第百四十六話 ニコイチの会
学園の寮に戻って、ひとつ気づいたことがある。
気楽だ。
これまで俺は、メル館のゲストルームに宿泊していたのだが……。
今や、いざ外出しようとすると、エルトンに「見咎められる」。
「男爵閣下が、供回りも連れずに?」
「鞍に、家紋入りの布もかけずに?」
「旗を持った先駆けも無しに?」
と、言うわけ。
そこにクレア・シャープなど通りかかろうものならば、おお、もう……。
で。
ユルの体格を考えると、馬で出るのも中々大変で。
馬車にユルとピーター、アカイウスを伴って出るとなると。
それなりに、気詰まりである。
だいたい、ユルはともかく、ピーターとアカイウスには、それぞれ仕事を任せている。
その邪魔をするのも、何だ、気ぶっせいだ。
さらに。
男爵閣下ともなれば、訪問先にも気を使う。
久々にブルグミュラー商会など訪れようと思っても。
「マスターが自らお出でになるべきではございません。」
などと、ピーターに叱られる。
「家紋を刺繍した旗を掲げて並木街を行けば、目立ちます。『男爵が、自らいち商会に?』、『王都資本ではなく、ブルグミュラー商会に?』という噂になってしまっては……。」
噂とかされると、恥ずかしいし……。
では、なかった。
「お金の無心と見られましょう。」
そこまでですか!?
「あちらは、貴族への出入りをしない方針です。『いよいよ乗り出すか』という話になれば、迷惑をかけます。『貴族に頭を下げさせて、お金を都合した』などという話を捏造され、傲慢だという悪評を流されるおそれもあります。」
「なるほど、よく分かった。今後は心しよう。」
それにしても、ピーターの気の回ること。
街場との折衝は、十分に任せられる。
「お会いになりたければ、呼び出す。あるいは、どこぞのお店で一席設けるようにされるべきかと。」
「赤坂の料亭」ですね、分かります。
でもなあ。
40歳も年上の「ひとかどの人物」を、呼びつけにするというのは。どうにも抵抗を感じるし。
お店に一席となれば、費用は間違いなく向こう持ち。成長中とは言え、商会としての「格」はまだ低いブルグミュラーさんが爵位持ちを招待するとなれば、費用を張り込まなくてはいけなくなる。
諦めて、では挨拶しがてらファギュスの顔を見るべく天真会に行こうと思っても。
旗を掲げて高級馬車ってのは、ねえ。
それは、貴賎を問わぬのが宗教であるからして。
庶民が「一張羅だけど、行ってもいいのかな?」なんて躊躇う必要がないのと同様、貴族が貴族の格式で訪問したって、何も問題はないんだけど。
そう。
要はやっぱり、気恥ずかしいのである。
それにひきかえ、学園の寮から出向くのであれば。
「乗合馬車に、よっこらしょ」で済む。
「詰襟のまま、馬にひょい」でも良い。
現代日本とは違い、カメラもマスメディアもない社会。
カレワラ男爵の顔を知っているのは、付き合いがある人だけだ。
家紋を掲げて「男爵でござい」とアピールしない限り、「軽い身分の若手貴族なんだろう」で済む。
「その感覚ばかりは、僕には分かりそうもないなあ。」
寮の同室、イーサンが目を丸くする。
朝から鍛錬、温泉(寮の風呂)、栄養バランスの取れた食事に十分な睡眠。
そのおかげで一週間もせぬ内に以前の健康を取り戻した、イーサンが。
「俺には分かるぜ?」
「僕にも。気恥ずかしいだけじゃなくて、その……。」
やはり同室のマグナムが同意し、ノブレスが下を向く。
急に「ご領主」の婚約者となった、ノブレス。
あちこちの零細貴族から、「うちの三男を、四男を、郎党に……」という話を持ち込まれるのに困り果て、実家を飛び出してきたのだ。
「気持ちは分かるだけに、つらいんだ。でも、経営を考えると、雇えないんだよ。」
「「「ノブレス(君)が、経営!?」」」
「また僕のこと、バカにして!……お金や数字のこと、スヌツグにいろいろ教わってるんだ。新都に帰って来てから、挨拶やお葬式や、何だかんだと行き来して、スヌークの思い出話しているうちにさ、仲良くなって。」
スヌツグも、学園の生徒だ。
その意味でも、ノブレスが寮に舞い戻ったのは正解だと思う。
それにしても。
並んでいると、2つ年下のスヌツグの方が、兄貴分に見える。
主筋と郎党って訳でもないのに13歳と15歳でそれってのは、なかなか見られぬ光景だ。
アルバートと仲直りもしていた。
と言うか、酒の席のケンカだ。その場が終われば水に流すのが、貴族の流儀(ねちこく持ち越すヤツも、いるけれど)。
ともかく。学園に滞在している間は、お互い実家だの背景だの、そういうのを抜きにして話ができるから、仲直りもやりやすい。
「やっぱり貴重だよな、こういう『場』。」
マグナムが唸る。
「完全におとなになっちまったら、どうすんだ?ノブレスとアルバートみたいな話だって、ただの『口が滑った』・『手が出ちまった』じゃ済まなくなるだろ?お互い家のメンツとか、あるんだし。」
「それを補うのが社交なんだ、マグナム君。」
イーサンが、名流貴族らしいところを見せる。
「奥様がたのサロンであったり、各種パーティやダンスの催しに出席する。あるいは、自分たちでクラブ・結社を作る。」
「なんか恐ろしげだね。『悪の秘密結社』とか言うし。」
「やってることは、ちょうど今の僕たちと同じだよ、ノブレス君。一室に集まって、おしゃべりするだけ。ただ、身分が高くなったり家庭を持ったりすると、なかなか一人になれないだろう?だから『秘密』にするのさ。」
「で、『高位貴族や有力者がわざわざ秘密で集まっているからには、何か重要な決定が行われているに違いない』って憶測を呼ぶわけか。」
「そういうこと。実際には、恐妻家の会だったり。あるいは、周りの目が気になって楽しめずにいる、スイーツ愛好家の会だったりとか。そんなこともあるらしいね。」
「なあ、俺らもさ、作らないか?クラブを。」
マグナム?
「これから先は、みんなバラバラになる。いや、それは当たり前のことだけど。ジャックとスヌークがいなくなってみて、『別れって、急に来るんだな』って思ったんだ。だからこそ、機会が訪れた時には気軽に会える、家や郎党を気にせず会える、そういう『場』を持つことって、大事じゃないか?」
「そうだな。」
俺は、賛成だ。
「困ったときに頼れる人がいるのは、助かるよね。」
「ちゃっかりしてるなあ。ノブレス君、案外良いご領主様になるかもしれないね。」
「クラブの名前、どうする?」
「ま、ゆっくり考えようよ。お昼でも食べながらさ。」
欲望に忠実なノブレスに促されて、廊下に出る。
「この部屋の番号とか、どうだ?」
「いや、その数字だと、由来や会の目的を、簡単に推理されてしまうと思うね。」
「その数字は、ダメだよ。2人の数字だ。永久欠番だよ。」
てこでも動きそうにない、固い声。
ジャックとスヌークが、暮らしていた部屋だった。
ノブレス……。
「この部屋、開かずの間にするか?」
「いや、それは違うよヒロ君。2人の名は、語り継ぐべきだ。出世部屋にしよう。内装も、他に比べてグレードアップして。『彼こそ』とみんなが認める生徒が、暮らす部屋にするんだ。」
ああ、確かに。そうだなイーサン。
それが、貴族子弟が集まる寄宿学校にふさわしい感覚だ。
「そうだな。よし、俺達のクラブ、最初の仕事だ。掃除するぞ!」
マグナム。それはお前ひとりの趣味だ。
「部屋の縁起を記録に残すことも大切だ。忘れないように、留めなければ。それも初仕事だよ。」
「で、イーサン。クラブの名前は?」
「そうだな。じゃあ、僕達が4人になった、最初の部屋を記念して、251の会でどうだろう?」
「何だかなあ。平べったい名前だよね。もう少しカッコいいの、無いの?」
「俺達がおっさんやじいさんになった時に頭を抱えたくなるような名前よりは、ずっとマシだぜ?」
「そうだな。俺もいいと思う。」
「じゃあ多数決で……いや、全員一致を会則にすべきだろうか。」
「気が早すぎるよ、イーサン!」
「知らぬ間に、ルールを全部イーサンに握られてたりしそうだぜ。」
「悪かった!」
「不愉快な流れを作った罰に。コーヒー、奢りだからな?」
ジャックとスヌークが暮らしていた部屋、316号室であるが。
またの名、JS部屋とも呼ばれるようになった。
この世界には、小学校がない。
だから、何の問題もないわけだけれども。
それでも。
JSの会などという、どこかいかがわしい名前にならずに済んだことは、幸いであった。