第百六話 挑戦 その2
初めて出会った時、フィリアはひとりの少女であった。
彼女が大メル家の直系であると知ったのは、旅をして3ヶ月の後。
俺は、権力的な意味合いにおいて、フィリアを恐れたことが無い。
遠慮や怯え、憚りといったものを、覚えたことが無い。
試合当日。
俺は、フィリアを敵に回す者が見ているであろう光景を、体感した。
ひとりの人間と向かい合うときにフィリアが配っている心遣いの細やかさに、思いを致した。
演武場の観覧席、その半分は空席であった。
学園の生徒達は皆、フィリアの後ろ側に陣取っている。
俺の後ろには、生徒は存在しない。誰一人として。
学園全体が敵に回ったかのような、錯覚を覚えた。
種を明かせば。
生徒達がフィリアを憚ったというわけでは、ない。
純粋に安全上の理由による。
海竜の鎧を装備し、妖刀・朝倉を大上段に構える。
この試合は、真剣勝負だ。
向かい合う視線の先には、ドメニコ・ドゥオモとクレア・シャープ。
フィリアの左右を固めている。
やはり万一に備えるため、学園外部からの参加を認められたのだ。
そして、フィリア。
胸の前で手を組み、一心に何かを念じている。
彼女の上空には、巨大な霊弾が形成されつつあった。
ティーヌ河の悪霊を浄化したのと、同じもの。
2年前とは異なり、周囲には死者がいない。霊気が豊富に供給される環境ではない。
それでも、あの時と同じ大きさの霊弾を形成していた。
2年前とは異なり、傍にいるクレアは霊杖・「調整するもの」を掲げていない。
それでも、あの時よりも整った球形を維持していた。
フィリアが、目を開く。
組んでいた腕を、ほどいた。
あの時と、同じ。
霊弾が、ゆっくりと俺に向かって落ちてくる。
加速しながら、落ちてくる。
両断できれば、俺の勝ち。
斬るあたわず、俺が霊弾に吹き飛ばされれば、フィリアの勝ち。
それが、この真剣勝負のルールである。
妖気を最大限に放出した、朝倉。
幽霊達の霊気、俺の気と馴染ませる。
ピンクの指示に従い、混合した気を整える。
長さ九尺、幅二尺の気の塊を、さらに研ぎ澄ます。
刃となった霊気の「行き」が、4倍に及んだのを感じ取った。
霊弾は、すでに目の前にある。
稽古してきた型にしたがい、刃を緩やかに振り下ろす。
切り裂かれた霊弾は、そのまま前進する。
俺の周囲を包んでゆく。
視界が真っ白に覆われた。
再び、走馬灯を見た。
家族の姿。友の顔。初恋の彼女。
フィリアにも、見えているはずだ。
それでも、心が揺らぐことは、無くなっていた。
ただ一心に、斬ることのみを思う。
ゆるゆると、刃を打ち下ろしていく。
視界が、開けた。
走馬灯が消滅する。
止まっていたかのように思えた時間が、動き出す。
残心を取ったその時、背後に剣風の気配を感じた。
両断された霊気の塊が、寸断されていく。
塚原先生に。真壁先生、松岡先生に。李老師に。
場に満ちた霊気を、フィリアが回収する。
「調整するもの」を掲げるフィリアの背を支える必要も、なくなっていた。
特別に観覧を認められていた郎党達の元に、戻る。
ピーターが、何も言わず海竜の鎧を俺の身から外してゆく。
それが、従卒の仕事。
ユルは、興奮に目をきらきらさせていた。
霊気が見えなくとも、刃筋の正しさは分かる少年だ。
俺の背後で演じられた剣舞を見れば、あるじが何を相手にしていたかも、理解できたのであろう。
やはり霊気が見えぬアカイウスは、態度に感情を乗せることすらしなかった。
「いま出てきた緋色の全身鎧が、千早さんですか。2年振りですが、また腕を上げていますね。」
「千早さんとの勝負を見なければ、あなたの腕は測れない」、か。
言ってくれる。
千早に挑んだのは、俺だけではない。
挑み続けた少年も、最後のチャンスに手を挙げていた。
が、やはり、及ばなかった。
二挺拳銃を乱射しつつ走り回るマグナム。
霊弾をかわしつつ追う千早。
膠着状態を、マグナムが嫌った。
足を止め、全力で拳を打ち下ろしたマグナム。
海竜の鱗で作られた千早の兜を、へこませた。
千早がよろめく。生徒達がどよめく。
足を止めて勝負しようとしたマグナムの心意気を買った千早、かわさずに受けたのだ。
その心に答礼を施すべく、全力の正拳突き。
李老師が棒を飛ばす。拳と、マグナムが装着していた胴丸との間に、吸い込まれてゆく。
棒が粉々になり、胴丸に穴が開き、巨体が吹き飛ばされ。
演武場の壁に叩きつけられるべきところを、真壁先生とライネン先生が受け止めた。
アカイウスが、俺を振り向く。
「マグナムの本領は射撃。近接戦なら、私の方が上だ。」
自分でも思っても見なかったほどに平らかな口調に、アカイウスが小さな驚きを示し。
「御武運を。」
そう口にした彼の目には、多少の変化が生じていた。
この日の試合には、賓客の来臨まであった。
言わずと知れた、征北将軍アレクサンドル・ド・メル閣下である。
ソフィア様は欠席。ここのところ、馬車移動を控えている。
保護者代行がフィリアの様子を、その補佐役の仕上がり具合を見に来たと。
そのはずであったのだが。
この日、最終戦。
俺と千早の試合に際し、アレックス様は会場に降りてきた。
「人手は多い方がよろしかろう」とおっしゃって。
主審は、学園長。
副審は、塚原先生と李老師。
双方防具を装着した上での、木製武器による勝負。
ただし、俺は朝倉を「帯びる」ことは許可されている。
千早は武器を手に取らなかった。
周囲に、真壁先生、松岡先生、ライネン先生と、フィリア、マグナムが配置されていた。
何かあった時、咄嗟に止める必要があるから。
「そのような試合を、学園でやらせますか?」
苦笑しながらその一団に参加するアレックス様に、学園長が哄笑で応じていた。
正面に一礼。
所定の位置につき、互いに一礼をかわす。
対戦相手として向かい合う千早の姿は、大きく見えた。
身近にあるがゆえに忘れがちであったが、改めて知る。
千早もまた、天才の一角であるということを。
アレックス様やインテグラのように、間違いなく何かを成し遂げていく存在だということを。
いや、これこそが余計な想念か。
対戦相手として向かい合うならば、思うべきは、ただ勝つことのみ。
正眼に構える。
3歩、間を詰めて止まる。
俺は、実力では千早に劣る。
本来であれば、こちらから先手先手を取って仕掛けなければ、勝利の糸口すらつかめない。
が。
今日は、こちらは木刀、むこうは空手。
「剣道三倍段」ではないが、間合いの利による対抗を図ることができる。
千早の姿が、急に大きくなった。
足運びの気配を小さくする天真会独特の歩法で、間を詰めてきたのだ。
その速度が落ちる。
型稽古を重ねた俺の構えは、松岡先生には及ぶべくも無いが、それでも隙が小さい。
「点」を見極め、正しくそこに至るためには、速度を落とさざるを得ない。
説法師の霊能により身体を強化し、常人の倍以上の速さで動く。
それが、千早の強さを支える要因のひとつ。
その「利」を殺ぐことに成功したのだ。
それでも千早は、するすると間を詰めてくる。
霊気に厚く覆われた右の拳が、突き出されてくる。
木刀を、正しく突き入れる。
拳を、腕を覆う霊気を、抵抗無く削ぎ落としながら、「行き」を千早の喉元へと伸ばしていく。
さらに右脚を踏み込み、半身に構えた千早。
左手で、喉元を守る。
木刀を弾くか、捕らえるか、あるいは砕くか……。
その上でさらに体を進め、右の拳を突き入れんと試みる。
木刀が、左手を覆う霊気をも切り裂きつつ伸びる。
この突きを防ぐことは、不可能だ。
喉は守れても、左手に大きなダメージを負うことになる。
千早に、その見極めが付かぬはずもない。
大きく、横ざまに跳ぶ。
突いた木刀を薙いだが、説法師に、千早に、全力で跳ばれてしまっては届かせようも無い。
左手をかするのみ。それでも海竜の鱗で作られた篭手に、裂け目を作ることはできた。
再び、正対する。
こちらから、間を詰める。
千早の姿を視野全体にとらえ、「点」を探る。
木刀を掲げ、その「点」に薙ぎを入れにかかる。
俺の進入速度も、決して速いものではない。
日頃李老師を相手にしている千早からすれば、「ぬるい」ものに見えているはず。
それでも、打ち込むしかない。勝機は、そこにしかないのだから。
千早が、体を斜めにして薙ぎをかわす。
それはこちらも、予測済み。
薙ぎを途中で止め、軌道を突き上げに変え……
千早の姿が無い!?
「下だよ!」
ピンクの声が聞こえた。
千早は、体を斜めにした上で、滑り込むようにして間を詰めていたのだ。
三尺の「利」は、すでに消されている。
ならば、来る。絶対に。間に合うか!?
木刀を半ば投げ出すようにして、斬り下ろす。
攻撃するためではない。
案の定、千早の膝が飛んで来た。
後ろに、身を逸らせる。
膝から下が回転しながら俺に襲い掛かるところ、木刀がそれを防いだ。いや、防ぎきれなかった。
回し蹴りが、木刀を粉砕してなお、俺の顔面を目掛けて伸びてくる。
風圧に呼吸が止まる。
間一髪、跳び退く。
起こりの時点での間合いと、木刀による減衰が無ければ、俺の体は宙を舞っていた。
塚原先生から、替えの木刀が投げ込まれた。
すかさず、水月の構えを取る。
木刀を失ったところに追撃をかけようとしていた千早の意図は挫かれ。
みたび、対峙することとなった。その間は数歩。
理解した。
腕が劣る俺は、守ることはできても、攻め切って千早から一本取るには、至らない。
間合いの利に劣る千早も、攻撃を弾くことはできても、防御を固める俺から一本取るには、至らない。
このままでは、膠着するばかり。
それならば。
対峙しつつ、円を描くように歩む。
少しずつ、間合いを広げながら。
思いは、一致していた。
呼吸を合わせ、舞いを踏むかのような、数拍。
やはり千早は、美しかった。
試合開始時の距離に戻る。
千早が、構えを取りなおす。
俺も正眼に構える。
双方が、共に仕掛ける。
勝負をつけるには、それしかない。
「「いざ!」」
互いに、全速で駆け寄る。
2年前の俺とは違う。
ただ馳せ向かうのでは、ない。
全速で駆けても、正しく間を詰めることができる。
間合いの不利を消すべく、千早は、霊気を右腕に集中させ、大きな塊のままに突き出してきた。
滝田太郎を相手にした時と、おなじ型。
その大きさは、数倍に達していたが。
木刀を正しく把持し、その霊気を切り裂いていく。
寸隙に体を差し入れ、一点を目掛ける。
左の視界が、白くなってゆく。
霊気が、俺の身に迫っているのだ。
再び、走馬灯が見える。
千早と、目が合った。ああ、見えているんだな?
右の視界が、開けた。
霊気の防御を、抜けたのだ。
「それまで!」
俺の木刀は、千早の頸に擬されていた。
千早の拳は、俺の身に届いていなかった。