第百三十四話 ハンマーと鉄床、そして肘
俺もだいぶ戦場ずれしてきたかもしれない。
剣戟の音が響こうが、寝られるようになった。安全だと信じられる限り。
睡魔には勝てないし、寝るべき時に寝ておかないと、後が大変だ。
一方で、異変には敏感になるのが、軍人稼業。
戦争とはやや趣の違う物音に、目を覚ました。
隣の少年も、むくりと起き上がる。
寝起きの顔も爽やかなことで。
「なんだ?大工仕事か、ヒロ?」
「奪った陣地の防御を固め直してるんだろ?」
伸びをしながらエドワードと顔を見合わせた、その向こうから。
ぬうっと、気配が生えて来た。
「肝が太いことで。……友愛大隊を先鋒に、ダミアン殿を指揮官として、西に援軍を送ったところでござるよ。」
「お、ヒューム!久しぶり。今日はこっちに?」
「会戦となれば、ニンジャの区々たる撹乱など、意味がござらぬゆえ。槍働きに加わるでござる。さて、現況にござるが……。」
仮眠を取っている間に、フィリアは敵の逆撃を退けていた。
そして西へ援軍を出したとのことだが……。
こちらが立花、ウッドメル、本軍、ギュンメル、ミーディエと5つに分かれているように、敵の防塁も5つあった。
立花軍団は、最西端の防塁と睨み合うのが仕事。「五路併進」と名づけられているが、こちらからの進撃は予定されていない。
最東端の具体的な戦況……「ミーディエ辺境伯が敵の防塁をズタズタにした後、南北に進軍した」ことは、この時にヒュームから聞かされた。
中央は、俺達が突破して一番乗り。
と、言うわけで。
残るはギュンメルとミーディエが担当する2つの防塁。
東の防塁は、南下したミーディエ支隊が襲い掛かったところに、ギュンメル軍団が上陸を試みている。
「時間の問題でござろう。」とのこと。
問題は、西の防塁。
ウッドメル大城を睨む位置に作られた防塁ゆえ、中央にあった敵陣(最前線全体を統括する役目を担っていた)と並んで、防御も固ければ籠められている兵数も多い。
「ウッドメル軍団が上陸に手間取っている」と聞いたフィリア、敵の逆撃を防ぎつつ兵を分かち、西に援軍を出したと言うのだ。
「肝が太いことで。」
エドワードが苦笑を見せる。
「十分寝たことだし、俺達も出るぞ。」
「必要ありません。エドワードさんはこちらに留まってください。千早さんとヒロさんにお願いします。千早さんは護軍校尉として、ヒロさんは私の名代として、会議に出席を。」
先ほど落としたばかりの司令室で、これがフィリアから聞かされた言葉。
「西の防塁が堅いことは知ってるだろ、フィリア?いくら友愛大隊でも、手間がかかるんじゃないのか?こちらの死霊騎長殿と俺に……。」
「混乱状況ゆえ。」
息継ぎを測ったかのように、ヒュームが口を開いた。
そのひと言で、十分。
城門を開ける手引きは、ニンジャの仕事というわけだ。
エドワードが苦笑して引き下がる。
一方で防塁の守備は、三校尉の仕事ではない。
陣地を守っているのは、メル郎党の、それも中枢に近い精鋭だ。
彼らに威令を及ぼす仕事は、メル直系のフィリアでなければ務まらない。
俺を代理で会議に出席させるというのは、分かるけれど。
しかし、千早を?
身辺から離すのか?
「エドワードさんには、しばらく千早さんの代わりをしてもらいます。身辺に立ってもらう必要はありませんけれど。」
「承知。防塁内で遊撃担当だな?」
案の定、西の防塁はこちらの手に落ちていた。
俺と千早が到着した直後、南から征北将軍閣下の個人紋を掲げた大船も接岸。
すぐに会議が開かれる。
「準備が整い次第、本軍は北進する。」
ギュンメル将軍とミーディエ辺境伯、そしてフィリア。
3人の重鎮が不在の中で開かれた会議の冒頭、アレックス様が言い放つ。
「分かるか?」
北進してきた司令部に集まったメンバーは、ほとんどが若手。
すぐには分からず、お互いに顔を見合わせる。
「ミーディエの動き方について、各人報告を聞いているな?辺境伯閣下は軍を二手に分けた後、明確に姿を見せて北へ向かった。」
「敵の本軍を叩く姿勢を見せたわけですね?」
「そうだ。死戦を誓われた閣下の指揮だ。対応しなければ、食い破られる。」
「敵が対応する。閣下が東から引き付けている間に、本軍が西から叩く。……ですか?」
「それでは弱い。諸君みな知っているところであろうが、挟撃とは、『ハンマーと鉄床』だ。しかし、二つに分けたミーディエでは、鉄床が小さすぎる。」
「合流、ですか。南の分遣隊が……。いや、違う。南の分遣隊に合流するんだ。前進してくるギュンメル軍団とも合流し、大きな鉄床を作る。」
ミーディエ辺境伯とは、しばしば会見してきた俺。
心のありどころが、少しずつ分かってきていた。
「そうだ、ヒロ。敵は必ず食いつく。」
アレックス様が見せたのは、冷えたまなざし。
仕事をする男の目。
千早が、理解はしていても少し苦手としている、彫像のような顔。
こんな顔を見せるときのアレックス様には、間違いはない。
敵は必ず食いつく。
彼らは、威勢良く向かってきた「西蛮(王国)」の軍団に泡を食ったことだろう。
しかし朝になってよく見れば、その旗印は、あろうことかミーディエ。
9年前に見苦しい敗走を晒した、弱兵ミーディエではないか。
勢いづくであろう。
奇襲を食らった腹立ちもある。
絶対に出てくる。
辺境伯閣下、自分の悪評を利用して……。
若い頃から華々しい道を歩み、いまや大邦のあるじという、貴族の中の貴族なのに。
一番大切な面子を、足蹴にしてまで。そこまでこの戦に……。
「みな、後は分かるな?」
「後退していくミーディエは、大きな餌です。鉄床に向かって、敵が誘導されていきます。」
「敵の軍団は、腰が伸びます。策を見抜いても、止め切れない。混乱はあるでしょう。その脇腹か後衛を、ハンマーの本軍が叩く。」
「昼過ぎといったところでしょうか。12月は陽が短い。追撃の時間は、限られています。」
「全員理解したな?では、分担を定める。」
ギュンメル、ミーディエ、立花は、それぞれ既に役目を負っている。
分担を決める必要があるのは、ウッドメル、本軍、ウマイヤ、そしてフィリア麾下。
「先鋒はウッドメル!」
現地の兵が先鋒を務めるのは、当然のこと。
義務でもあり、名誉でもある。
「その後に本軍が続く。この陣地は放棄する。ナイト隊は軍監麾下に合流せよ。」
流れるように指示が飛ぶ。
「ウマイヤは本軍の右備え。」
「拝命した。戦場を駆け巡ればよろしいな?」
「各軍団の分担は良いな?では、司令部の諸君だが。」
「某は、護軍校尉として本軍に参加するよう命令されてござる。」
「千早は、左備えだ。主戦場は我らから見て右手になる。後ろからバックアップを頼む。ダミアンは……。」
「私も、千早さんと行を共にするよう言われました。」
「ヒロとエドワードは、フィリア、いや軍監麾下だな?」
「はっ。」
アレックス様が、苦い顔を見せる。
フィリアの、俺達の担当は、最激戦地の一つになるから。
9年前。
アレックス様は、ウッドメル大戦で功績第一等に賞せられた。
当時アレックス様が配置されていたのは、ウッドメル軍団の最西端。ギュンメル軍団との境目付近。
西のギュンメル軍団が北上して敵を撃破、さらに東へと旋回する。
ウッドメルが前に押し出していれば、アレックス様の担当は、「ただの一部隊」であった。
しかし故・ウッドメル伯爵は、部隊を前に押し出した後、後衛・本陣を連動させること無く東へと移動させた。ミーディエ軍団を守るために。
その結果。
残されたウッドメル前衛は、混乱した。
その一部……特に、東側の部隊が、ウッドメル伯爵を守るべく後退して合流しようとした。
しかしアレックス様は、動かなかった。
「先陣が命令無く後退するのは、軍律に反する」という形式的理由もあったが……。
その本質的理由は、別にある。
西のギュンメルが、前に出る。東のミーディエに代わり、ウッドメルが鉄床になる。
では、その境目。
ウッドメルの西側前衛とは、何か。
ギュンメル軍団の旋回軸に当たることとなる。
「ハンマーと鉄床」で言うならば、「肘」のポジションだ。
絶対に動いてはいけない。
混乱する戦況の中、それを一発で見抜いたのがアレックス様だったのだ。
鉄床は、動かない。
壁として、面になって、敵を圧迫する。
ハンマーは、後ろから衝撃を与え続ける。
部隊を代わる代わる前に立て、押し出してくる。
敵としては、横に逃げる他ない。
逃げる敵については、最終的には、「逃がしておいて、後ろから追う」ことになるわけだが。
その前に、十分に叩く必要がある。
逃げる敵を「点」で食い止めるのが、「肘」なのだ。
そうした理屈など関係なく、本能(?)で他所から激戦地を嗅ぎ付けてきた、ジョー。
彼が見たのが、百人を率いるはずの十騎長が、千からの人数の先頭に立ち、さらに兵を引き寄せ続け、押し寄せる敵の屍を山と築き上げている光景であった。
「黄金色に輝いて見えたよ。凄惨なはずのに、見惚れちゃった。あれほど美しい光景を、僕は他に知らない。」
事あるごとに、語り草にしている。
先の大戦では、状況の偶然によって「肘」が生まれたわけだが。
今回は、初めから「肘」が存在している。
北から誘引された敵。
南にはギュンメルとミーディエの「鉄床」。
北西からはウッドメルと本軍の「ハンマー」。
東は山だ。西の、王国本軍後衛を、細く薄い「前腕」を、突っ切るしかない。
それを防ぎ止めるのが、「肘」。
防塁を中心に展開し、戦線崩壊まで敵を堰き止める仕事。
厳しい戦いになることは、フィリアも理解している。
自分を心配するアレックス様の気持ちも、その立場も。
だからこそ、千早は出すにしても、エドワードと俺、友愛大隊を手元に置き、マグナムやヒュームを引き抜き、工兵隊で固めた陣地にナイト隊を呼び寄せ……。
と、手厚い準備を重ねているわけだ。
司令部の準備は、整った。
後は、現場の部隊への通達を……。
「申し上げます!ミーディエより、急使です!」