第百二十九話 通常業務(おしごと)に関する覚書 その1
イースから司令部へと向かう帰り道。
南ウッドメルの平原で、セルジュに出会った。
……と言うか、セルジュに待ち伏せされていたようだ。
まあそりゃあね、平原での待ち伏せは、騎兵の通常業務だし。
セルジュ・フィルマン・モンテスキュー十騎長。
メル家郎党の名門、モンテスキュー家の総領息子。
名目は十騎長だが、一族郎党併せて数百騎を統率する彼の立場は、実質的には百騎長。
いや、ひょっとすると千騎長に準ずるかもしれないぐらいの勢力を持っている。
司令部入りすれば間違いなく校尉クラス、俺やダミアンの同僚になるところだ。
セルジュと俺は、新都のインテグラの指導のもと、衛生管理も担当している。
現場では、俺が名目上の責任者で、ちょいちょい指示を出す。
日本にいた頃は、パン屋でバイトしてましたから。こればかりは、自信がある。
まあともかく、そうした俺の指示を、騎兵のセルジュが全軍に通達する。
と、そう言った次第。
統率という仕事に慣れているセルジュは、さすが人員管理のノウハウを持っていて。
衛生管理の指導も、全軍に行き渡っていた。
疲れも見える王国軍だが、おかげで疫病などは流行っていない。
ますます、司令部向きの人材なんだよなあ。
「評価はありがたいですけれど。私に必要なのは軍功ですし、褒賞も。」
多数の部下を抱えるセルジュは、自分ひとりが事務仕事で評価されても、あまり意味が無い。
戦場に出て部下に功績を立てさせる(立てる機会を与える)ことが、本分だから。
褒賞も、お金よりは、土地を受けたいところだ。目立つ手柄を立てた部下に、分け与えるために。
武家の郎党達は、小さな村でも、なんなら3軒分の農地であっても、「領邦」のあるじになりたくて仕方ないのである(通常、そんな領地の与え方をすることはないけれども)。
部隊として戦功を立てられなければ、モンテスキュー家が身を切って土地を分け与える必要も出てくる。
「今次大戦は、平原での野戦。我ら騎兵は、期する所大でした。しかし大河を挟んでの防衛戦では、目立つ手柄が立てられません。」
騎兵は、攻めの兵科。
拠点防衛には、向かない。
逆にナイトは、守りの兵科だ。
突撃するには、足が遅い。
貧しい郎党や振るわぬ家の子が、歩兵・レンジャーを目指すのも当然かも知れない。
歩兵ならば、装備品の支出が小さく、戦場を選ばず働ける。
大手柄は難しいけれど、かわりにチャンスはまんべんなく存在する。
ぼんやりそんなことを考えていられる余裕は、俺にはあってもセルジュには無かったようだ。
「しかしいつまでもこのままと言う訳にも、行かないでしょう?敵をただ見ているだけでは、征北大将軍府の威厳に関わる。ウッドメル家としても、領地に攻め込んだ相手には鉄槌を下さなくては。いえ、ウッドメル家にとどまりません。メルの名に、沽券に関わります。」
激しい口調で、水を向けてくる。
「会戦は、騎兵の出番は、あるんですよね?」とばかりに。
「ヒロさんも、驍騎将軍閣下にお付き合いされて、戦場を騎行されたとか。その前にも大手柄を立てたと伺いました。うらやましいお話です。」
驍騎将軍府・ウマイヤ家は、小なりといえども手柄を立てた。
そりゃあ、協力してくれる他家にも、手柄のチャンスを与える必要はあるだろう。
しかし、極東はメル家のもの。この戦争はメル家の戦。
「メル家の騎兵に出番が無いなんて、認められないよなあ」と、そういうわけだ。
現場担当でもない俺が手柄を立てたことも、つついて来る。
セルジュの本質は、才気溢れる爽やかな少年であって(ついでに言えば美少年だ)。
この絡み方は、あまりにも「らしくない」。
司令部付きから情報を得るのに、必死なのだろう。
セルジュのことだ。
上には愚痴を言う事もせず、下をなだめすかし、押さえ込んできたに違いない。
それも限界に近いから、こうして俺をつかまえたのだ。
こちらからのサポートが無ければ、現場の士気が崩壊しかねない。
でも、直接教えるわけには、いかないんだよな。
作戦の秘匿は、司令部付きの、通常業務だから。
「……セルジュ。千騎を率いる君の意見を聞きたい。この戦をどう見る?」
「千騎」というお世辞に、セルジュが愛想笑いを返してきた。
実のあることを言えないから、お世辞で誤魔化す。それぐらいは分かるセルジュだ。
だからと言って怒ったり脅したりは、すべきではない。
情報源に反発されては、元も子もないではないか。
だから、愛想笑いで話に乗る。
16歳の彼は、すでに経営者の顔をしていた。
15歳と16歳なのに、やってることはすでにオッサンだよな。
「騎兵としては、『川の向こうに陣を張り、平原で大会戦を!』……と言いたいところですが。彼我の兵力差を考えると、無謀ですね。」
頷いておく。
「大城という拠点を築き、敵の消耗を待つ。戦略としては分かりますが。では、いつか敵が退却するとして。その時に、ただ見送るのか追撃をかけるのか。消耗や『万一』を嫌うならば、見送るということになるのでしょうけれど。」
セルジュの恐れは、そこにある。
見送るのでは、騎兵に出番は無い。
是非、追撃命令を期待したいところ。
「退却してくれるかなあ。」
士気の維持と機密保持。
考え合わせると、俺が口にできるのは、これが限界。
セルジュが、ようやく年相応の快活な笑顔を返してきた。
「さて、私には何ができるのでしょう!」
やっぱり、ひと言で理解してくれたか。
とんでもない才幹だ。
直参に、あるいは「良い家」に生まれていたら、それこそウッドメル伯爵・ミーディエ辺境伯・デクスター子爵になっていたに違いない。
いや、中流貴族であっても、ひょっとしたらアレックス様のように大出世を。
まあ、それはともかく。
「退却してくれるかなあ。」である。
司令部が恐れているのは、そこなのだ。
敵は、見渡す限りの大兵力。北ウッドメルでは、水運も利用できない。
となれば、兵站が保つはずがない。彼らは必ず退却する。
だが、「全軍退却」を選択しなかったら?
北ウッドメルの平原に拠点を築き、一部兵力を残すということは、あり得ないか?
それをやられると、「北の山地に長城を築いて防衛線とする」という王国側の構想が、瓦解する。
いや、いつかは達成できる構想だ。
ティーヌを押さえた王国側が、長期的には地力を増していくから。
今次大戦の、大戦略。その根幹には、フィリアの文化祭における発表が織り込まれている。
やっぱりセルジュ以上の器なんだよなあ、フィリアは。
それはともかく。
長城を築けなければ。
まだしばらく、防衛線は目の前のグウィン河ということになり、つまりは戦争が続くことになる。
大会戦ではなく小規模紛争が日常的に勃発する、いわゆる「三十年戦争」であるとか、そういう状態に突入してしまう。
「退却してくれるかなあ。」と、セルジュには言ったが。
今の司令部の悩みは、「敵を確実に全軍退却させるためには、どうしたら良いか」ということ。
戦略と言うよりは戦術レベルでの悩み。
だからダミアン・グリムが、戦術担当が、消耗していたのだ。
逆に消耗していたセルジュは、活力を取り戻す。
「退却してくれるかなあ。」という、目の前の校尉の言葉は。
「退却してもらわなくちゃ、なあ?」ということであって。
何らかの形で、必ず追撃戦があるということを意味するから。
追撃戦は、騎兵の独壇場ではないか。
手柄立て放題のチャンスが、確実にやってくるのだ。
もちろん逆撃を食らって大損害、ということもあるけれど。
自称「ヤ○ザ者」の騎兵、そんなことは気にしない。
部下から愚痴を聞かされ、突き上げられているであろう若きセルジュ。
今後は、威厳と余裕を持って彼らに言い聞かせることができる。
「今は、待て。必ず機会は来る。私を信じろ、アレクサンドル閣下を信じろ」と。
自信満々のその姿に、そして実際にやって来る機会に、郎党達はあるじの威光を知り、ひれ伏すのである。
目の前には、士気回復と威厳獲得の手がかりを与えてくれた、同年輩の仲間。
ただひと言とは言え、貴重な情報をお漏らししてくれた、上役の校尉殿。
「さて、私には何ができるのでしょう!」
何でも言ってくれ!
そう申し出ずにはいられないところだ。
もし俺が、情報の見返りに袖の下でも要求しようものならば。
顔色一つ変えずに、あるいは喜色を満面に浮かべつつ、渡してくるはずだ。
しかしこれまで俺は、賄賂……と言うと、あまりにもドギツイだろうか。
ともかく、情報やら貢献やらの対価として、賄賂的な金品を受け取ったことは無い。
こちらの社会の、「賄賂」「贈答」「社交儀礼」「常識の範囲内」……と言ったものを、知らなかったから。
ひょっとしたら、賄賂社会なのかもしれない。受け取るのが当たり前で、受け取らないほうが信用を失う社会なのかもしれない。
逆に、ひどく潔癖な社会なのかも知れない。
そこを見誤るのが怖かったから、「情報には情報」であったり、「貸しイチ、借りイチ」的にお互いツケを回すようなやり方であったり。そうした方法を選んで来たところがある。
結果、コネが増えて、それが身の助けにもなった。
とは言え、さすがに。
今度ばかりは、何か要求をしなければいけないのは分かっている。
現場担当にとって、この情報の価値は大きすぎる。
「貸しイチってことで。」のひと言だけでは、過大な要求にもなりかねないのだ。
だが困るのは、「今のところ、セルジュにお願いできることが無い」ということ。
「保留にさせてくれるか?」
「ヒロさんは、宮廷に出ることになるんでしたっけ?暴力担当の陪臣には、確かに出番が無いですねえ。困りました。大きすぎる借りです。」
「大丈夫。たぶんこの戦役のどこかで、お願いするよ。お互いそれが一番良いだろ?」
「体を張るなら、お手の物ですよ。」
ただの才子ではない、気鋭の軍人らしいセリフを返してくる。
最高に爽やかな笑顔だった。




