第百二十一話 千騎の資格
現場指揮官のジョーが、司令部で行われる会議への出席を求めてきた。
征北大将軍府は、ガチガチに系統立てられた組織ではないけれど。
さすがに通常、こうしたことは認められない。
大ベテランのジョーのこと、上層部全員と面識がある。
司馬でも校尉でも、なんなら将軍にでも頼み込んで、議題にしてもらえば事は済む。
それが現場指揮官と司令部との、基本的な関係だ。
しかしアレックス様は、そうした「作り」の中にジョーを入れることを拒否した。
「石頭のジョー」は、特別な存在だから。
極東で行われた中規模以上の戦争には全て参加し、一兵卒から千人隊長まで叩き上げてきた、立志伝中の男である。その戦場勘は、外れたことが無い。
ジョーが具申してくる意見ならば、それは即、首脳部全体に聞かせる価値がある。
そういうわけで、ジョーには会議参加資格が与えられている。
アレックス様の幕下で、司馬に任ぜられている。
それも、「必要と思った時だけ会議に出れば良い」という特別待遇だ。
特別待遇のジョーが、会議への出席を求めてきた。
何があった?いや、現場からはこれと言った報告が上がって来ていないとなると……。
何が起こる?
司令室に歴々が集まる。
開会早々、発言を求められたジョー。
皆が固唾を飲んで見守る中、立ち上がり……。
「何か起きますよ。」
いつも通りの、間の抜けた発言。まるで緊張感が無い。
若手みな、がくりと身体の力が抜けてしまったのだが……。
将軍たちは目を細め、耳を澄ましている。その姿を見て、再び姿勢を正す。
「何かって、何です?」
気を取り直したケイネスが、当然の疑問を口にする。
「『何か』としか、言い様がないんですよねえ。」
「その……」
ダミアンが口を開きかけたが、ジョーも口を動かし続けていた。
「空気がおかしい。静か過ぎる。何か企んでる。」
「もう少し具体的にお願いできませんか?」
ダミアンは、遠慮しなかった。
「攻撃が軽すぎる。川向こうの兵はリラックスしている。なのに、後ろに重たい気配がある。」
「ですから!」
「グリムよ。そういう教育を、この男は受けていない。おかしな矯正を施されていない。理屈抜きゆえ、貴重なのよ。」
塩辛声が、切りつけた。
「ジョーの勘を言葉に、作戦にしていくことが、貴様らの仕事だ。……やってみろ。」
「では、とりあえず。」
経験豊富なアカイウスが、口火を切った。
地図を指さす。
「ジョーさん、どのあたりです?」
「困ってるんだよね。川向こう全域なんだよ。どこを通っても、気持ちが悪い。違和感って言うんだっけ?……あ、いや。東と西の山は無い。それは確かだ。」
「……その、兵気のことですが。」
やはり「教育」や「家柄」の点で引け目を感じているらしく、普段はあまり意見を言わぬ李紘が、珍しく口を開いた。
李紘も現場の男。兵気を読むのは、得意分野だから。
「私も、敵の攻撃はおかしいと思っていました。波状攻撃を繰り出すのは、それで相手を疲れさせるためであるべきなのに……。ジョーさんの言われるように、『軽すぎる』。」
「すると、奇襲でしょうか。こちらが慣れて来たところで、ある日重たい総攻撃、とか?」
「夜襲も考えられるのではござらぬか、フリッツ殿。高岡・雁ヶ音と、王国は夜襲で川を渡って勝利してござる。やり返したくなるのが道理。」
「可能性はありますが、我が軍の警備態勢も強化されています。」
千早もさすがによく勉強していると思う。
ただ、「毛有毛現」騒動のおかげで、警備が厳しくなった直後なのだ。
「戦場勘とは、観察眼。」
フィリアが、口を開いた。
「勘が鈍い者は、よくよく観察していくしか無いのかも知れませんね。」
ダグダのことを思い出した。
自然条件、周囲の様子に目を配ることが大切なんだよな。
「出水期はそろそろ終わりますね。あとは……。」
シオネを呼ぶ。
天真会と本人の希望により、スタッフとして俺に付けられていた異能者(天気予報士)だ。
「4日後に、嵐が来ます。」
「ああ、そういう季節でしたね。」
ケイネスが、口を開く。
「水が溢れますから、防衛線を下げなくては。敵もこの地のことは知っていますから、危ない場所は押さえているでしょう。」
ジョーが、少し苛立ちを見せた。
本題から外れていったように感じたか。
「天気とか、そういう感じじゃあないんですよ。いやもちろん、『悪天候に乗じて』ってことも無いとは言わないけど。それ以上に、人間です。あの重さは、人なんです。」
「後ろが重たいって言ったな、ジョーとやら。こっちから叩くか?威力偵察だ。」
エドワードの目が光る。
ジョーのことはあまり知らぬはずだが、その器を見抜いたに違いない。
「督軍仮校尉殿!お願いできますか!?」
ジョーも、即座に反応した。
相通ずる者は、一瞬にして互いに知己を得る。
上気して青年のような顔を見せたジョーだったが……。
すぐと、冷や水が浴びせられた。
「それは難しいな。」
ウマイヤ将軍だ。
「河を越えての威力偵察となると、大きな犠牲を覚悟しなければならぬ。目利きでなければ見定められないが……それだけの目利きを、今失うわけにはいかない。」
戦場の男はしかし、将軍の言葉にも、引き下がろうとしない。
「石頭のジョー」、その面目躍如。
「まともに食らえば、千・万の被害が出ます。質の良い士官だって、何人も犠牲になります。目利き一人を惜しんでどうなりますか!」
ジョーが覚えた違和感は、大規模攻勢の予感らしい。
兵を無駄死にさせることを何よりも嫌う男だ。
それを避けることに、固執し始めた。
「そうだ!仮校尉殿もおっしゃる通り。こちらから叩かなくちゃいけない!……叩くなら、西の山から。大きく回って先に叩けば、防げます!」
ジョー?
どうしたんだ?
ダグダで見せてくれた、颯爽とした姿は?
戦場全てを見通していたかのような、あの炯々と輝く眼光は?
「ジョーさん、興奮しすぎです。西の山からの攻撃は、ありえない。少なくとも今は。」
「何だと?どう見ても敵が一番弱いのは、あそこじゃないか。見えてないのかヒロ君?」
「見えてないわけないでしょ!少し落ち着いてください。」
「まさか怖くなったか?相変わらず君の言う事は分からない!わけがあるなら言ってみろ!」
「いや、ですから。立花軍団の仕事は、睨み合いをすることでしょう?主力決戦の時も、敵兵を釘付けにするのが仕事です。……ひょっとしたら、西の山から攻勢をしかけるって策もあるかもしれないけど……。そうするなら、なおさらです。主力決戦の時までは、意図を隠さないと。」
司令室に出入りしているメンバーならば、誰もが知っている……いや、「理解している」話だ。
そのはずだったのだが。
ジョーは、俺の言葉に目を見開いていた。
「非礼を謝罪いたします、監軍校尉殿。」
「非礼だなんて……これは軍議です。議論を尽くすのは悪いことではないはずです。」
「百騎長の校尉殿が、千人隊長の司馬に敬語を使うのは、やめていただきたい。」
何だよ、急に。
戸惑いの中、視線を感じた。
フィリア?
そういえば、「フィリアが自分に対して敬語を使うことを、ジョーは絶対に許さない」って……。
何を口にしたら良いか分からずにいたのだが。
その間を埋めてくれたのが、上座から降ってきた言葉。
「分かってくれたか、ジョー。『主力決戦の時までは、こちらから攻撃を仕掛けることはしない』。それが基本方針だ。そこは踏まえておいてくれ。」
「私には、戦争全体の絵図は見えません。失礼をいたしました、アレクサンドル閣下。」
「失礼などではない。ジョーよ。戦略が見えぬからこそ、貴様は貴重な戦力なのだ。我ら将軍は、ついつい大きなところを見ては、足元を掬われてばかり。これからも危険を察知したら、遠慮なく司令部に駆け込んでくれ。この通りだ。」
ギュンメル伯が立ち上がり、一礼を施す。
「もったいないことはやめて下さい、閣下。言われなくとも懲りずに駆け込みますとも。それが私の仕事ですから。戦略のことは、そちらでお願いします。」
妙な空気は、どうにか去ったようだ。
みな、ほっとした顔を見せる。
「仕事をしたんですから、こっちをお願いしますね?」
戦場の空気を読みきる男は、会議室の空気も読んでいた。
指で輪を作る。
司令室が、笑いに包まれる。
改めて、ジョーの懸念について、議論が行われ……。
「グウィン河の防衛線を守り切るという方針は、変更しない。」
「大規模攻勢が近いと思われるので、各軍団備えること。」
「各部隊間の連絡を密にする。ことに今回は、予備の部隊も戦闘に備え、ミーディエからも応援の部隊を拠出してもらう。」
等の方針が、決まった。
「千・万の被害が出たとしても、それは戦略上、必要な犠牲か。やっぱ僕には、現場しか分からないや。個々の戦闘で勝つことばかり考えてたよ。……監軍校尉殿にも、戦略が、全体像が見えているんですね?割り切れるようになったのですね?それが千騎長の、将軍の資格ですよ。」
会議室から出て、俺をつかまえたジョーの顔は、わだかまりない笑顔に満ちていた。
……のだが。一瞬にして、猜疑に満ちた顔に変わる。
「ヒロ君?全体像が見えているのに、割り切れてないなんてことは、ないよね?頼むよ?」
千騎・万人を率いる資格は無くとも、現場の空気を読み誤る事は無い。
それが「石頭のジョー」。
どうやらまだしばらく、対等な口を聞いてもらえるようだ。