第百四十四話 翳と陽 その1
俺の叙任の話は、後回しにするとして。
ともかく、敵の総大将の接待役を仰せつかったのは、男爵(仮)になった後のことであった。
「あちらさんですがね、やはり文化が違うらしくて。どうお呼びすれば良いか分からぬので、『殿下』でお願いします。」
それが、フーシェからのレクチャー。
「できれば聞き出しておいてもらいたいこととして……。」
「ああもう、面倒だなあ。酒を飲んで話をするなら、私に任せてはくれんかね。事前に何を聞かされても、どうせその場になれば忘れてしまうんだし。」
それが、一緒に「任務に就く」ことになった、立花伯爵からのお返事。
困ったような笑顔を浮かべて、フーシェが俺に向き直る。
欠伸をしていた目の端でそれを捕らえた立花伯爵、間の抜けた声で呼びかける。
「フーシェ君だったか?欲張りだねえ。男爵閣下は、まだお若いんだ。見透かされてしまっては、元も子もないだろう?」
「承知いたしました。すべて両閣下にお任せいたします。それでは、私はこれで……。」
極東道の政庁、その一角にある、これは迎賓館……であろうか。
その建物が見える前に、フーシェは去って行った。
陪臣とて遠慮しているのか……いや、それは無いな。俺にしても立花伯爵にしても、一番身分の高い郎党を連れて歩いているのだし。
顔を出したくない、見られたくない。そういうことだろう、おそらくは。
「酒がまずくなるような話を。捕虜とは言え、国賓扱いだろう?さて何が飲めるのか。」
神経が太い……という人では、無かったな。
ジロウに手を舐められて飛び上がるぐらいだし。
仕事する気がないだけか。
「ヒロ君、君も固くならず。ああそうそう、プライベートでは『オサムさん』で構わんよ。むしろそうしてくれ。」
そう言われましてもねえ。
オサムさんの前では固くなることなどあり得ません、というか固くなりようもありませんが。
相手が相手だし。
「君は人の話を聞くのが好きみたいだから。そっちを楽しめば良いんだよ。」
まあ、そりゃそうでしょうね。
視界の下方に元凶であるミケの尻尾が揺れているのを感じながら、舌打ちしたい気分になった。
なおこの世界、神様やそのゴーレムは、どこに連れ歩いても不敬とはされない(悪質な神様でない限り)。
人間には足止めのしようがない存在だから。
足元のコイツが典型例だが、その気になれば、どう防いだって入り込んでしまう。
豪奢な建物が、大きく目に映るようになってきた。
俺には場違いだ……などとは、言ってはいけない立場になってしまったわけで。
隣がオサムさんで、本当に良かった。
これがアレックス様やデクスター子爵みたいな、「ザ・貴族」だったら、気後れを感じずにはいられない。
……こういうのも、一種の人徳なのかな。
「何か失礼なことを考えているようだが、どうも君の場合、怒る気になれない。一種の人徳かねえ。」
やっぱりレイナの親父さんだ。
勘の鋭いこと。
噛み付くか流すかが、個性か年齢か、二人の違いなんだろう。
レイナと言えば。
これが一種の社交であるならば、レイナなりフィリアなり、あるいは貴婦人の皆様方も、適任じゃないの?男女ペアになってやるもんだって聞いてるけど。
……その疑問を口にする前に、建物に着いた。
王国側から付けられている衛兵や召使達に案内されて、奥の部屋に向かう。
重厚な扉が、押し開けられる。
緊張せずには、いられない。
さて、どう挨拶を……と思う間もなく、立花伯爵がつかつかと相手に歩み寄っていた。
「ようこそ、王国へ。どうぞゆったり、楽しんで行ってください。私はオサム・ド・立花。伯爵です。こちらがヒロ・ド・カレワラ男爵。何かありましたら、私達にお言付けください。」
「いえ、過分の待遇痛み入ります。私は……名乗るとキリがありませんので。ピョートルとお呼びください、両閣下。」
「それではピョートル殿下、我らもどうぞ名前で。閣下などと、堅苦しい称号は不要です。今後お近づきを求める貴族たちにも、伝えておきます。」
仕事する気がないだろうなんて思って、ごめんなさい。
手早いお仕事ぶりであらせられます。
ピョートル殿下の目が、こちらに向いた。
ピョートルって名前を聞くと、気のきつい人なんじゃないかと思ってしまうのは、たぶん、昔習った世界史のせいだろうな。「ピョートル大帝」なんて人がいたから。
しかし目の前のピョートル殿下、優しそう……というか、気さくそうな人だった。
それこそデクスター子爵ではなく、立花伯爵寄り、かな?
「ヒロ・ド・カレワラです。お会いできて、光栄に存じます。」
「ヒロさん、どうかかしこまらず。気楽にお願いします。」
「そうそう、ヒロ君。君が固くなっては殿下も気が休まらない。……退屈でしょう、こんな箱に閉じ込められて。何かご趣味があれば、言っていただければ。こちらで段取りいたしますので。ともかく、まずは一杯。」
箱に閉じ込められる退屈さは、よくご存知の立花伯爵。
しかしトラ箱とは違い、この豪奢な箱の中では、飲み放題という良さがある。
あれ?
でも、この箱……じゃなかった。迎賓館の中にあっては、主人役はピョートル殿下じゃないの?
「まずは一杯、酒でもいかが?」と話を振るのは、殿下のお仕事では?
俺が頭を巡らす前のこと。
伯爵が言い終わるか言い終わらぬか。
そのタイミングで、スパークリングワインを載せたワゴンが入って来る。
迎賓館は、スタッフからして、さすがに違いますなあ。
こういうのを目にすると、小道具(?)にまで敬意を払わねばならぬ気になる。
スパークリングワインが入っているアレも、バケットもしくはクーラーと呼んで差し上げねばなるまい。
「氷バケツ」じゃあ、作った職人さんにも悪い気がする。
ともかく。
くるくる~のポン、で、シュワ~。
「音頭は、伯爵閣下、いえ、オサムさんにお任せいたします。それが良さそうだ。」
「ご指名とあらば、答えねばなりますまい。では……、『我ら、ここに出会う。その幸運に、乾杯』。」
「「乾杯。」」
ピョートル殿下にとっては、不運な話ではあろうが。
微塵も感じさせず、気楽に気楽に流していく。
役者が違う!
「うん、よく冷えている。うまい。これはなかなか口にできない……おっと、ピョートル殿下のお口には合いますかな?」
「いえ、これほどのお酒、初めて口にしました。」
「私は酒飲みでしてね?北のほうではどのようなお酒を?」
「う~ん。オサムさん、伯爵閣下のお口に合うような高級酒となりますと……。」
「いやいや、何でも飲むから酒飲みなのですよ。地域ごとに、地酒やら庶民の味方やら……。もちろん、今日のような機会をとらえては、高級酒をせしめてもいるのですがね?」
「あはは。それでは……。エールは、王国にもあると聞いています。それに、蒸留酒。麦で作ります。7年も寝かせれば、なかなかうまい。ぶどう酒は、当たり外れが大きいです。」
「殿下もイケル口でしたか。では、次は蒸留酒を。おーい!」
なんだろう。回っているのは高級酒なのに、この居酒屋感。
ピョートル殿下、案外と庶民派だなあ。
7年物のウィスキーなんて、日本にいた頃の俺には高級酒だけど、貴族にとっては安酒だろうに。
「ヒロ君、飲んでいるかね?……すみません、殿下。彼はまだ、酒の良さが分からないのですよ。」
「お幾つですか?15歳?それでは仕方ないでしょう。やはり20歳を過ぎなければ。」
お酒は二十歳を過ぎてから。
異世界では、それはルールではなく、「男の嗜み」の意味合いを持つようだ。
殿下は、25歳。
アレックス様ご夫妻やウォルターさんと同世代。
気さくな人だし、きっと話ができるんじゃないかな。
「しかし、15歳ですか。良いですねえ。いま何を?」
25歳にしては、おっさん臭いことを言っている。
でもまあ、大人になるのが早い社会だから。そうもなるか。
「最近まで、学園に通っておりました。」
戦争のことは、触れぬほうが良かろう。
「学園か……。羨ましいなあ。私も勉強をしたかった。」
「連邦にも、学園があるのですか?」
「ええ。そちらの学園とは、いろいろ違うかも知れませんが。15歳ぐらいまでが通う学園は、こちらにもあります。私は中途半端に帝室にあるものだから、通えませんでした。」
「そうそう、帝室と言えば。世話をする者達が、戸惑っておりました。殿下をどうお呼びすれば良いかと。先ほども名前にはキリがないと……。」
「ああ、私の名前、父の名前、その父の名前……と続くのですよ。帝室には、家名が無い。オサムさんもそうでしたが、こちらでは、貴族にだけ家名があるのでしょう?それで戸惑われたようですね。」
「王国でも、王族には家名が無いのですよ。そちらの帝室と同じ。そうか、世話係は王室のことなど、知る由も無い。それでご無礼を……。」
正確には、「継承権に近いところにある王族」だけど。
そんなめんどうなことを、酒の席で話しても仕方無い。
「いや、ご無礼などと。皇子には違いないが、都から遠く離れた南端に追いやられた、愛されぬ庶子。」
「何を言われますか。どうあっても、親は子がかわいいものですよ。向こうからも使者が来ているそうです。お世話をする人も来るし、身代金も払ってくれるとのことで。財務担当が胸を撫で下ろしておりました。」
「お子さんをお持ちの方は、みな同じ事を言われますね。」
「殿下は、まだお子さんは?」
「それどころか、妻も娶れぬ身。貧乏皇子はつらいものです。身代金にしても、国のメンツがあるから支払うのでしょう。」
「あいたたた。その言葉は、身につまされます。私も貧乏貴族ですので。」
「私も、実は……。この間まで学生で、最近もぴいぴい言っていたところです。」
その後、ピョートル殿下とはやけに話が進んだ。
殿下の生活水準は、「少しだけ余裕がある大学生」「いわゆるサラリーマン」レベルだった。
日本にいた時の俺よりはマシ、「親元から通っていた友人」と変わらない。
領土の端っこで暮らす、構われぬ皇子。
特に仕事を与えられるでもなく、格式に見合う歳費を受けて、行事にだけ出席する。
歳費は少なくないけれど、格式の分だけ出費も多い。
で、残ったお小遣いで、飲み歩き。
もちろん、謙遜もあったけれど。
名目とは言え、総大将に担がれた人物なのだから。
「……趣味は、散歩だそうです。読書をしたいともおっしゃっていました。」
手間も、お金もかからない趣味だ。
いや、読書は金がかかるか。こちらの社会では。
ともかく。
ピョートル殿下との会見の様子を口にしてみて、「やっちまったかな」と思った。
フーシェにそんな話をしても、仕方あるまい。
と、当のフーシェ、案外と真剣な顔をして頷いている。
「なるほど。良い話を。それでは、これですね。」
くいくいっ、ひょい、ちゃっちゃっちゃっ。
3つのジェスチャー。
俺の上機嫌は、一気に吹き飛んだ。
「ちゃっちゃっちゃっ」だが。
小学校の運動会の「応援合戦」で見られる、あれだ。「三三七拍子ー!」
右腕を下から上へ持ち上げながら、「ちゃっちゃっちゃっ」、左腕で「ちゃっちゃっちゃっ」。
フーシェが見せたのは、両腕で三拍。「ちゃっちゃっちゃっ」。
「くいくいっ」は、新橋のお父さんのアレ。
「飲みに行くか?」の、お猪口のジェスチャー。
「ひょい」は小指立て。
くいくいっ、ひょい、ちゃっちゃっちゃっ。
酒、女、ヨイショ。
「それで口を軽くできますね。贅沢に慣れていない人のようですから。」
どうにか、顔を作り直した。
非難してはいけない。
それが、フーシェの仕事なのだから。
「……ありがとうございます、カレワラ閣下。」