第百二十七話 欠けるもの、みちるもの その1 (R15)
「見通しが立ったぞ。シオネを通じて、天真会ウッドメル支部にいったん預けることができそうだ。私達は忙しくて、子供の世話どころではないからな。……あの子はどうした?」
「私が殺しました、ご主君。」
アカイウス?
「征北将軍閣下から、言質をいただいております。『捕虜の扱いは、捕えた者に一任される』と。閣下は、ご主君が捕らえたものと勘違いされていましたが……彼の者を拘束したのは、私です。私の裁量で、殺しました。」
「屁理屈を聞きたいわけではない。理由を言え。霊と遺体は?」
部屋にいたもう一人の男が、口を開いた。
16歳。少年のはずなのに、おとなの男の顔をしていた。
「俺に、依頼があった。教典に定められた正統な儀式により、浄化した。罪を清められたあの子の霊は、天にある。……遺体は、教会の無縁墓地だ。」
「貴様……!」
反論する間を与えてはくれなかった。
被せるように、カルヴィンが極め付ける。
「ヒロ、貴様は心労を抱えすぎている。司令部付きの校尉が、罪を犯し心に闇を抱える子供の世話だと?そのために時間を割いて、あちこち出向いて話を通し、各所に借りを作り、気を使い……。それが直参貴族のやることか!国家が貴様に求めているものとは何だ!いや、貴様にはこう言うべきか。泥に塗れて血を流す一兵卒が、高価な鎧に身を包んだ貴様に求めているものとは何だ!戦争に集中することだろうが!」
「校尉は、高級士官です。まして今次大戦は、長期戦。その仕事は激務というも愚か。ご主君も体感されているはず。些事に心を煩わされるべきではありません。」
「些事だと、アカイウス!?」
「些事です。あるじと、何の縁もない子供と。どちらの命が大切かなど、問うまでもないこと。」
「迷いを抱えたまま戦場にあっては、生き残れない。今の精神状態で戦に臨むなど、自殺に等しい。神官としては、見過ごせないんだよ!」
「だからと言って、殺したのか?」
「ヒロ。子供を殺すなど、如何なる理由があろうが、気分の良いものじゃない。軟弱者の貴様にはよく分かっているはずだ。だがな、そうせざるを得ない状況に郎党を追い込んだのは誰だ?責任を負うべきは何者だ?」
カルヴィン……!
くそっ……。
「答えろヒロ。誰だ?」
「俺だ。俺の責任だ。屍霊術師を捕える任務を負ったのも俺。拘束したのも俺。その処分を決定すべきも俺。……抱え切れなかったのも、俺だ。」
「責められるべきは?」
「分かっている、カルヴィン。……すまん、アカイウス。『草』では無く郎党として扱うと言ったのに、汚れ仕事を。」
「あるじの身辺に危険が迫れば、排除する。それは『草』の仕事ではなく、郎党の仕事です、ご主君。」
「!……済まぬ。」
「あるじが郎党に詫びを入れるものではありません。」
「……よく、やってくれた。」
アカイウスは、己一人の覚悟で動いたのだ。
正しき行いを、あるじの意に逆らってでも貫いた。
「正しき」行いなのだ。
家から、主君の身辺から危険を排除することは、王国に生きて「郎党」を名乗る者においては、絶対的に正しい。
己一人の判断で、己一人の覚悟で、己一人の責任で、「正しきを行う」大人の男。
人として尊敬すべきであるに留まらず、郎党としてもこの上なく貴重な人材。
今の俺には、そういうことも見え始めている。
ユルもピーターも忠実な郎党、従僕ではある。
だが、若い。今のところ、できることも限られている。
ユルの仕事は護衛。
ピーターの仕事は、俺の身の回りの世話と、計数関係。
独立した判断をさせて良い「男」ではない。「少年」だ。
アカイウスは、貴重な人材。
それだけではない。目の前のこの男は、俺のために、俺に代わって、血を、汚れを被ったのだ。
ならば、かけるべき言葉がある。
「よくやってくれた。……これからも、頼む。」
アカイウスに目を合わせ、もう一度告げる。
「はっ。」
頭を垂れ、それだけを返してきた。
それ以上、何の言葉も要らない。
けれどまだ、今の俺にはその間が少し照れくさくて。
だから、もう一人に目を向ける。
「手間をかけたな、カルヴィン。本来、俺の仕事だったものを。そうだ、浄化の礼金を……。」
アカイウスへの無礼討ちに備えていたか、カルヴィンは佩剣の柄に手を添えていた。
手を放し、胸の前で腕を組む。
「いらん。他流試合の借り、これで返したぞ。……ようやく貴様も、家名持ちらしくなってきたな。」
「……理屈を突き詰めやがって。貴様も神学の徒らしく、残酷になってきたな?」
「貴様を相手にする時だけは、それぐらいで良いんだよ。」
そのまま、背を見せた。
「彼の者は、すでに天に属する。あの子のために祈るのは、神官である俺の仕事だ。……理屈を突き詰めれば、そうなる。」
肩越しに、手を放り上げている。
「この件は、貴様の手を離れた。……それを忘れるなよ?」
言い捨てにして、ドアを閉めやがった。
くそっ!
2人だけになった。
主君は郎党に詫びを入れてはいけない。
主君は郎党に弱みを見せてはいけない。
そういうものなのかも、知れないけれど……。
俺はまだまだ、あまりにも至らない。
口を開いてしまった。
「アカイウスよ、私のどこが間違っていたか、教えてくれ。言葉を飾らなくて良い。頼む。」
「記憶喪失と伺いました。失われた家の子として、庶民の間で生きていたとの噂も。ご主君の感覚は、上下無き社会で肩寄せ合って生きる庶民のものです。この社会では、最下層の庶民、丁稚や修道士、持たざる者の生き方です。しかしご主君は、すでに持てる者。守る物がある。ご主君が倒れては、下は私にユルにピーターの3人、さらに猶子のファギュスが倒れます。上は目を掛けてくれたメル家が、今次大戦が、引いては極東全体が危機に瀕します。ご主君、あなたの地位はもはやそこまで来ているのです。自覚では無く、自負をお持ちください。どうか、御身を大切に。自分本位になっていただきたく、お願い申し上げます。」
丁稚、修道士……。修行中の者。
事実俺は、大学生だった。
隣に友人はいても、上下には人がいなかった。
自分の収入で生計を立ててはいなかったし、まして部下や家族を抱えてもいなかった。
責任というものを知る前に、転生してきた。
転生してきた社会は、8歳・9歳が大人として生き始めなければならない社会。
15歳は、堂々たる社会人だ。
さらに王国は、貴族政にして能力政。
身分と能力あるものは、15歳でもいきなり責任ある地位につけられる。
高い地位にある者には、その地位に相応しい責任がある。生き方がある。
家長であるならば、家を守れ。
軍人であるならば、国を守れ。
家の敵は、国の敵は、殺せ。
個人の感傷は二の次、三の次だ。
守りたいものがあるならば、見切らなくてはいけない。
抱えきれないものを抱えれば、溺れてしまう。
絶対に守らねばならぬもの諸共に。
俺には、その自覚が足りていなかった。
だけど。
「教えてくれ、アカイウス。私は、いや俺は、子供一人抱えられない、救えないのか?お前から見た俺は、そこまで力が無いか?」
「ありません、ご主君。カレワラ家は、メル家とは違う。再興を果たしつつあるウッドメルよりもずっと弱い。二代三代、血をもって信用を買ったゴードン家。汗で信用を買ったノービス家。ご主君は、いえ、私達カレワラ党は、彼らよりも弱いのです。……今は、まだ。」
アカイウスの言葉は、続いた。
ご主君個人の力と信用によって立っているだけなのです。
ご主君が倒れれば、全てが終わる。
カルヴィン君の言うとおり、抱えすぎです。
戦場でのご主君には、何の不安も感じません。
しかし、優しすぎる。人間の悪意を、ご存じない。
憎悪に満ちた目でした。殺気は感じられたはず。
気づいた私から目を逸らし、下を向きました。
それ以後、殺意を表に出していませんでした。
冷静な子です。賢くもある。あの子供は将来、必ずご主君に、カレワラ家に害を為します。
あの子にとって、カレワラ一党は父の仇。倒さずには、世に立てないのが人の道です。
人道に則ってあれを全うに育てれば育てるほど、ご主君の危険は増すのです。
今のうちに、禍根は断たねばならなかったのです。
…………。
メル家ですら、ソフィア様の力を持ってすら、レベッカの死を防げなかった。
それを思えば……。
アカイウスの言っていることは、一つ一つが正論だ。
受け入れなければ、ならない。
諄々と説いていたアカイウスの口調に、力が籠もった。
「その仕事は、我ら郎党のもの。あるじが自ら手を下す必要は無いのです。」
サラに、ラティファに言った言葉だ。
そのまんま俺に返ってきた。
「恥ずることはありません。家名持ちの社会は、そういうものです。ご主君に良くしてくださるメル家とて、汚れ仕事や雑務をフィリア様から遠ざけて、ご主君に委ねているではありませんか。……私とて、ご主君には良くしてもらっております。」
最後に、少しだけ、語気を緩めた。
少し、照れている。
「分かった。これからも、よろしく頼む。……大戦が終わったら、待遇改善だな。」
俺も、照れていた。
低い笑いを返してくる。
「今すぐでも、構いませんが。」
「些事に追われて身を滅ぼしたくは無いからな。……仕事だ、仕事!」