第百十七話 お金に関する覚書
敵・方面司令官の解放交渉が始まった。
いわゆる「実務者協議」の場に出たのは、校尉の俺と、司馬のダミアン、フリッツの3名。
向こうの代表も佐官クラスであろうか。30手前ぐらいの人物。
こちらは全員10代なのだから、多少面食らったか、不愉快に思ったか。それとも与し易しと思ったか。
初っ端、吹っかけてきた。
「身代金ですが、そちらで言う大金貨500枚相当ではいかがでしょう。」
脳内に響いたのは、アリエルとモリー老の呆れ声。
「安すぎるわね。」
「いかにも。それではファンゾ百人衆と変わらぬ。」
大金貨500枚。
大雑把に言って、5億円ぐらい。
相場観から言うと、「王様で一千億円以上」、「公爵・侯爵・辺境伯でも数百億円~」。
敵の方面司令がどれぐらいの地位にあるかは分かりかねるが、こちらの軍隊が「侯爵・辺境伯・伯爵」クラスが主体であることを考えると、数百億円~。
かりに、もうワンランク下だったとしても、数十億円~。
大金貨で言えば「数万枚~」か、どれほど少なくとも「数千枚~」が適正な相場だということらしい。
高すぎないかとも思うのだが。
近現代の国家や軍隊とは異なり、「あなたが死んでも代わりはいるもの」というシステムにはなっていない点が、効いているようだ。
王国にしても北賊(連邦)にしても、社会制度は隅々まで個人に依存している。
たとえば領邦の主は、領邦全体を切り回す存在である。
極論すれば「領邦そのもの」とすら言える。
貴族とは、言ってみればそれ一人が県や町であり、会社のようなもの。
したがって、その身代金は、「領邦(国家、地方自治体)の予算」との比較で論ぜられるべき金額となる。
日本の小さな町だって、予算は十億円からの金額だ。
経済規模その他諸々の違いを考えても、ファンゾ百人衆やドメニコ・ドゥオモのレベルで、身代金は大金貨数百枚(数億円相当)ということになる。
北賊の社会システムが貴族政なのかどうかは分からないし。
身代金に関するシステムがどうなっているのかもよく分からない。
とは言え、方面司令の身代金が大金貨500枚ということは、考えにくい。
ちなみに。
ヒロ・ド・カレワラ氏であっても、もう少し高いらしい。
「カレワラの当主なら、大金貨1000枚ってことはないわねえ。貧乏な宮廷貴族で、家の勢いが皆無に等しくて、地位が低くて財産に乏しいとしても。」
え!?
ちょっと。俺、十億円からの価値があるの?
やべえ、頬が緩む。
「やらしいなあ、そういう考え方。」
「なんだヒロ、捕まりたいのか?俺は嫌だぞ。『翼』と『嘴』をどうするんだ。」
庶民の幽霊、ピンクとヴァガンからお叱りが入る。
「だからしゃんとしなさいって言ってるの!」
アリエルからも。
ともかく。
北賊の交渉担当である。
何だってまた、そんな無茶な金額を……。
ああ、そうか。
交渉決裂を狙っているのか。帰って来てほしくないんだ、無能な司令官に。
あるいは、長々と交渉したいんだ。その間、今の体制で戦えるから。
ならば。
「大金貨500枚ですね。承知しました。では、ご本人(方面司令)とこちらの将軍とで、調印を。支払いは後で構いません。」
「え!?いや、しかし。身代金を受けるのは、捕らえた方でしょう?その方の了解を受けずに……。」
俺が5億円もらえるの!?
相場から言えば、数十億円もらえるはずなの!?
ここはもう少し粘って……いや、いかんいかん。引き伸ばしなど、させてなるものか。
「私ですので。それで構いません。」
こちらの世界に転生してから、俺も大概景気が良いけれど。
もともと、数百万円以上の金額は、想像できなかったわけだし。
今でも数千万円(大金貨数十枚)までが理解の及ぶ範囲であって。
5億円も50億円も、俺の中では「理解の範疇を超える大金」には違いないのである。
嘘を言いましたごめんなさい。
さすがに10倍となれば、違うということぐらいは分かる。
だが、敵の大隊長、あれはヤバイ。今の体制のまま、あいつに活躍されるよりは、マシだ。戦に負けては、それこそまさに「元も子もない」。
でも、数十億円かあ……。
そんな逡巡は、出番を待ち構えていたアレックス様に断ち切られた。
「交渉はまとまったようですね。では、司令殿。こちらに調印を。」
仕方無い。自分で決めたことだ。
そんな俺の覚悟を、敵司令官が揺さぶった。
「身代金が大金貨換算で500枚だと?私を馬鹿にしているのか!貴様ら、やはり……。」
交渉担当を睨みつけている。
「部下に馬鹿にされている」という噂に信憑性を持たせる効果は、あったかもしれない。
「いえ、その。駆け引きですので。」
交渉担当、困り果てていた。
他人事ではない。敵方面司令官殿が、返す刀で俺を問い詰める。
「貴殿も!私の価値をその程度と思っているのか?」
どうしよう。
そうだ、ここは脳筋ムーブで。
「大金貨500枚、見たこともない大金です!」
あきれ果てた顔を見せる方面司令の後ろで、アレックス様が笑いを噛み殺していた。
「気の回る若者で、儀礼にも長けておりますゆえ、交渉に出しましたが……。いいようにやられてしまったようですね。」
「覚えておきたまえ。私ともなれば、どう安く見積もっても、大金貨で一万枚は下らぬよ。」
視界の片隅で、相手の交渉担当がげんなりした表情を見せていた。
「そんな価値あるかよ」とでも言いたげだ。
実際は数千枚、王国で言う子爵格と言ったところか。
「授業料だと片付けることもできぬ金額だ。私の評判にかかわる。2000枚換算としておきましょう。ほか、我々が捕らえた者も解放する。それで形になるでしょう。」
「寛大なお申し出に、感謝いたします。」
早々に交渉は終了し、敵の方面司令は意気揚々と帰って行った。
いや、意気揚々なのは、俺である。
20億円!!
「某の領土であれば、4年は回せるでござるな。」
モリー老が、ため息をついていた。
「ああ、それだけの金子があれば……。やれることはいくらもござった。南ファンゾの統一すら、夢物語では無くなってくる。」
大金貨2000枚。
20億円換算。
ちょっとイージーモード過ぎやしませんかねえ。
などと言う事は、決して無い。
戦争とはお金がかかるものだということを、ここのところ俺は痛感していた。
現代の戦争だって、ミサイル一発数千万~数億円、ヘリや戦車が数十億円。
比較の対象として、現代の兵器は不適切だとは思うけれど。
戦争とは「国運をかけて臨むもの」である。そこに違いは無い。
貴族は、それ一人でもって、領邦(地方自治体)に等しい。
大戦には、その予算数年分をぶちこむものなのだ。
「カレワラ当主の身代金なら、大金貨1000枚ってことはないわねえ。」
アリエルのその言葉は、カレワラ家なる法人(?)の一年の予算がそれ以上にあたる、ということを示唆している。
大金貨2000枚とは、カレワラ家が大戦に注ぎ込む予算規模としては、まさに「適正」なのである。
例を挙げよう。
まずは、3人の郎党・従僕の給与……と言うか、戦争のための支度金。
本来ならば、郎党も彼らなりに積み立てておくことが求められる。
とは言え、カレワラ家は急に立ち上げられた存在だ。彼らに負担を押し付けるのは、筋違いとなる。
必要な費用は、ほぼ全て俺持ち。
ピーターとアカイウスの弓、矢、弦、槍。ユルの斧。
武器は消耗品だ。ストックも含め、こちらで準備した。
もちろん、旅費や食費、滞在費もかかる。
大金貨数十枚にはなる。
アカイウスは騎兵ゆえ、馬の費用がある。
俺だとて、百騎長が徒歩という訳には行かない。
馬のお値段と餌代その他で、大金貨数十枚。
そして、グリフォン。
これが大きい。騎兵には金がかかると言うけれど、グリフォンはそれ以上だ。
グリフォンは、肉食である。
好物である牛馬の肉が一頭、大金貨数枚(数百万円)以上。
戦争になると、大量の物資が消費されて物価が跳ね上がる結果、そういうことになる。
「翼」と「嘴」の2羽もフル稼働しているので、一週間でそれぐらいを食べてしまう。
全部食べるわけでは無いのだが、中途半端に部位だけを買うことも思うに任せないので、一頭買いする他はない。夏場は肉が傷むのも早いから、2週間は保たない。
仮に3ヶ月となれば、大金貨100枚に達する。
その他もろもろ、当然必要とされる経費だけでも、大金貨数百枚に達してしまう。
必死に貯金してはいたものの、俺の持ち金は大戦開始直前で大金貨100枚には至っていなかった。
戦費については、フィリアに借金することで賄っていたのだ。
戦地に出てからの特別な出費もある。
各種情報を得るべく、司馬やヒュームに仕事を頼む際には、その費用を渡す必要がある。
校尉とは、本部付きとは、そういう仕事だ。
この間の事情が、フィリアが俺を校尉に指名した背景でもある。
幽霊を活用できるならば、手間や費用がかからないだろうということを見越していたのだ。
ちなみに千早は、天真会のメンバーを、いわば格安で利用できる。
俺以上に出費が少なく、俺よりも貯金が多いので、苦労はしていないようだ。
特別な出費と言えば。
友愛大隊にも、褒賞を出した。
あの時には気づかなかったが、彼らは俺に大金貨数千枚相当の手柄首を譲ってくれたのだ。
身代金が入った今、口を拭ったままでいるわけにはいかない。
大金貨200枚を支出した。
痛いけれど、仕方無い。これは彼らの正当な取り分だ。
ひとりにつき1枚換算。
隊長のディミトリスに、いちおう相談してみた。
はじめは400枚を提示したのだが、固辞された。
「私達は、敵部隊を蹴散らす手柄を挙げました。いただけません。」
「いくら嫉妬を恐れる必要があると言っても、気前よすぎやしないか?」
「大金貨で払っていただくよりも、直参貴族に我らを理解していただく方が、ずっと価値があるのですが。」
「十分ではないかもしれないが、私はもともと、一応は理解しているつもりだ。それはそれ、これはこれだよ。」
「上官から『正当な取り分』と言われてしまえば、拒否は許されませんね。……その、これは余計なひと言かもしれませんが。校尉殿の場合、嫉妬されることは無いかもしれません。しかし、煩わしさは避けられないでしょう。適度にあしらうことを、お勧めいたします。」
似たようなことを、アカイウスにも言われた。
苦労を重ねた「おとな」の忠言は、当たるものなのだ。
「ヒロ君。ジャック・ゴードンとスヌーク・ハニガンの葬儀のことだが。立花軍団としては、士気のことも考え、盛大に執り行いたいのだ。」
「それは良いと思います、リーモン閣下。あの2人は、立派な男でした。私も友人として、感謝いたします。」
「私的な会話だ。閣下はよしてくれ。それはともかく。……君は、2人の仇を討ったに等しい功績を挙げている。学園の同期で、親友だったのだろう?葬儀は立花、あるいはリーモン家で主催するが、君にも名を連ねてもらえないだろうか。カレワラには、それだけの格がある。」
リーモン家とカレワラ家は、その遠祖が建国の英雄王の親衛隊員だったという縁がある。
もちろん、俺には直接の記憶があるわけではないけれど。
両家の関係は、本来的に良好なのである。加えて、協力して悪霊退治をしたウォルターさんと俺の関係も、出会いの時点から良好なもの。昨年末に再会して以来、交際が続いている。
今後も縁や付き合いというものを強化していくべきだということは、理解できる。
だが、ここでウォルターさんが言いたいこととは。
家の立場が似ているということは。
経済的な立場も似ているというわけで。
武官ながらも領邦貴族ではないリーモン家は、(貴族の中では)裕福とまでは言えない。
将軍昇任を目指す今次大戦に備え、貯金に励んでもいたであろうけれど、何せ軍団長だ。その出費は莫大。
「主催する」、「名を連ねる」とは、要は費用負担の問題なのだ。
「お金を出してくれないか?」と、そういうこと。
真の貴族は、人を困惑させるような真似をしないものらしい。
そんなことは無いとも思うが。
リーモン家を、ウォルターさんを困惑させるのは、絶対に悪手だ。
「光栄です。喜んで、名を連ねます。」
「ありがとう。……ここが私にとって、正念場のようだ。」
「司令官を送り返しました。敵の大隊長は、更迭されるでしょう。戦況は良くなるはずです。」
大隊長どころか、地球の軍隊で言うならば連隊長クラスであった。
王国の軍制で言うならば、百騎長レベル。
戦功に伴い昇進したのか、今や数千人を率いる千騎長レベルで活動している。
あいつさえいなくなれば、山岳地帯・西部戦線は守り切れる。
お互い、自然に笑顔がこぼれた。
フィリアへの借金も返済した。
これで気持ちの点では、だいぶ楽になった。ひと息つくことができた。
けれど。
その時点で、身代金の半分、大金貨1000枚が吹っ飛んでいた。
戦は始まったばかりだと言うのに。
これでも、カレワラは出費の点では「まし」な部類なのだ。
立ち上げたばかりの家ゆえ、係累が少ない。
100人からの郎党・兵士を引き連れている「ナイトの」ドメニコ・ドゥオモや、「騎兵の」セルジュ・P・モンテスキューに比べれば、出費は何ほどのこともない。
(もちろん彼らの場合、郎党や兵士が自己負担をしてもいるけれど)。
煩わしさは、まだまだ続いた。
ディミトリスとアカイウスが指摘した通りに。
「出費が少ない家に、大きな臨時収入があった」と来れば。
「武士は相身互い」とばかりに、寄って来るのである。
エドワードあたりが。
エドワードも、連れてきた係累は少ない部類だ。
が、家格の都合上、どうしても出費が多い。
というわけで、遠慮はしつつも、各種費用を俺のツケに回して来る。
「後で払うから!」
とは言っているし、キュビ侯爵家の信用上、その言葉に嘘はないことも分かっているが……。
当座の出費に煩わされるのは、俺である。
まあ、エドワードひとりの生活費ならば、多寡が知れている。
人徳なのか、嫌味が無い。つい許してやりたくなるようなところもある。
典型的な武人肌らしく、まるで悪びれないのが良いのだろうか。
しかし。
ディミトリスとアカイウスの指摘は、そういう意味ではなかった。
エドワードのような「陽性」の反応ならば。
あるいは、「(回せる範囲の)お金で済む煩わしさ」であるならば、良かったのだけれど。