第百二十八話 銃後に関する覚書 その1
甲板を吹き渡る風。
その肌触りは、涼しいと称するには少しばかり冷たさが勝っていた。
妙な心細さまで覚えるのは、急に仕事から解放された所在無さのせいだろうか。
「蕭条たる秋風、ね。」
アリエルが珍しく、詩人らしいことをつぶやいている。
「でも、悪くないよね。こういうのも。」
そうだな、ピンク。
悪くない。
グリフォンの「翼」と「嘴」の間に挟まって、ジロウの背中を撫でていると、妙な安らぎを覚える。
少なくとも、風の寒さを感じることはない。
「だからお前は『ぼっち』なんだ。」
「よく俺達を連れ出せたな。」
……って言ってるぞ。
と、「毛無し」ことヴァガンが、グリフォン達の言葉を通訳してくれる。
「『グリフォンの了承を得ぬまま人を乗せては、万一の恐れがあります。了承を取れるのは、私が連れている幽霊だけです』。そう言ったら、あっさり許可が出たよ。」
グリフォンに乗るのは、主に俺と千早だ。
千早に万一があっては困ると言ったら、許可が出たというわけで。
つまり千早はそれだけ、大切にされている。
千早だけじゃない。
封建社会(?)で、人権なんてものがない王国だが、人の尊厳や世論はかなり重視されている。
それを軽んじて尊厳を嘲るような真似をすれば、上にある者とて下にそっぽを向かれてしまうから。
村丸ごと逃散されてしまったり、郎党に退転されたり。
アカイウスや朝倉は、主殺しまでやってのけている。
法律だから、それが社会の秩序・ルールだから……と言った、システムによる縛りが緩い社会。そのぶん、個人に頼る社会。それが王国。
能力や人柄が信頼の対象となるからこそ、人間性が重視される。
結果、「人」を、「人の尊厳」というものを、みなが意識するようになる。
みな「人であろう」とするし、「ひとでなし」は嫌われる。
対する北賊……いや、連邦は、民主主義的な社会だと思われる。
投票制度があって、ひとりひとりの意見が大切にされているようにも見える。
だが、人の尊厳に対する配慮が、やや薄いように思われてならない。それが、戦場で得た実感だ。
「ルールで決まっていることだから」、「自分たちで投票して決めたリーダーの命令なんだから」。……「だから、言う事聞けよ」が、まかり通ってしまっているような。
そんな印象を覚えた。
風が少し強くなった。
波が船腹に当たる音が聞こえる。
船は、水にひっくり返されることもある。
お神輿は、担ぎ手がいなければ動けない。
「ずいぶん、大所帯になったよね。私が会った時には、アリエルとジロウしかいなかったのに。朝倉、モリー、ヴァガンにグリフォン……ゴメン、『翼』に『嘴』だよね。」
「生きている人も増えたぞ。にぎやかでいいな。」
「この程度、まだまだ。何十、何百と郎党を作っていかねば。そうであろう、アリエル殿?」
「そうね。……でも大丈夫、ヒロ?無理してない?」
「上下って考え方に馴染むには、時間がかかるかもな。『上』がいるのは、まだいいんだよ。俺はもともと学生……要は若僧だったからさ。でも、自分が『上』になるのは……キツイよ、なかなか。」
「感性は庶民的」。フィリアの俺に対する第一印象だったな。
「持たざるものの感覚」って、アカイウスにも言われたし。
そうか。
「だから、『こういうのも、悪くない』んだな。幽霊の皆とは、『上下』じゃないから。」
「時としては良うござろう。が、甘えてはならぬ。ほれ。」
モリー老が目で促すその先には、小走りで近寄ってくる人影。
秋の夕闇の中でも分かる、見慣れたシルエット。
「マスター、こちらでしたか。もう、良い時間です。お部屋にお戻りください。」
「このまま甲板で、『翼』と『嘴』に挟まって眠るなんてことは……。」
事実上の休暇なんだし、そんな日があってもいいじゃないか。
あちこちで野営をしてきたせいか、日本にいた時よりもそういうところは逞しく……あるいは、「雑」で「がさつ」になったという自覚は、ある。
「あまりにも雑兵めいております、マスター。どうしてもと言われるならば、私とユル、アカイウスさんが、お傍で寝ずの番、歩哨に立ちます。」
3人にとっても休暇だ。
そんなことは、させられない。
「……分かってる。言ってみただけだよ。」
シンノスケが言ってたな。失ったものもあるけど、何か得たような気がするって。
俺も仲間や大切な人々、それに地位、この社会での居場所を得て。
代わりに、何かを失った。
そんな気がする。
船室には、クリスティーネ・ゴードンが待っていた。
ダミアン・グリムも。
「ダミアン、何も一緒について来なくても。」
「校尉殿、戦場では休暇になりません。イース以外、行き場がないのです。」
「校尉殿は、やめてくれよ。ヒロでいい。」
「では、今後そういたします。」
……。
話すことが無くて、困った。
クリスティーネは、兄のジャックを失って、今や母ひとり子ひとり。
代わりに……と言っては悪いかも知れないが、代わりに得た縁談の相手、ノブレスは戦争神経症。
少しずつ良くなっているらしいとは聞いているけれど。
ダミアンも、キツイ思いをしたんだよな。知らぬとは言え。
知ってやったなら、あるいはマシだったのだろうか。自覚の上で槍を振るうのと、どちらが……。
ああもう!
閉鎖空間でこの雰囲気ってのは、いかん。
「不愉快だ」と呼ばれる状況であり、貴族は特にこれを忌む。
打開するのは、高位貴族の仕事である。
得た地位に相応しい義務を果たさねばならぬ。
「今のペースで船が進めば、朝日に輝くイースが見られそうだね。」
俺の発言の意味を、それなりに理解しているのだろう。
彼女だって学園の生徒、エリート候補生なのだから。
クリスティーネが、笑顔を返してきた。
「ティーヌから眺める湖城イースは、美しいそうですね?明日は落ち着いて見られそうです。ヒロ先輩は、以前にも?」
「ああ。クマロイ村で『発見』されて、新都に向かう時にね。その時見たのは、ちょうど今ぐらいの時間帯、夕暮れ時で。夕陽に輝く尖塔が、シルエットになって、やがて月明かりに浮かぶまで、景色の変化を堪能したよ。」
「フィリア様と、ですか。」
ダミアン君?君ぐらいの階級になれば、分かってるよね?
こんなところで突っかかって、何をしたいのかな?
「フィリアと千早と、ね。」
たしなめる……ほどのつもりはなかった。そっと、矛先をかわそうとしただけ。
だが、ダミアンの変なスイッチを押してしまったようで。
「呼び捨てにされる?」
めんどくせえなあ!
「軍務を離れれば、友人だよ。そういえばダミアン、俺やクリスティーネは、学園の連中が主な友人だけど……。君は?王都って、どんなところなんだ?」
ふっと、ダミアンが皮肉な笑みを見せた。
「意地を張って突つくのが、馬鹿らしくなりますね。いつも、かわされてばかり。これ以上は『不愉快』になってしまいますか。」
ダミアンも、三男坊だったらしい。
聞いてみると、四男坊だったフリッツよりは、だいぶマシな境遇。
なんだよ、まともに会話ができるんじゃないか。
「『面白いお店』については、あまり存じませんが。」
俺がそっちに興味があるかのような口調は、やめてもらえますかねえ?
それならこっちだって……。
「済まない、クリスティーネ。こういう男なんだ、ダミアンは。」
ねえ、ムッツリ助平のダミアン君?




