第百二十八話 銃後に関する覚書 その5
「で、ヒロ君は。」
ノブレスの見舞いも終えて、イースの執務室に向かう道すがら。
……老師と連れションに向かう。
初めての会話から、そうだったけれど。
今になってみると分かる。
家名持ちは、なかなか一人になれない。
いつでも取り巻き……郎党や、従僕と言った者が、近くにいる。
王国で、男同士がないしょ話をしようと思ったら、これが一番お手軽なのだ。
「老師が居てくださっていたなら。」
全て話して、最後にそんな愚痴を吐いて、気づいた。
老師は、いつだってタイミング良く現れる。それこそ、石頭のジョーの比ではない。
だが。
あの時、老師はウッドメルに居なかった。
「まだ行くべきではないように感じていた。孝の修行のためかと思っていたが、そればかりではなかったか。」
「老師なら、どうされました?子供だったアランを助けた、老師なら?」
「分からぬ。その子に会ってみぬことには。助けたやも知れぬ。手を下したやも知れぬ。」
思わず、まともに老師の顔を見てしまった。
助けるものとばかり、思っていたから。
「『何も知らぬ子供だったのだから、自由な意思を奪われていたのだから、仕方なかった。アランに罪は無い』。それが、異世界の考え方であったかの。」
……だがの?
「『子供であっても、罪と罰は大人と変わらぬ』。それが、王国の考え方よ。9歳は、子供と言えるかも難しい。年齢の問題よりも……戦場に出て来たとあれば、武人・軍人よ。そのように、遇される。」
思い出した。
2年半前の、初陣のことを。
テオドル・ファン・ボッセは、「罪を償うため」として、一族総出で参戦してきた。
5歳の孫まで連れて。
明らかに足手纏い、場違いであったが、周囲からは「帰すわけには行かない」と言われた。
「敵前逃亡」になってしまうからと。
年齢は関係ない、一生ついてまわる不名誉になるからと。
幼い者を戦場に出さぬのは、覚悟や体力が足りなくては、「見苦しい真似を曝すから」なのだ。
本人の、ひいては家の不名誉になるからであって……。
「子供の健全な成長」であるとか、「保護」であるとか。そっちの理由では、ない。
戦場に出る者には、宥恕は無い。
それは俺にも分かってきた。
だけど。
「老師はアランを助けたのでしょう?」
「立ち直ると直観したからよ。それが、天真会の考え方。逆に言えば、立ち直る目が無いと直観したならば、子供であっても関係ない。その子であれ、アランであれ……。知っておるであろ?天真会の裏仕事。」
老師の声が、低くなった。
ああ、知っている。
社会から爪弾きにされている異能者を救うと同時に、社会と絶対に相容れることのできぬ異能者は、「処理」するのだ。
聖神教も同じ事をしている。
……いや、救うことをせず、「処理」ばかりに熱心なのが聖神教だ。
「老師が居合わせていなかったのは……」
「私にとっては幸いであったやも知れぬの。私を信じきったヒロ君に、子供を託される。だがの?殺す必要があると判断した場合には、ヒロ君の信頼と会の方針との板ばさみに陥る。」
「子供一人を抱える、預かるということは……。」
「さよう。重いのよ。恐らくヒロ君とて、知ってはおったはず。」
「何とかなると、甘いことばかり考えて。天真会ならばと。人に尻拭いさせるようなことを考えて。」
「人にはできることと、できぬことがある。ヒロ君だけではないよ。私にも、天真会にも、できることとできぬことがある。……過ぎたことを嘆いても、仕方無かろう?それも知っておるはず。」
また、誤魔化されたな。
突き詰めて考えるカルヴィンとは、聖神教とは、正反対だ。
「深遠を覗くな、ですか。」
「あるがままを、そのままに。」
「至らぬ自分は、認めるしかない。できる範囲で、やるしかない。……ですか?」
「それで良いよ。」
と、穏やかに相槌を打った、その刹那。
老師が、にかっと顔を笑み崩した。
「さてヒロ君。至らぬ天真会には、できることが限られている。活動に協力を願えると、ありがたい。そして至らぬ私は、聖神教と張り合う気持ちを捨てられぬ。ヒロ君も、どちらかと言えば天真会と縁が深いと思うのだがのー。」
ああもう!
この顔で、この口調!まるでいやらしさが無い!
かなわないよなあ。
「では、聖神教の倍。大金貨40枚を喜捨いたします。至らぬ私の、限界です。」
「これはかたじけない。催促したようで、悪いの。」
「いえ、両教団は、前線の兵達にとって心の支えとなっていますから。感謝しております。」
俺も支えられている。
……お金の話って、いろいろ難しいけど。こういう使い方もできるんだな。
間を外すというか、場を軽くするというか。
そして戻った、イースの執務室。
午前中は取り乱していたレイナが、本調子を取り戻していた。
「ヒロ!アホぼんの取り巻きに会うんでしょ?私が付いてあげるから!」
「別に良いよ。アカイウスをお付きにすれば、体裁は整うからさ。」
「そうじゃなくて!あーもう、分かんないかなあ。どれほど見事な箱か、見たいのよ!」
確かに。
いくらレイナの格式が高くても、王太子殿下の使者を脅して箱を出させるなど、認められて良いはずがない。
「それじゃ、会いに行きますか。」
「このバカ!従四位下・子爵たるこのあたしに、アホぼんの取り巻きに会いに行けっての!?こっちに呼ぶの!」
命を待つまでも無く、従者のエメ・フィヤードが部屋を出て行く。
訓練されすぎているその背に、何ともいえぬ共感を覚えた。
「じゃあ、私達はいったん退出するね?」
マリアの声を合図に、みなが執務室から出て行き。
アカイウスと俺と3人になるや否や、レイナが切り込んできた。
「何を隠してるのよ。ちゃっちゃと吐いて楽になれ!」
「いや、特にないけど。」
「自分で気づいてないの?あんたがそんな顔するのはね、人を手にかけた後なのよ。今日は特別ひどい顔。何人斬った?」
「数え切れないよ。司令部付きだからさ。俺達の指示で、何千何万が血を流す。」
「そうじゃなくて、直接刀を抜いて斬ったのは、何人かって言ってるのよ。」
思い返してみて、気づく。
「そういや、ゼロだな。」
この大戦で、俺はまだ人を斬っていない。
西の山で、敵の司令官をぶんなぐっただけ。
東の平原で、サラとラティファを、見守っただけ。
「それでその顔?おかしいわね。自分の指示で人を死なせた時とは、顔つきが違うんだけど。」
よく見てらっしゃること。
またこっちをバカにした目つきで……。と、思い込んでいたのだが。
その予想は裏切られた。案外、真剣な顔をしている。
「ヒロ。あれを見て。」
レイナが、執務室に掲げられていた地図を指差す。
極東道全体が描かれた地図を。
「フィリアが文化祭で言ってたわよね。イースを押さえれば、極東道の南半分は確保できる。北半分も、有利に攻略できるって。」
反発しているくせに、認めてるんだよなあ。
「亡くなったスヌークだけどね。リーモン閣下、ウォルターさんとの打ち合わせに、よく家に来てたのよ。『極東では、これが最後のチャンスになる』っていうスヌークの分析に、ウォルターさんは舌を巻いてた。だから、次にスヌークが来た時に、捕まえて絞ったってわけ。」
普段なら、「災難だな」と思うところだが。
今となっては、もう、それも……。
「言ってた。『経済・人口を考えると、今後数十年は王国側から極東で大戦を起こすことはないはずだ』って。前に聞いたわよね?デクスター親子も、アレックス様もほのめかしてた。」
レイナの手が、地図の端っこを指す。
「この大戦に勝つことが前提になるけど。ウッドメル北の山地に、フォート・ロッサみたいな長城を築くんじゃないの?そこを防衛線にすれば、極東は安全。向こうから入り込めなくなれば、こっちから出て行かない限り、大戦は起きない。そういうことよね?」
やっぱり、レイナにも見えていたか。
ウッドメルとミーディエの協力関係、その意味が。
「男共はね。『これが、目立つ手柄の、大戦経験者を名乗るための、最後のチャンスだ』って盛り上がってたけど。この戦争の意義は、そんなところにあるんじゃない。極東が、30年50年、二世代三世代、平和になるってことなの。」
あんたなら、分かるでしょ?
レイナの目が、真剣さを増した。
「新都のみんな、夫や息子を心配してる。つねに困難に立ち向かうことを求められる私達貴族は、弱音を吐けないけど。それでも、死ぬよりは生きてくれてるほうがいい。当たり前よね。庶民はなおさらよ。みんな、苦しい思いを抱えてる。……この世から戦争がなくなるなんてあり得ない、それは分かってるけどさ。数十年でも平和になるなら、それに越したことはないでしょ?」
「ああ。そのとおりだ。」
同意するよ。腹の底から。
「分かってるなら、そんな顔するな!人を殺したぐらいで!」
どうしたんだ、レイナ。
らしくもない。
職業とは言え人を殺す武人や軍人に、どうしても馴染めない感情を抱いてるくせに……。
「この大戦が起きた理由、分かってる?誰に責任があるか、考えたことある?」
「いや、それは攻めてきた北賊だろ?」
「そうじゃない!さっき言った、ウッドメルの長城が完成してれば、この大戦は起きなかった!あるべき平和が、10年遅れたのよ!」
「おい、まさか!?」
その名を挙げるべきではない。
故人なんだぞ!?
誰もがその死を悼んでいる、貴人だぞ?
だいたいアカイウスの前で……。
「そうよ!故・ウッドメル伯爵が悪い!ミーディエが総崩れになった時に見捨てても、あの戦は勝ってた!あの人が生き残ってれば、そのまま建設できたの!」
咄嗟にアカイウスを、目で抑えた。口も出した。
「レイナに、立花家に寇をなすこと、絶対に許さぬ。」
子供を殺してしまったことは、もう後悔しない。
だが、反省すべきことはある。
郎党には裁量を与えて良いところと、絶対に与えてはならないところがある。
もう、間違わない。
「返事は!?」
「承知……仕りました。ご主君……。」
「分かっている。こうあってこそ、お前のあるじを名乗ることができる。」
主従の会話のために許された時間は、短かった。
レイナは言葉をつむぎ続けている。
「ヒロ、分かってきてるんじゃない。貴族とは、人の上に立つ者とは、そういうもの。個人の情誼や正義感に振り回されてちゃ、ダメなの。卑怯になっても良い、残酷でも良い。極東のみんなが笑って過ごせるためなら、あんたが、私達が率先して心に傷を負わなくて、どうするのよ!」
机の向こうから、こちらを見る目。
潤んでいた。
「大丈夫だよ。ヒロなら、残酷になろうとしても、限界があるから。ヘタレだもん。レイナ・ド・ラ・立花の目に、間違いはない。」
その潤んだ目を見開いて、指を当て。
そっと、拭っていた。




