第百二十話 「戦場の怪」に関する覚書 その2
毛束が、蠕動を繰り返す。
何か見えてきた。
あれは……手!?
掻き分けられた隙間から、声が聞こえてきた。
「話を聞いてくれるの!?」
「アリエルのご同類かー。」
「ちょっとピンク、あんなのと一緒にしないでよ!」
ピンクの指摘にも、理由はある。
目の前のまりもが発していたのは、バリトンボイスの女言葉。
これはいろいろと面倒な御仁のようだ。
「言葉は通じるってことでいいんだな?人間か?」
「当たり前じゃない!何だと思ってるの!」
その質問は、スルーさせてもらう。
人間ならば、とりあえず自己紹介だ。
「私は王国貴族の、ヒロ・ド・カレワラだ。君は?」
「その、私の名は……ハルク。ハルク・ターザム。」
毛人ハルク……?密林の王?
いやいや。ともかく、話を聞かないことには。
「ハルク、君は北から来たらしいと聞いているが、連邦の民なのか?」
「ええと……。連邦の地に生を受けたことは確かだけど、社会的には居場所がない。だから、連邦の民とは言えないと思う。」
家名持ちなのに、所属先が無いのか。
やはり北賊(連邦)と王国とは、社会制度がかなり違う。
って、そうじゃなくて。
目の前のまりもの、この屈折した表現。所在と所属を区別している。
見た目によらず(?)かなり頭が良さそうだ。
話が通ずる相手か?
「ハルク、君は何がしたいんだ。どうして我が軍の陣地に乱入する?」
「南へ行きたいだけよ。何も悪いことしてないんだから、通してくれてもいいじゃない!」
「南は王国の領地だ。そして連邦と王国は交戦状態にある。理由を教えてくれなければ通すわけには行かない。分かるだろう?」
「理由を言えば、通してくれるの?」
「保証はできない。それも分かっているはずだ。馬鹿のふりをするのはやめてくれないか?ただ南へ行く前に、戦場をあちこち飛び回っていた、その理由も教えてほしい。」
「本当に話を聞いてくれるんだ?……助かる。これまでずっと、まともに話を聞いてくれる人がいなかったから。」
「気持ちは分かるけど、そのかっこじゃ無理だぞ。」
脳内に、ヴァガンの声が響く。
何かを思う前に、まりも……いや、ハルクが、少し縦長になった。
どうやら姿勢を正したらしい。言葉使いも改まっていた。
「私は、離れ離れになった愛しの君を探している。北は十分に探したけれど、手がかりすら掴めなかった。南にいるとしか思えない。だからここを通りたい。天地神明に誓って、それ以外の理由は無い。」
「戦場を跳ね回った理由は?」
「我が愛しの君は、その……都会や人の集まるところを好む。だから探し回った。ここにもいないから、さらに南を目指している。」
不可解な行動の理由としては、まあ全うなもの。
嘘は無い……のかな?
スパイにしては、目立ちすぎる。
暗殺者にしては、攻撃力が弱すぎる。素早さと防御力、回避力は高いけれど。
……はぐれメ○ル?
ともかく。
そういう理由ならば、対処のしようはある。
「戦争が継続している間、保護されてくれないか?戦争が終わったら、南へ連れて行くから。」
「王国が敗走したら、私は牢屋に繋がれっぱなしになるじゃない!」
あ、そうか。
やっぱりハルク、賢いわ。
「そう言ってくれるってことは、納得したのよね?なら通してくれてもいいよね?」
お見通しか。
「毛羽毛現」じゃなくて、「さとりの怪」だったりしないよな?
おっと、いかんいかん。ハルクは人間だ。
アホなことを考えている俺に隙があると思ったか、ハルクが跳躍した。
身体能力は高いけれど、武術の心得は無いらしい。
刀を納めて話しかけた以上、備えているに決まっているんだよなあ?
再び、薙いだ。
先ほどよりも、少し余計に毛束を切り落とす。
仕留めようと思えば仕留められたかも知れない。
けれど、それをする気にはなれなかった。
離れ離れになった女性を……いや、女性とは限らないか?
ともかく、愛しの君を求めて、旅をする男。
それを斬り捨てる気になど、なれない。
「ストーカーかも知れないじゃん。かなりしつこそうだよ?」
うっ。
確かにそうですね、ピンクさん。
……やっぱり斬り捨てるべきだったか?
逡巡する間は、与えられなかった。
俺がハルクに備えていたのと同様に、あるいはそれ以上の警戒心をもって、ファンゾ百人衆が身構えていたのだから。
サムライ達が、四方八方から一斉に飛び掛る。
どういう仕組みになっているのか分からないが、巧みにかわしたハルクが、上空に跳び上がる。
見事なバックステップ(?)を見せた大きなまりもが、河へと飛び込む。
あとは、いつもの証言どおり。
「ぷかぷかと浮かびながら、どこぞに消えてしもうた」。
とっぴんぱらりのぷう。
……という訳でもないが、その後「毛羽毛現」が、いやハルクが、戦場に現れることは無かった。
「人間だったのですか。」
ピンクの絵を見たフィリアの目が、見開かれた。
「俺も驚いたよ。」
「防衛線を突破しようとして、最後まで果たせなかった。『哨戒や斥候、偵察騎兵には油断なし』と見て良さそうですね。」
「あ……。そうなるね……。」
「今後も警戒を緩めないよう、各部隊に通達をお願いします。」
見開かれていた目が尖る。
「フィリア殿、郎党衆が謁見を求めてござる。会議前に済ませてはいかがか?」
「今行きます、千早さん。」
衣を払って立ち上がったフィリア。
二、三歩で足を止め、こちらを振り向いた。
「斬り捨てずに話しかけるという判断は、悪くなかったと思います。」
おっ?
「確保できていれば……。北賊社会を広く歩き回った人物は、貴重です。」
あっハイ。
「……フィリアちゃん、怖いぞ。」
「そうね、ヴァガン。確かに少し、余裕が無いわね。」
「フィリア!」
「何です?」
「もう少し、余裕を。視野を広く。……と、幽霊達が。」
「最後のひと言がなければ締まるのに。でも、そうですね。それが私の仕事でした。」
……ありがとう。
作ってみせた笑顔にも、冴えが無い。
気持ちは俺にも分かる。
「石頭のジョー」が会議への出席を求めたとなれば、そういう顔にもなる。




