第百六話 挑戦 その3
ピーターが、満面の笑みを俺に向けながら近づいて来る。
「マスター、おめでとうございます!」
何を言っているんだ?お前は。
身の内から、何かが急に突き上げる。
木刀を、打ち下ろしていた。
……海竜の盾に。
俺の表情を見たユルが、巨体に似合わぬ素早さで体を滑り込ませていた。
アカイウスが、ピーターの襟首をつかんで引き戻していた。
「済まぬ!」
「そのお言葉は必要ありません、ヒロさま。」
「ピーターが悪いのです。後で私から言って聞かせます。」
そう。
この世界の基準では、悪いのはピーターなのだ。
「試合に勝って、勝負に負けた」武人に、「おめでとう」などと声をかけたのだから。
よりにもよって、試合直後で気が立っている武人に。
俗に「剣道三倍段」とまで称される、「間合いの利」。
それを有してなお、薄氷の勝利しか得られなかった俺。
勝負には、負けていた。
それなのに、従僕が「おめでとうございます」などと声をかけたのであれば。
あるじは打ち据えて教育を加えても良い。いや、打ち据えるべきだ。
それが、この世界に生きる者の感覚。
視界の片隅で、クレアが深く頷いているのだから、間違いない。
ユルとアカイウスが止めたのは、感情任せで乱れた俺の剣筋であっても、相手がピーターでは大怪我をしかねないから。
打つことを咎めているわけでは、無い。
だが、恥ずかしかった。
庶民出身で、武術の心得が無いピーターは、そうした事情を知る由も無い。
あの千早を相手に、試合には勝っていたのだから、称賛の声をかけても仕方無い。
それなのに、俺は木刀を振り下ろした。
これまでなら、振り上げても留まっているところだ。
それをためらいなく振り下ろしていた。
……弱い者いじめじゃないか。
腕力で劣り、立場も弱い者に対して、俺は何ということを。
いったん外した海竜の兜を、再び装着する。
どかりと、腰を下ろす。
今の顔を、他人には見せられない。
反省は、している。
だが、その顔は、失敗をしたという弱みは、余人に見せてはならぬもの。
諸先生が、次々に声をかけに来てくださる。
「悔しいか、ヒロ。その心を忘れるなよ。」
真壁先生が、ばしりと左肩を叩く。
そうじゃない。
いや、それもあるけど、そうじゃないんだ。
「君は間違っていない。あそこで木刀を振り下ろしてこそ、武人だ。」
松岡先生が、右肩に手を置く。
「だがその感情、捨てることはできぬようだな。……ならばせめて、溜めぬことだ。気持ちの切り替えを覚えなさい。今後も型稽古を続けるように。」
兜を脱ぐ。
「真壁先生、松岡先生。お教え、ありがとうございます。……ピーター、気に病むな。私達は、主従ともに、まだまだ至らぬ。……ユル、アカイウス。これからも頼む。」
「至らぬなどと。武勇においては、私の知る方にも劣りません。」
認めてくれるか?アカイウス。
改めて挨拶に伺った審判団の先生方からも、咎められることは無かった。
「刺々しい時期を経ぬままに、上達していくのかも知れぬと思っていた。なに、責めているのでは無い。こればかりは、本人にはどうしようもない。周囲が気を配るべきことだ。」
「ヒロ!貴様はまたうじうじと!試合には勝っているのだ!阿呆になれ、見苦しいぐらいに誇れ!『勝負に勝ったのは某でござる』と千早に負け惜しみを言わせずして、どうする!……塚原先生も塚原先生ですぞ。こやつの性根はどうなっている!」
「全面的に同意ですな、学園長。千早から一本取ったことは、誇って良い。」
「さようですの、閣下。……ヒロ君、万一に備えた我らの手を煩わせずに試合を終えた。そちらは、誇れるであろ?」
みんな、平常運転だった。
切り替えは、武人・軍人の必須スキル。
いつまでも気にしてはいけない。
気にすべきことは、他にある。
「好奇心の女神、いえ精霊ですか。本当に子供の姿でしたね。」
「見事な最期にござったな。」
寮への帰り道。
鈍色の夕空の下、俺の走馬灯を垣間見た2人の口調は、重かった。言葉を選んでいた。
……ように、思えたのだが。
「話すよ、全部。談話室で。」
言質を取ってしまえば、遠慮をする2人ではなかった。
「無事、『成人の儀式』も終えられたようですし……終えたのですよね?」
「卑怯にござるぞ!試合中にあのようなものを見せるとは。……噴き出すところにござった!」
終えたかどうか、不明。
ロマンスではなく、笑い話。
と、いうことは。
「あの、『暴発後』については……。」
「おなごに何を聞く!」
「教えてあげません。」
やっぱり、二人には頭が上がらない。
真夏の太陽のごとく暑苦しい学園長は、その後もしばらく、くすんでいた。
他流試合で元気を取り戻したかと思ったのだが。
引継ぎに忙しい生徒会執行部に乗り込んできたその額、やはり曇天模様。
「3年生は、卒業する。2年生のうち、異能者は何らかの形で戦争に参加させよという、征北大将軍府からの内意があった。問題は、他の2年生と1年生である。……『生徒のことは、生徒が決める』のが、学園のしきたり。戦争に参加させるかさせぬか、貴様らが決めるべきであろう。」
おかしい。
いつもの学園長であれば、叫んだ後、部屋を出て行く。
「後で結果だけ知らせろ」というわけだ。
今日は、腰が重い。
スキンヘッドの、照りが鈍い。
イーサンが、提案した。
「1年生も、自由参加ではいかがでしょう。各々異能を持ち、あるいは家を背負っているおとなです。自由意思に任せるべきかと。」
「む、そうか?」
おかしい。気持ちが悪い。
イーサンはあまり知らぬかもしれないが、この人とは接触が多かった俺は、違和感しか覚えない。
フィリアや千早も、首をかしげている。
「自由意思か。貴様らが仕事をさぼっているようにも聞こえるな。何か基準は無いのか?」
ああ、はい。分かった。
基準を示せ。……厳しい基準をな!ってね。
学徒出陣なんか、させてたまるか。
「学園長!戦場は過酷です。まともに戦えぬ者に来られても、迷惑なばかり!私が腕を試します。水準以下の者には、参加など認めぬ!」
芝居がかった俺の口調に、学園長が笑顔を……見せまいとして、慌てて渋面を作る。
額に少し、照りが戻った。
「ヒロ貴様!学園の生徒が役に立たぬだと?」
素直じゃ無いなあ。
喜んでるくせに。
「ならば、場を用意する。言いだしっぺは貴様だ!貴様に任せる!」
俺を直視して、今度こそ部屋を出て行った。
てっぺんまで照りが戻った後頭部。
それでもこの日の輝きは、こころなしか柔らかかった。
参加を希望する下級生達が、演武場に集まった。100人はいる。ふた学年の、約三分の一。
朝倉を、引き抜く。
妖気全開。
「今、背を見せた者!腰が抜けた者!参加は認めぬ!」
それでも、20人は踏みとどまった。
木刀に持ち替え、プロフィール帳を確認する。
文官の次男坊。
利き腕ではない方の腕の骨に、ひびを入れる。
回復術があるから、2週間もせずに戻るはずだ。
家業を手伝ってくれるよう、説得する。
異能者。
ほとんどみな、庶民枠であった。
武器を破壊する。自前で7月までにもう一本買い揃える経済力は、今の彼らには無い。
警察部門に協力して新都の警備をするよう、頼む。
買い換えのための費用を後で渡してもらう手筈をつけておいた。
予算は、メル家から引っ張る。
軍人の家の少年。
その多くは、メル系。これはフィリアの出番だ。
懇切な説得に、涙を流して引き下がった。
最後の一人。
1年生とは思えないぐらいに、良い体格をしていた。
マグナムほどではないが、当時のジャックほどには、しっかりした体つき。
名乗りは、ナイト。片手剣と盾装備。
次男坊。長男が戦に出るのだから、2人目を出す必要はないはずなのに。
いやむしろ、万一のため、弟は自重すべきなのに。
学園長が「自由意思か。」と疑問をつぶやいた理由が、分かった。
この少年は、1年生のリーダー格の一人。
名乗り出なければ、立場を失う。
貴族らしく振舞わねばならぬ家柄であった。
その名、スヌツグ・ハニガン。
何もかも理解した上でなお、挑戦することを強いられている少年。
松岡先生にはとても見せることのできぬ、「少しいやらしい」まねをした。
数合、打ち込みを受けてやった。
一歩、下がってやった。
仲間たちが、どよめく。
そして、柄頭で、鼻を殴る。
鼻ならば、両腕に支障は生じない。回復術で、すぐに戻せる。兜をかぶれば、保護もできる。
「戦争は兄さんに任せるんだ。君は、家を守れ。」
顔は見えなかったが、確かに頷いていた。
もともと、全て分かった上で挑戦していたのだ。