第十二話 ウッドメル その2
案内された部屋に入る。広々としたゲストルームであった。
千早に問われる。
「ヤン殿の霊とは、何の会話を?」
先ほどの様子を、そのままに伝える。
「やはり口を出したのは正解でござったか。」
いろいろあるようだが、ともかく俺は何も知らない。何を判断するにしても、圧倒的に情報不足である。
一から説明してくれるよう、フィリアと千早に頼む。
「そうですね、まずは……。王国の北辺について説明すべきでしょうね。」
いちおう、現状で俺が持っている知識を伝えた。以前、クマロイ村でヨハン司祭から聞いた話である。
「それは間違ってはいませんが、『領主』に重きを置いた説明になっているようです。地理から説明を補足します。と言っても、今も広がり続けている新領域ですので、地名が領主名と重なりがちなのも事実ですが。」
「王国北辺は、東から順に、まずはミーディエ辺境伯領。北に広がる平野に向けて進出中です。ミーディエの西隣が、旧ウッドメル伯爵領。現在はギュンメル伯爵による委任統治が行われています。ヨハン司祭が、ミーディエ領の隣はギュンメル領と説明した理由ですね。ウッドメルの西隣が、本来のギュンメル領。いま私たちがいるところです。ここまでが、王国の北辺であり、王国極東地域でもあります。これより西は、やはり王国の北辺ではありますが、極東地域とは呼びません。」
いったん、言葉を切った。
「ギュンメルの西隣が、リージョン・森です。南北に長い領域で、その北半分がギュンメルと隣り合っています。森と山が多く、主に山の民が支配する領域と言えます。王国との関係について言えば……、山の民の各部族が王国の権威を認める代わりに、王国も彼らの自治を認める、という緩やかなつながりを結んでいます。リージョン・森の北部と王国との取次ぎは、主にギュンメル伯爵が担っています。」
千早がリージョン・森で実習する前に伯に挨拶したのは……。
「然り。学園とリージョン・森との仲介をギュンメル伯にお願いしているからでござる。」
「リージョン・森の西隣が、エッツィオ辺境伯領です。こちらも北に広がる平野に向けて進出中。『エッツィオ』は下の名前ですが、その方が通りが良いために、エッツィオ辺境伯領と呼ばれているのです。」
なるほど、全体像が見えてきた。
「それにしても……ギュンメル伯爵の権限って、随分大きいんじゃない?ヘタしたら戦地を担う辺境伯を超えているんじゃ?」
「ええ、その通りです。ただ、ギュンメル領・旧ウッドメル領は共に、まだまだ安定しきっていない地域。老練な伯でなくては治まらないと見られています。あの人柄ですから、疑いを持たれてもいません。」
「謀反などという、名誉に関わる疑いを抱かれようものならば、黙って引き下がる御仁ではない。それもまた、庶民の間にまで周知の事実でござる。広大な領域を治めて手にした経済力に軍事力、各方面への外交力。それだけの人物が北辺という紛争地域に鎮座しているとあらば、怒らせる訳にもいかぬというわけでござるよ。」
千早の補足が入った。
「もちろん、前提として清廉な軍人気質あってこその、王都からの信頼でござる。先ほど、ケイネス殿の後見人という話が出ていたでござろう?従兄弟とは言え、ウッドメルとギュンメルとは隣接する領主同士。ウッドメル伯の生前は、お二人の仲は良くなかったと聞き及ぶ。それでも、死に臨んだウッドメル伯が幼い子供たちを託したのは、ギュンメル伯にて。まさに『以て六尺の孤を託すべき』人物だということにござる。以来その負託に応え、ここまでご兄弟を育ててこられた。領土の統治に戦争・外交といった外事のみならず、内においても立派な方よと、庶民にいたるまで信頼は篤いのでござる。」
「……だからこそ、ヤンの死は痛いのです。」
フィリアが続く。
「成長してきたウッドメルの兄弟。ケイネス兄は人気もありますが、幼い頃の聡明さが影を潜め、やや文弱に育ってしまったのではないか、これでは父の跡を継ぐ軍人貴族に相応しくない、などという話も出てきていたところなのです。それに対してヤンはいかにもな軍人気質。ヤンによってウッドメルの家を再興しようという話も聞こえ始めていました。それが突然の死となれば……。」
「ウッドメル領を手放したくないギュンメル伯による暗殺が疑われる、ということでござるか。ケイネス殿を傀儡にせんとしている、あるいは呑気そうなこちらの暗殺は後回しにしたと。」
「……三兄弟が預けられたのはいつ頃?」
「7年前です。ケイネスは9歳、ヤンは8歳、セイミは1歳でした。母親はセイミを産んだ後に亡くなっています。」
「7年前、王国北辺はいま以上に不安定でした。その前の年に北賊を北に追いやり、ギュンメルにおける脅威はほぼなくなり、ウッドメルも安定し始めた、その頃です。前の年に追いやられた北賊が反転攻勢を仕掛けてきて、ウッドメルの首府近くで野戦となりました。ウッドメル大会戦と呼ばれています。」
やはりこの世界、穏やかなばかりではないらしい。
「左翼を担当していたギュンメル伯の猛攻で、敵陣は崩れかかりました。これに呼応して右翼のミーディエ辺境伯が前進すべきところ、戦下手な辺境伯はためらった。北賊はそこに活路を見出し、全軍で右翼に圧力をかけ、戦場からの脱出を図ったと聞いています。……ギュンメル伯に呼応して、先陣を前に出していた中央のウッドメル伯爵ですが、助勢に来てくれたミーディエの窮地を見て、本来ならば続けて前に押し出すはずの本陣を右へと振り向けたそうです。ミーディエ勢の盾となり、立て直すための時間を稼ごうとしたのです。しかし、北賊も必死でした。左から回りこんできたギュンメル勢に後ろから追われている。前へ出るしかないのですから。ウッドメル伯爵の本陣も、死戦の限りを尽くしました。粘り強く時間を稼いだそうです。……それなのに、ミーディエ辺境伯は戻ってこなかった。手勢を立て直して改めて前進すれば完勝できたのです。どうすべきだったかは子供でも分かる話なのに。戦友が命がけで自分を助けてくれているのに。それなのに逃げたのです。」
声が、震え始めている。
「粘っていたウッドメル伯爵もついに力尽き、北賊は逃亡しました。それでもウッドメルの粘り、その後の追撃によって、北賊に大打撃を与えました。以来7年、北の辺境では大きな戦争は起きていません。ウッドメル伯爵の大功です。」
杖を握る手が、白い。
「本陣はひどい有り様だったと聞いています。ウッドメル伯爵を守るように、伯の直衛の戦士たちが覆いかぶさっていました。その下の血の海の中から、息も絶え絶えの伯爵が助け出されましたが……。最後に息子たちのことをギュンメル伯に託して、事切れたそうです。」
一気に話したフィリアが、口をつぐんだ。
戦争の経緯まで聞かせる必要はないはずなのだ。
「7年前にウッドメル伯爵は戦死し、ギュンメル伯爵に三人の息子が預けられた。」
それで事足りる話ではある。
会話の範囲の選定、要点の抽出、そういったところでの判断ミスをするフィリアではない。
しかし、フィリアは話を止められなかった。
ミーディエ辺境伯に対する怒り、ウッドメル伯爵の勇戦に対する尊敬、そして悲しみ。
感情を抑えるのに苦労している。親族だもの、当たり前だ。
千早が、説明を代わった。
「当時、ケイネス殿は9歳。いまのセイミ殿のように、聡明なお子であったと聞く。当主が亡くなったのであれば家を継いでも良い年ではござった。しかし、ウッドメル伯爵領はなんといっても最前線。子供に担当させることはでき申さぬ。……しばらくはギュンメル伯爵の委任統治ということで話が決まり、王都の沙汰が下ったのでござる。やや権限が強くなりすぎるきらいはあるものの、ミーディエ辺境伯に任せるわけにはいかぬ。それでは旧臣が収まらぬ。民とても収まらぬ。それほどに見苦しい逃亡だったと聞いており申す。」
辺境伯は、その後どうしているのだろう。
まあそれよりも今は、三兄弟の話だ。
「以来、ギュンメル伯はウッドメルを統治し、安定を築いてござる。ウッドメルの旧臣を取り立てて活躍の場を与え、三人の遺児を育て……。上下みな、そのやり方に敬服しておるのでござるよ。長男のケイネス殿は文弱とも言われるが、北辺が安定しているために初陣の機会がないのでござる。その段階で評価するのは酷でござろう。ケイネス殿の教養にけちをつける者はおらぬとのこと。穏やかな人柄で庶民……特に、おなごの人気が高いでござるな。三男のセイミ殿は、見ての通り素直で明るいお人柄。やはり人気者にて。みなの期待を集めているでござるよ。」
次男のヤンについては何も言わない。
ヤンは?と尋ねると。
「『言わぬ』ということ自体にも意味はあるでござる。『春秋の筆法』でござるよ。」
どうもヤンを評価していないらしい。
まあ、俺とて彼は好きになれなかった。
フィリアがフォローする。
「ヤンは、子供の頃から武術を得意としていました。体が丈夫で向こう意気も強い。軍人らしい、と評価する人も多かったですよ。やや傲慢なところはありましたが、それも『そのほうが貴族らしい』として評価する向きもありました。他にもやや問題はありましたが……。両親がおらず、親族の世話になっていることに肩身の狭さを感じていたのかもしれません。おとなの皆さん、特に軍人の中には、『難しい年頃なのだ。数年すれば落ち着くであろう』・『なあに、若い頃は荒れるものよ』・『それぐらいの方が頼りになるわ』……と言っている方もいました。」
「某は評価を差し控える。悲劇の将軍の息子として同情が集まって当然のはずなのに、庶民の間では人気がなかった、ということだけは申し添えるでござるよ。」
そんな話をしていると、部屋の扉がノックされた。