第百四話 千里を行く その2 (R15)
目が覚めた。
真っ暗だが、分かる。ここは、女神の小部屋だ。
それなのに。
部屋の主の姿が見えない。
幽霊達もいない。
俺は、死んだのか?
あれだけ即効性のある毒矢を受けたのだ。死んだか、少なくとも瀕死なんだ、きっと。
だから幽霊達も、力を失っているんじゃないか?出てこられないんじゃないのか?
俺が死んだら、どうなる!?
「頼む!出てきてくれ!好奇心の女神!お願いだ!この通り!」
這い蹲り、部屋の床に頭を擦り付けた。
迷いなど、無かった。
「ヴァガンを、新都に連れ帰ってくれ!ユウと契約させて、息子のファギュスを、グリフォンを見守らせてやってくれ!ピンクとモリー老もだ!親父さんが天に召されるまでの間、千早が結婚するまでの間、ユウと再契約を!朝倉は……塚原先生か、千早に。相応しい持ち主が見つかるまで、保管してもらわないと!ジロウは、今なら『巽の大樫』一族が近くにいるはずだ!それと、アリエル!済まない、カレワラ家を再興する約束を果たせず……何か心残り、あったんだろう?かなえてやってくれ!頼む女神さま!」
喚き叫ぶ。
遠くから、かすかに声が聞こえてきた。
「ヒロ殿。一家の主がそのような姿を見せるものではござらぬ。」
「全くだ。プライドが無いのか!」
「でも、ちょっと嬉しいかも。何かのネタに使えないかなあ。」
「ごめんな、ヒロ。そこまでさせて。」
「ちょっと、なにすんのあんた達!今いいところなんだから!みんなしてこっちに来たくせに!」
女神の声だ!
「出てきてくれ!あんたの眷属でもゴーレムの材料にでも何にでもなるから!」
「いいところなのは分かってるけどさあ。」
「ピンク!喪女のクセに!それから女神ちゃん!いくらヒロの主神だからって、カレワラ家の当主にああまでさせることは許さないわよ!」
胃の腑に響く重低音!アリエル!
上空に、穴が開いた。女神が落ちてくる。その上から、幽霊たちが降り注ぐ。
どうやら、みんなして女神をこっちに押し転がしてきたらしい。
「良かった!なあ女神、俺は死にそうなんだろ!?生きている内に、幽霊の皆に再契約先を!」
「ヒロ!このバカ!あれぐらいで死ぬか!土下座なんかするから、皆の風向きが変わっちゃったじゃないか!」
はい?
「肝機能が20ポイントアップ、白血球の働きも20ポイントアップ、各種免疫機能、それぞれ20ポイントアップ。そもそも体力が20ポイントアップ、その他もろもろ。猫より強い!ハブに噛まれても死なんわ!」
全ステータス20ポイントアップ(MAX100)って、大概のチートだったんだなあ。
「じゃあ、今の俺は?」
「それでも毒矢を受けたんだから、高熱を出して寝込んでるね。いやしかし、土下座して泣き喚く必死の懇願。良いもの見せてもらったわー。」
「悪趣味だぞ!でも、そうだ。『今いいところ』って、何が?」
「あっ!肝心なところを見逃した!結局どうなったか、わかんないじゃん!ヒロのバカ!あっち行け!」
いつものように床に穴が開く。
「わ、あわ、うわわわあああー。」
そういや、ヴァガンは初めてだったな。
新入りの洗礼と思ってくれ。
……体が重い。動かない。妙にけだるく、熱っぽい。
何かに乗られているかのような……。
乗ってる!?
「目、覚めた?」
仰向けに寝ている俺の下から、声がした。いや、上か。
どちらも間違ってはいない。
体の上、あごの下。
胸のところから、声がした。
肺の空洞を震わせて、直接体に伝わってくる。
目が合った。やや丸い、アーモンド型の目。
ぱっと笑みが咲く。
「強いんだね。ユキヤマクサリヘビの毒を受けて生きてる人なんて、初めて見た。」
柔らかいものが、俺の体の上で動きを見せる。
「起きたんなら、食べなくちゃね。」
ふっと息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。
吐息が胸にそよぎ、ぞくりとした官能を伝えてくる。
身動きが不自由でなかったら、つかまえて引き戻していた。
いや、実際そう動きかけた。
するりと俺の腕をかわした後ろ姿は、シーツを纏っていて。
見たいものがいろいろと見えないのに、かえって体が熱くなる。
かたちの良い輪郭だけが、うっすらと透けて見える。
テントの次の間に消えた女性は、戻ってきた時には服を着ていた。
替えのシーツと、スープを持って。
正直、落胆した。
「どうしたの?まだ気分が悪い?」
「いえ、大丈夫です。助けていただけたこと、感謝いたします。」
「私も助けてもらったから、お互い様。あいつ、仇だったんだ。毒矢を使うから、なかなか踏み込めなくて。」
「連中を付け回している人がいるって聞いたけど、あなたでしたか。」
「バレバレだった?危なかったなあ。それで、起きて早々、あつかましいお願いだとは分かってるけど。……あいつの首、もらえないかな?」
こんな話を急に振られても、俺の体は「ちぢこまる」様子を見せなかった。
大概たくましくなってきたようで。
「似顔絵は、もう描いたよ?」
ピンクの声が聞こえてきた。
俺の側は、情報を持ち帰れば十分。
「ええ、どうぞ。持って行ってください。ただ……」
「体を要求するの?」
「これだから喪女はいやよねえ。ピンクあんた、薄い本の読みすぎよ!妄想ばっか逞しくなっちゃって。」
……脳内が騒がしくて困る。
「あいつの情報を教えてもらえますか?私の友人は、連中に殺されました。残党がまだいるのかどうか……。」
女性が、ほんの少し、迷いを見せた。
先ほどは俺の胸の上に乗せられていた形の良いあごが、小さく傾いている。
「おおよそは、分かっているみたいだけど?まあ、いいか。あいつは、いわゆる諜報部員。実働部隊のリーダーの一人で、ギュンメル・ウッドメルからサクティ・新都へのラインを統括していた文官の、副官だった。ここ数日でライン全体が壊滅状態になったから、懲罰人事的にあいつが引っ張り出されたの。その情報を得たから、私も後を尾けたってわけ。」
じゃあ、諜報や暗殺の話は、これでもう……。
良かった!
やってやったぞ!
「ずいぶん嬉しそう。全部、君なんでしょ?まだ若いのに、頑張ったね。」
小麦色に日焼けした腕が伸びてくる。
頭をなでられた。
俺の中身よりは年下の女性にそういう扱いを受けると、何だか微妙な気持ちになる。
体のほうは、熱くなる。
「元気になってきたかな?汗かいただろうし、着替えなきゃね。出して?」
!
「いや、そのようなこと、していただくわけには……。」
現状、俺の下着は、女性の前に出せる状態ではない。
暴発の痕跡が明々白々なのである。
そういえばさっき女神が、「今いいところ」だと言っていたが。
その後、暴発して終わりだったのか。
暴発の後、成功していたのか。
本題から少し離れたことを考えているうちに、含み笑いが返って来た。
「そっか、恥ずかしいよね。着替え置いとく。でも、洗わないとダメだよ。」
そう言い置いて、かたちの良い後ろ姿が、再び去っていった。
大急ぎで、着替える。
立てなくは無い。動けもする。ただ、すぐに洗濯・水仕事をする元気はないなあ。
「家事は従僕の仕事」とは言え、こんな下着をピーターに渡す気にもなれないし。
「思い切り渡せば良いのに。ヒロは相変わらずヘタレだねえ。ぼwうwはwつw」
ミケ、いや女神め!でも。
「成功していたかどうかは、教えてくれてもいいのよ?」
「教えてあげなーい。暴発君には知る権利など無いね!」
ミケの首根っこをつかむ。
汚れた下着を、腹のポケットに投げ込む。
「ぎゃあ!なんて事を!触っちゃったじゃないか!消毒だ消毒!」
ミケの中から、炎が上がるような音が聞こえてきた。
洗う手間が省けたようだ。
俺が元気になったと知らされたらしいピーターとユルが、駆け込んできた。
泣いている。
そうだ。俺が死んでしまえば、彼らも行き場を失うのであった。
「主人の盾ともなれず、おめおめと生き残った」という悪評を背負って。
もう、こんなことはしない。
感情任せに振舞うのは、これが最後だ。
「済まない。心配をかけた。体は大丈夫だ。新都方面へは、もう間者は来ない。」
「ヒロ様の、カレワラ家の手柄ですね!」
「そうだユル、俺達の手柄だ。」
「おめでとうございます!」
「ありがとうピーター。危険だという諫言は、正しかった。これからも頼む。」
女性にも、改めてお礼を述べ。
隣に建ててあったカレワラ一党のテントに身を移す。
その夜、夢を見た。
熱がぶりかえしただけかもしれない。
夢の中の俺は、多少は落ち着いた振舞いを見せていたように思う。
翌朝、隣のテントはすでに引き払われていた。
胸元に、彼女の残り香が漂っていた。ぬくもりが残っていた。
そんな気がするだけかもしれない。まだ、微熱がある。
夢の中の俺は落ち着いていたはずだが、暴発はしていた。
ミケは警戒モード。俺から距離を取っている。
洗濯をするぐらいの体力は、回復していた。




