第百十二話 戦場の幽霊に関する覚書 その1
大軍がティーヌを渡り、平原を北上する。
セルジュ・P・モンテスキュー十騎長率いる騎兵隊が、周囲を警戒する。
万一に備え、グリフォンの背に乗った俺と千早が上空を旋回する。
行軍すること数日の間、危ない思いをすることは、なかった。
南ウッドメルは、王国の支配圏なのだから。
ウッドメルシティは、ウッドメルのほぼ中央にある。
第三章のプロローグに則った表現を用いるならば、楕円形をした時計の中心点だ。
ウッドメル大城は、そこから10時方向に数十kmの地点にある。
時計の7時と11時を結んだ山際の東側、グウィン河の南岸に存在する。
軍団の大まかな配置を述べる。
大城の西側、山地の要害に散開して防衛線を張るのが、リーモン子爵率いる立花軍団。
大城周辺からウッドメルシティまでを防衛するのが、前将軍ケイネス率いるウッドメル軍団。
その東側、平原を担当するのが、左将軍ギュンメル伯爵の軍団。
さらに東側の最右翼、ミーディエの国境付近の山地とグウィン河の両岸を固めるのが、右将軍ミーディエ辺境伯率いる軍団である。
ファンゾ衆は、ギュンメルとミーディエの間に陣を布き、主に水軍・遊撃を担当する。
本軍は、ウッドメル大城、ウッドメルシティ、さらに後方の街周辺に待機し、主力決戦に備える。
それにしてもウッドメル大城、いやらしい(もちろん、褒め言葉だ。)位置にある。
平原が広がるウッドメルを、北から攻撃するのであれば。
大軍をもって一気呵成にグウィン河を渡り、ウッドメルシティ周辺で野戦を行いたいところであるが。
大城を抜かずにそれをすれば、城から出撃した兵に渡河されて横撃・背撃を受ける。
ウッドメルシティ周辺で粘る王国軍との挟み撃ちに遭う。
かといって大城を攻略しようとすれば、グウィン河と西の山地に阻まれる。
攻略するためには、山中の要害に配置された王国軍の陣地を抜く必要があり、そのためには、囲碁よろしくさらにその大外への布石が必要となる。最西部の山岳にも兵を貼り付けねばならぬのだ。
もちろん、ウッドメルシティ付近からの渡河に備えた布陣も要求される。
よほどの大兵を擁しなければ、攻略は覚束ない。
ウッドメル大城がいやらしいのは、その位置だけではない。
出丸・城壁・三の丸と、まあとにかく悪意に満ちている。
内側から見ていると分かるのだが、「ここを抜かねば絶対に落とせない」という頑強な防壁があって、しかもその防壁を落とした内側に待ち構えているのが、いわゆる「殺し間」と来ている。
戦略的には、現状「大規模野戦陣地」に過ぎぬ、ウッドメル大城だが。
戦術的には、その名に恥じぬ「城」であった。
「いかがですか、皆さん。」
ケイネスが、穏やかな笑顔を見せた。
「ウッドメル総督閣下は温厚なお人柄と聞いていたが、いやいや。」
シーリーン・ウマイヤ将軍が首を振る。
「これは大した性根をお持ちだ。」
「お褒めに預かり、光栄です。」
半ば込められていた皮肉も、そのままに飲み込んでみせる。
このあたりが「二段底」と千早に評される所以か。
いや、案外と感情が露になっている。
俺を見る目には、何物かが籠もっていた。
「この城の位置、防御施設の原案は全て、今は亡き弟のヤンが構想を練り続けていたものです。」
そう言って、一冊のノートを取り出した。
表紙には汚い字で、こんな言葉。
「ぼくがかんがえた、さいきょうのおしろ」
さらに、次々とノートを取り出す。
表紙にはタイトルが無くなり、内容は飛躍的に洗練されたものへと変わっていた。
こう言っては何だが、ヤンらしい、悪意に満ちた構想へと。
あらためて、最初の一冊を手に取る。
「かべのそとに、ぼくがでる。にいさんがおしろからこうげきして、ぼくとはさみうち。セイミは、ぼくたちがまもる。」
俺は、知っている。
この言葉にだけは、嘘は無い。
「あの壁を、ヤン防壁と名づけました。大戦後、本格的に城を作り直す際にも、再びこの名を付けます。」
「我らに見せてしまって、良いものか?」
「良いのです、アレクサンドル閣下。よりえげつない構想が、まだまだありますので。」
「ヤン少年、良き軍人になれたであろう。相手の嫌がることを徹底する、したたかな軍人に。」
屈辱への復讐を日々思い描いていたために、日常の思考も、いや行動すら、そちらに染まってしまった。
そのためにヤン少年は人望を失い、命を落とした。
いや、我が郎党アカイウスに、殺された。
ヤンの知られざる一面を知った上で、それでもなお。
千早がケイネスを見る目は、変わらなかった。
「庶民を泣かす貴族は、許せぬ。ヤンが殺されたのは、当然だ」と告げている。
おそらくジョーならば、許すのであろう。
「どれほど悪辣でも、庶民を泣かしても、国を、生活の基盤を守ってくれるならば」と。
どちらが正しいかは、分からない。
だが、アカイウスが絶望を覚えたことだけは、確かな事実。
俺は、あるじだ。アカイウスの目を、信ずる。
だからケイネスの視線を、真っ向から受ける。
フィリアが、割って入った。
ケイネスを目で抑え、そのまま背を向けて俺に向き直り、命ずる。
「ヒロさん。お願いしていた件を。」
フィリアが俺に頼んだ仕事。
それは、城外にたむろする幽霊達のチェックである。
北ウッドメルの野では、すでに前哨戦が行われている。戦死者も、出ている。
戦死した後、天に帰る(輪廻の輪に還る)ことができずにさまよう幽霊も、「生まれる」。
むろん戦場に出ている霊能者が浄化を行うのだが、乱戦が続くとその余裕も無い。
そこで幽霊達は、死してなお戦場に踏みとどまり、敵に襲いかかる。
そして結局、霊能者達の手にかかる。
浄化の手続きを取られることなく、彼らが振り回す武器に散らされる。
だが。
幽霊達の中にも、「生き残って」しまう者が出る。
所在無いので、城へと帰ってくる。
ところが、城の外郭にはまたも霊能者達。見張っているのだ。
敵の幽霊が城内に入り込み、暗殺や放火を狙っては困るから。
そして一般の霊能者は、幽霊の存在を感知はできても、それが誰なのかまでは、判別できない。
だから城内には、一切幽霊を入れない。
代わりに、幽霊に呼びかけるのである。
「英霊達よ!戦争が終わるまで、城外に待機してくれ!敵の幽霊の侵入を防いでくれ!」と。
俺の目の前に広がる光景、それこそ。
死してなお安らぎを得られぬ幽霊達の、野にさまよう姿。
物語として詩人にうたわれる英霊達が、悲嘆に暮れる様子。
……のはずなのだが。
その実情は、案外あっけらかんとしたもの。
「ああクソ、死んじまった!」
「やることねえなあ。敵さんもここまではなかなか来ないし。」
「こっちから行くか?何人かやっつけて、浄霊師か説法師にやられるってのも、アリじゃねえか?」
「よせよ、二度も死ぬ思いするなんて、ゴメンだぜ。」
いや、詩人の歌そのものの姿を見せる幽霊もいる。
「母さん……。」
「幸せになってくれ、メアリ。……そう言いたいけど……。無理だよチクショウ!」
「手柄を立てたのに、申告する前に死んじまった!ああもう!一時金が増えるはずだったのに!」
「俺なんか生死不明扱いだぜ?家族に、一時金がいつになったら支払われるか……。」
悲喜こもごも。
いや、さすがに「喜」はいないか。
ともかく、生きている人間と、変わらない。
ざっと見回したところ、敵方の幽霊は存在していなかった。
声をかける。
「生死不明の者、名と所属を。……手柄を申告できなかった者、証拠はあるか?……他に何か、家族に言い残すことがある者は?」
毎度毎度のことながら。
「何だ、あんた。」
「死んじまえば偉いさんも何もねえ。黙ってろこの青二才!」
このやり取りにも、もう慣れた。
「青二才かもしれんが、私は諸君の姿を見、声を聞く事ができる。軍監・フィリア閣下の命により諸君を管理しに来た、死霊術師にして監軍校尉のヒロ・ド・カレワラである。」
「本当か!?」
「なら、頼みがある!」
「聞いてくれ、実は……。」
わらわらと寄って来る。
こちらの世界に転生して初めて、幽霊を怖いと思った。
でもこれやっぱり、幽霊として怖いんじゃなくて、群衆として怖いんだよなあ。
「軍規に従え!死んだとは言え、諸君は誇り高き軍人であろう!」
言ってみるものだ。
ピタリと、幽霊達の行儀が良くなった。
習い性とは恐ろしいものだと知る。
「生死不明扱いの者、手柄の問題がある者。こちらのシスターピンクに報告せよ!」
そして、もうひとつ。
フィリアから頼まれた仕事に、取り掛かる。
「士官だった者、契約を頼めるか?今しばらく、働いてもらいたい。もちろん、手柄として記録し、遺族への一時金を積み増しする。」




