第百四十五話 パーティの夜
俺が男爵に叙任されたのは、大戦があった年の12月も末のこと。
正装して、極東道政庁に赴いた……つもりだったのだが。
「ま、この場ではそれでもいいけど。向こうで正式に叙任される時には、燕尾服は少し、ねえ。」
控え室に現れた貴族から、ダメ出しをされた。
わざわざ見に来る、腰の軽い貴族。
立花伯爵閣下をおいて他になし。
「燕尾服では格式が足りませんか?それと『正式に』って?」
「うん。最上級は、衣冠束帯だから。」
維新直後の明治政府みたい。
異世界の服飾文化は、どうなっているのだろう。
「『正式に』ってのは……まあいいや。叙任式は堅苦しいけど、後でパーティ開くだろうから、その時にでも。」
使者に呼ばれ、謁見の間へ。
1年半前、王太子殿下は簾の向こうにいた。
姿を見ることはできず、声だけを聞いた。
半年前、直接にお顔を拝見した。
それから6ヶ月、同じ戦場で時を過ごした。
いまや、簾は掲げられている。
「ヒロ・ド・カレワラよ。清浄な水を得る技術を広め、北賊の社会を解明するなど、卿の王国に対する貢献は明らかである。陛下の名代として、ここに男爵位を授ける。なお、采邑については王都に上り、沙汰を待て。」
「身に余る光栄、謹んでお受けいたします。」
挨拶自体は、シンプルなもの。
こうして俺は、爵位を受けることとなった。
ほぼほぼ正式に、男爵なのであるが……。
「采邑」が、決まっていない。
采邑。
直訳すると、「領地として王から授けられた街」。
実際には、領地をもらえるわけではない。
爵位を受けた法衣貴族が王国から受け取るのは、歳費(お給料)である。
そしてこの、「爵位に対する歳費」とは。
「王都・王畿に存在する、いずれかの街・都市の、租税収入」なのである。
新しく男爵が誕生した場合、空いている街が選ばれるわけだが……。
それがどこになるかは、「王都に行ってもらわないと。出先機関の新都では、分かりかねるし。」という次第。
つまり。
ヒロ・ド・カレワラ氏は、「格式としては、正式に男爵だけれど。それに見合うお給料をいただいていない」状態にある。
だから、男爵(仮)。
よくよく考えるまでもなく、けっこう切ない立場である。
そういう話を、パーティで聞かされたという次第。
この年末は、ともかく宴会が多かった。
大戦に勝利したわけだし。
あちこちで、職階が昇進した者も出ている。
そうそう、職階と言えば。
俺は、百騎長に留められているが、いわゆる「準千騎長」扱いとなっている。
文官仕事をひとつ務め上げれば、千騎長になれる。
位階はそのまま。正六位上。
まあともかく、宴会が多い。
これ以上増やしても仕方あるまいということで。
学園卒業時に爵位を得た(名乗ることにした)者・昇進した者と一括で、パーティを主催することとした。
子爵になったレイナ。
男爵を正式に名乗りに加えたイーサン。
メル家からより大きな領邦を任せられるに伴い、子爵となったフィリア。
このあたりと、連名で。
メインゲストは。
新たに、ご領主となった千早。
同じくノブレスとクリスティーネのペア。
功績第一等のマグナムと、もうみんなが認めてるマリア・クロウあたり。
主催する側と招かれる側。メインゲストと、そうでは無い者。
学園の同期、親友であっても、貴族としての格は分かれつつある。
少し、切ない。
そしてこのメンツの中では、ダントツで俺が貧乏である。
大いに、切ない。
大戦が終わっても仕事が忙しいイーサンには、当日まで会えなかった。
「出席だけしてくれればいいよ。段取りはこっちでつけとくから。」と、婚約者のトモエ・アサヒを通じて伝えておいたのだが。
当日のこと。
「大丈夫か、イーサン!」
「おめでとう」も言わず、そんなことを口走ってしまった。
半年ぶりに出会ったイーサンは、変貌していたから。
どこまでも端正で健全、文武両道の優等生であったのに。
皮膚はたるみ、贅肉がつき……。そう、青膨れしていた。
「つらかったんだな、仕事。休息、ちゃんと取ってたのか?」
「『寝るか食べるか、どちらかは怠るな。死にたくなければ』。家訓と言うには、少々下品だけどね。ウチで良く言われている言葉さ。寝る暇がないから、食べてばかりいた。どうしても必要な接待が続いて、飲む機会も多かったしね。」
ブラックですね。
「大丈夫。先月王都から、応援の一族郎党が到着したんだ。もう、忙しさの峠は越えた。身体も鍛錬をすれば戻る。父も祖父も、そうだった。」
目には、力があった。
「大丈夫」という言葉は、信じても良さそうだ。
そうだ、生まれてこの方鍛え続けてきた身体だ。すぐ戻るに決まってる。
何と言っても、イーサンだもの。
「文官に『つらかったんだな』なんて言葉をかける戦争帰りがいるとは、思わなかったよ。……ありがとう。」
ああ、これだよ。イーサンの笑顔。
顔が変わっても、変わらぬ爽やかさ。
「ヒロ君も、少しやつれたな。僕には分かりようもない苦労、あったんだろう?……おめでとう。よく、生きて帰ってくれた。」
「ああ、おめでとう。……それと、ありがとう。新都のみんなのおかげで、前線は飢えることがなかった。勝つことができたんだ。」
言葉に、力を籠めた。
周りの文官、その子弟にも聞こえるように。
少しあざといかもしれないけれど、感謝していることは事実だ。
それに。
言葉にして伝えなくては、思いは伝わらないのだから。
パーティの夜は和やかに、華やかに過ぎていった。
王国は、大戦に勝利したのだから。
若手はみな、あるいは昇進し、あるいは褒美を受けたのだから。
笑顔に包まれ……。
「貴様!ぶくぶくと太りやがって!ジャックとスヌークは死んだんだぞ!」
振り向いた直後。
ぱあん
と、乾いた音が響き。
ノブレスが、床に転がっていた。
突き出した拳を、イーサンに払われて。
悪酔いしているようだ。
まだ何か、口汚いことを罵っている。
イーサンは、取り合っていない。
ただただ、悲しげな顔をしていた。
本来ならば、「言われたら言い返せ」、「殴られたら殴り返せ」が王国貴族の流儀である。
パーティ会場であっても、それは変わらない。
いや、会場内では、穏やかに談笑するのがマナーであるが。
ええ、汗を流すのも悪いことではありません。
速やかにお庭にお出でいただき、どうぞ心行くまで闘りあってください。
若手のケンカは、それはそれで一つの出し物。
バルコニーから眺めて、「いやあ、我々も若い頃は……」という、「微笑ましい」ひとコマになる。
だが、イーサンは言い返さなかった。
ひとの容姿の悪口を言うなど、最悪の侮辱である。日本だろうと異世界だろうと、それは変わらない。
まして拳を上げられたとなれば、「表へ出ろ」。それが当然の礼儀。
主催者とメインゲストの殴り合いなど、酒の肴としては最高でもある。
「何をためらっているのだ。ほら、やれ。」
周囲の目が、そう告げる。
だが、イーサンは悲しげな顔をしていた。
ジャックとスヌークは、亡くなった。
弱虫ノブレスが、声を荒げて人に手を挙げるような男に変貌した。
戦場が生んだその事実に向かい合って、何を言えば良いのだ。
イーサンの代わりに、親友のアルバート・セシルが言い返していた。
「戦争で一番太ったのは君だろう?ノブレス。ご婚約、おめでとう。あやかりたいものだね。」
立ち上がろうとするところを、足蹴にしていた。
身分の差とか、そういうことではない。
家名持ち同士、若手貴族にとって、これぐらいは「対等扱いしているからこその、じゃれ合い」だ。
……パーティ会場でやることでは、ないが。
このご挨拶をきっかけに、双方表に出ていただければと、そういう流れになる。
なお。
ノブレスは、「魔弾の射手」ではあるけれど。
近接戦闘は、からっきしである。
それこそ、本調子とはほど遠いイーサンに、手も無く振り払われるほど。
ノブレスは、泣き喚いていた。
まともな言葉になっていない。
これではケンカにならない。出し物としては最悪である。
……と、思いきや。
「うるさい!ジャックのことは、クリスティーネのことは、言うな!」
ノブレスも、つらいのだ。
ジャックとスヌークの死は、どうにか乗り越えた。
だが今度は、小なりとは言えご領主になったクリスティーネへのやっかみ。
そしてその婚約者となったノブレスへの、やっかみ。
「ジャック君が命を張ったお陰だね」という言葉。
嫌味ではなく純然たる賞賛のつもりであっても、クリスティーネとノブレスの心に刺さり続けていたのだろう。
ノブレスが、表に出て行く。
後を追おうとするアルバートに、耳打ちした。
「適当にしてやってくれるか?見て分かっただろ、あいつの腕。」
「ヒロ。あいつは、文官全体にケンカを売ったんだぞ?『軍人が死んだのに、後方のお前は贅沢を』って。……領邦貴族と文官は、付き合う必要ないからな。お互い、『後腐れは無い』。」
怒っている。
「後遺症が出るような怪我をさせても、官界において復讐されることはない」とは、少々……。
「それは聞き逃せません。」
サラ・E・ド・ラ・ミーディエ嬢のお出ましである。
クリスティーネは、サラの付き人。
クリスティーネがご領主として独立した後は、どういう付き合いになるのかよく分からないところはあるけれど……。
まあ、「親分・子分」であることは、間違いない。子分の夫を痛めつけると聞かされては、出馬せざるを得ないのだ。
「ええ。ほどほどに、お願いします。ノブレスさんは、極東に必要な人材ですから。」
フィリアも口を添える。
極東における「人間戦術兵器」の一角、「魔弾の射手」ノブレス。
使い物にならなくされては、たまらない。
「モテモテだな、ノブレスのヤツ。……分かったよ!急所は外して、文官の溜飲が下がる程度に痛めつければいいんだろ?簡単に言ってくれるぜ。」
「ありがとう、アルバート。うちのノブレスが迷惑をかけます。」
「クリスティーネとは生徒会の付き合いもあったしな。奥様の顔に免じて、適当にするさ。」
パーティの夜は更けて。
皆が帰る中、残った主催者とメインゲストがテーブルを囲む。
ボロ雑巾が、頭を下げた。
「ごめん、イーサン。分かってはいたんだけど。つい、ジャックとスヌークを思い出して。」
「僕はいいけど、文官全体が悪感情を持った。それは心しておいてくれ。」
腕組みしていたマグナム。
おもむろに口を開いた。
「ノブレスも、イーサンもつらそうだな。……なあ、春まで、学園で暮らさないか?」
学園を卒業した俺達だが、寮の部屋は3月まで空けてあると聞かされている。
急な卒業で、本来の予定がいろいろと食い違ってしまった者のために。
良いアイディアだと、思った。
「そうだな。イーサンは、仕事から離れるべきだと思う。寮で、健康を取り戻すと良い。」
「だろ、ヒロ?ノブレスにしても、もう少し休んだほうが良いと思うんだ。」




