第百二十九話 通常業務(おしごと)に関する覚書 その2
セルジュと話し込んでいた、そのあいだ。
同じく馬の背にあったダミアンは、珍しく首を突っ込んでこなかった。
やや遅れ気味に、ついてくる。
何か考え事をしているようだ。
馬上は考え事に良いとは、言われているけれど。
速度が出ていなくとも、馬の背は高い。あんまり上の空では、落馬の危険がある。
一応、戦地なんだし。
セルジュとの会話を終えて、振り返り振り返りし始めた俺に、ダミアンの郎党がそっと近づいてきた。
「お気遣い、かたじけなく存じます。グリム一党は、慣れておりますので。」
十数人の郎党衆が、視界を妨げぬ程度に離れながらも、ダミアンを取り囲んでいた。
一人が徒歩で、馬の後ろをついて歩いている。
考えるのがダミアンの通常業務。
そんな彼を支えるのが、郎党の通常業務。
徒歩の郎党は、足音を立てない。気配が小さい。
「ダミアン含め、全員ニンジャ技能持ちだと聞いたけれど。グリムの家伝かい?」
郎党が、曖昧な笑みを浮かべている。
「聞くな」ですか。はいはい、分かりましたよ。
そのまま、司令部に帰り。
ソフィア様からの苦情も込みで、報告・復命し。
そして俺も、通常業務に戻った。
北賊の南進以来、ほぼ司令部に詰めっきり。その後は休暇というわけで。
ここのところ、現場巡りが疎かになっていた。
数日かけて、東のミーディエから、マグナム連隊、本軍にギュンメル、ウッドメル隊に西部山岳地帯。
特にこれと言って異状は無かったのだが、ちょっとした発見があった。
上空から眺めていると、兵気がよく見える。
開戦当初は、全軍が緊張していた。
各部隊、みな似たように見えたものだったが。
大規模な戦闘が始まってから、4ヶ月が経過している。
各部隊、少なくとも一度や二度は戦闘を経験して、当初の緊張がほぐれたらしい。
図太くなるのは結構だけれど、懶れている連中もいる。
どやしつける必要は、無い。
賞罰が記録される閻魔帳を持った監軍校尉が降り立てば、それで十分。
みな粛然と頭を垂れ、その場で練兵が始まる。
でもこれ。
俺じゃなくて肩書きの威厳だよな、間違いなく。
「分かってるなら、気合入れろ!殺気を飛ばせ!」
「脅してどうするんだよ、朝倉。だいたい、えこひいき無く平らな目で眺めようと思うとさ、どうしても控えめになるもんじゃないのか?」
「千早にも言われてござろう?常日頃から気合を入れておれば、それが平らな立ち位置になる!強面と公平は、矛盾せぬ!」
あー、そう言われれば、確かに。
心得違いでありました、モリー老。
「兵隊のことをダレてるとか、言えないぞ。」
「ヴァガンって、案外キツイわよね。」
「こんなんでも出家なんでしょ。」
失礼だろ、ピンク。
大悟を得る人には、案外こういうタイプも……
「外回りかい、ヒロ君?」
ジョーが、笑顔を浮かべていた。
「助かるよ。ここのところ、兵士が戦場に悪ズレしちゃって。緊張感に欠ける部隊が出てきた。ちょっとね、良くない状態だった。」
上空から見なくても、兵気を感じ取ることのできる男。
俺とこの人との差は、どこにあるのだろう。
単純に経験の違いなのか。こういうことにも、才能があるのか。
「浮かぬ顔だね。ヒロ君も気づいてたか。いや、大きな心配はいらないよ?でもまあ、若手の高級士官さまは、潔癖と相場が決まってる。全軍がたるんで見えるんだろう。それぐらいでちょうど良い。緩いよりは厳しい方が、ずっとマシさ。」
勘違いしてくれたみたいだけど、俺から誤解を釈くことは、しなかった。
上機嫌を損ねることもあるまいと思ったから。
この人は、「上」が無能であることを、間抜けをさらすことを、ことのほか嫌がる。
「下」の無駄死にに、直結するから。
「全部隊を見てきた?」
「あとは、大城周辺の守備隊だけですね。」
「ああ、邪魔しちゃったか。じゃあ僕は、お先に司令室へ。」
気力の横溢した後ろ姿が、去って行く。
あれが、威厳なんだろうな。
守備隊を回るついでに、城外の幽霊も見てこなくては。
激しい戦闘もあったことだし、数を増やしていることだろう。
生死不明扱いの者、手柄を評価されそこねた者。
聞き取って記録する必要がある。
賞罰は公平に。
追い使って、死なせてしまったのだから。せめて、それぐらいは。
彼らだって覚悟の上ではあるはずだから、罪滅ぼしと言ってはおこがましいけれど。
それでも俺としては、心の負担が軽くなる。
ついでに言えば。
「君の部隊の○○だが、××地点での戦死が確認された。彼の生前の功績は……ということだが、確認できるか?」
と、所属部隊を訪問して直接に告げれば、士気が強烈に上がる。
「記録前に死んでも諦めず、幽霊になっておけば良いのですね?おい、お前たち、朗報だ!……」
死ぬことは覚悟の上。だが無駄死には耐えられない。
家のため、家族のために、何かをつかんで贈りたいではないか。
その点、今回の大戦はラッキーだ。必ず記録してもらえる。
「これで安心して死ねます!」
結局、彼らをますます追い立てている。
それが俺の通常業務。
「勝利が全てを正当化する。」
そうでしたね、アレックス様。
勝たねば、土地が得られない。
せっかく手柄が記録されても、彼らが思い焦がれている褒賞は、ずっと小さなものとなる。
「徹底することです。」
分かっています、ソフィア様。
マグナムは、なぜ英雄に祭り上げられたか。ジョーの後ろ姿は、なぜ気力に満ちているのか。
千早は、どうしてあれほど力強く美しいのか。
アレックス様は、なぜ光り輝いているのか。
ソフィア様は、フィリアは、どうして郎党をひれ伏させるのか。
分かっている。
兵を、郎党を、「乗せる」ためだ。
彼らを乗せ続けなければ。最後まで、駆り立てなければ。
上下一つになって、勝利を得なければ。
俺にも、為すべき振る舞いがある。
生まれながらの貴族ではない俺は、演じ続けなくてはいけない。
死んで現世の軛から自由になった幽霊の前でその姿を曝すことは、気恥ずかしいけれど。
それでも、徹底しなくては……。
あれ?
7月に会った時はフリーダムだったのに。
幽霊諸君、随分と規律正しい。
「監軍校尉殿。すでに名簿と生前の手柄を、こちらに記してあります。」
また随分と手際の良い。
「検証はさせてもらう。構わぬな?」
「はっ!」
拍子抜けだ。
こっちが気合を入れた後に限って、これだもの。参るよなあ。
名簿を渡してきた男は、どうやら代表者らしい。
直立不動の敬礼の後、口上を述べてきた。
「ギド・ホーク十騎長以下四百二名、軍監閣下の直命により、これより監軍校尉殿の指揮下に入ります!」
軍監?フィリア?
俺の留守中に、何を?
決意を固めたばかりだったことが幸いした。
動揺を顔に上せずにすんだ。
しかつめらしい顔で、ギド・ホークに、402名の幽霊に向かい合う。
みな、ガチガチに緊張している。涙を流す者もいた。
フィリアから直々に声をかけられての任務となれば、そうもなるか……。
乗せたからには、徹底して最後まで。
「了解した!諸君を統率できること、私も幸いに思う!」
しかしフィリア。
なぜ?
何をしたんだ?