第百三十七話 光 (R15)
「『霞の里』の者が、ずっと見張っていたのでござるよ。いや、取り決めに従い、付いて回っていたのでござる。」
2人して跨った、グリフォンの背。
いつものようにヒュームの言葉には、抑揚が無かった。
「王畿にも、ニンジャの里がござる。ダミアン殿の郎党は、そちらの出身にて。」
「極東は、『霞の里』の縄張り。『仕事』をするなら監視させてもらうと、そういうことか。」
「平時であれば、互いに挨拶を入れておくのみにござるが。戦時ゆえ。」
張り付いていた「霞の里」のニンジャによると。
ダミアンは大きな笑い声をあげたのだとか。
後日、記録を整理する中で理解した、この日の王国軍の動向と合わせると。
王国軍は、北上の後、右に旋回。
先鋒のウッドメル軍団は、そのまま東南へと進撃した。
右翼のウマイヤ騎兵隊は、枝分かれするように南へと進み、一帯を駆け回る。
本軍は、少し遅れて後詰め。
ゆっくりと東に向かい、南方へと部隊を派遣した。
これは後で聞いたところだが……。
ウッドメルが、先行しすぎていたらしい。
後ろからの圧力を受けられず、それが初期の苦戦につながったのだとか。
千早とダミアンは、セルジュ率いる騎兵隊の後ろ、本軍の左後方に位置していた。
護軍校尉の仕事とは、味方の危機を救うこと。本来のポジションで、待機していたというわけ。
征北大将軍王太子殿下の策が当たり、本軍も前へと動き出す。
セルジュの騎兵隊は、本軍の左翼からやや左、東北東方向を突いた。
一帯をスイープし、本軍の動くスペースを確保する狙いだ。
騎兵隊の動きをフォローしつつ、やはり本軍の後衛に回ろうとした千早の部隊。
その後方……西から敵が現れた。
敗走している。
その時だそうだ。
最後尾にいたダミアンが、大笑したのは。
「五路だ!五路だった!立花が動くか!ミーディエに続き、立花までも!」
天を仰いだと。
頸を直角に折り曲げ、まさに天を仰いだのだと。
「ははははは!あ、あははははははは!私は、私の道は!きまった!」
「『きまった』と聞こえたそうでござるが、何しろ泣き笑いだったゆえ、定かならずとのこと。」
敗走してくる敵から、一部隊が突出してきたそうだ。
意図は、明白。
逃げる味方のしんがりとなり、時間を稼ぐ。
死兵だ。
「これは、私の仕事だ。護軍校尉殿には、前進するよう伝えてくれ。」
使者を出したダミアンの顔は、狂態など感じさせぬものだったと言う。
日頃の思慮深さ、あるいは少しばかりの陰気さ……それも一切感じさせぬ、青空のように晴れやかな顔。
「さて諸君。ここにいる諸君……いや、我々は、今次大戦で失点を負っている。挽回するためには、命を張る必要がある。敵は死兵だが、それはこちらも同じ事。あれを打ち破り、敗走兵を追って手柄にするぞ。死傷者は見捨てよ。ただ前へ。いざ!」
現場のダミアンは、身に五槍を受けていた。
それでも、目には光が宿っている。手にした槍を、手放そうとしない。
穂先にかけられた敵も、ダミアンに突き入れた一槍から手を放していない。
二人の郎党が、辺りに倒れている。
酸鼻な光景。
敵は、負け戦だ。しんがりは、一人の相手にかかずらうべきではない。
逃げては戦い、逃げては戦い、見苦しいまでに生きあがきつつ死ぬのが、仕事なのに。
ましてこの男、副官のはず。しんがりの指揮を取ることこそ、仕事なのに。
俺の姿を見た男が、渾身の力を込めてダミアンに槍を突き入れ。
そして、手放した。
「殺せ。」
敵が負っているのは、致命傷ではないかもしれない。
だが。
業だ。
業とは、これを言うのだ。
断ち切らなくてはいけない。
いや、そんな綺麗ごとじゃない。
愛するペネロペを殺された男が、俺達に抱いた憤怒。
同じ憤怒を、友を殺された俺も、男に対して抱いたというだけ。
殺されたのだ。
ダミアンは、助からない。
そんなことまで、見極めがつくようになってしまった。
ダミアンの手を取り、支え、力を貸して。
男に、止めを刺した。
「ダミアン・グリム殿、敵を討ち取ったり!」
ヒュームの口上を背にしつつ、ダミアンを連れ帰る。
使者からダミアンの様子を聞いたフィリアは、自分が出ると言い出した。
しかしグリフォンの定員は2名。
掃討が済んでいない戦場に、フィリアを供一人で出すわけにはいかない。
「必ず連れ帰るから」と言い聞かせて、出てきた。
正解だったと思う。
フィリアに見せたい光景ではない。
軍のトップに見せて良い光景でもない。敵に怒りを覚えてしまったら……。
「伝えて……アレックス様に、フィリア様に……。」
「直接言え、ダミアン!」
まだ体の中にある、ダミアンの霊に呼びかける。
閉じかけていた目に、再び光が点った。
それでいい。生き意地汚くてこそ、軍人だ。
防塁には、アレックス様も帰還していた。
フィリアとアレックス様。2人を前に、再びダミアンが詫びを口にする。
「申し訳ありません。五路、併進……。」
「そうだダミアン。五路併進、君の手柄だ。君のお陰で、私達は勝った。」
アレックス様の力強い励ましに安心したか。
安心してしまったか。
ついにダミアンの霊が、体から抜け出し始めた。
「ダミアン!まだ言う事あるだろうが!」
フィリアが、無言でダミアンを抱き締める。
だめだ。引き止められない。
分かっていたことだけど……。
「校尉殿。いや、名で呼べと言われていましたか。……ヒロさん、何を勘違いされています?」
死んだ途端、元気になりやがって。
相変わらず小憎らしい。
「言わなくていいのかよ。最後のチャンスだぞ!まだ間に合うだろ、戻れば……何ならこの棒で叩き戻してやっても……。」
「化け物にするつもりですか!だいたい私は、アレックス様に憧れていたんです。家柄も、三男というハンデも、全て跳ね除けて。己の手で地位を築き、お姫様と結婚。その背中を追ってきたんですよ。その憧れのアレックス様に、最後に声をかけられてしまっては。もう踏ん張りが効きませんでした。」
「知ってるよ。でもそれだけじゃないだろうが!」
「相変わらず嫌な人だ、あなたは。私はいまさら、気づいたって言うのに。……お姫様に憧れていたんじゃない。フィリア様だったんだ。」
「だから、最後に!」
「言い逃げなどと、卑怯な真似はできません。……ああでも、生きていたかった。生き残れば、ヒロさん、……いや、ヒロ。やっと君にも並べたのに。やっと、同じスタート地点に立てたのに。」
悪知恵小知恵が働くくせに、どうしてお前はそう、潔癖なんだよ。
最後だって。敵の旗印を、紋章を見たんだろう?
それで、自分で決着を付けるって……。
「これ以上ここにいては、未練が残るばかり。」
自分の体をずっと抱き締めているフィリアから、目線を俺に切り替えて。
己を励ますかのように、声を……俺にしか聞こえない声を、ダミアンが張り上げる。
「短い付き合いでしたが、悪くなかった。皆さんにもよろしくお伝えください。……メル家に、栄光あれ。」
純情な策謀家は、あまりにもあっさりと、潔く。
光に変じていった。