目詰まり気味らしい。
新たな「成長の核」を育てていく必要があるのかもしれない。
イーサンも、王都に帰って貴族デビューする。
10年から15年後、恐らく再び新都に赴任するのだろう。財務担当として。
見通しの良い人生だと、思う。
それに伴う苦労も、もちろん相当なものだろうけれど。
ついこの間も、体を壊しかけたのだし。




