第百二話 二度あることは? その2
「ヒロ君、でいいかしら?ともかく、ヒロ君も関わった件だから、同席してください。」
ここはメル家のネイト館、執務室。
インテグラの言葉により、面倒を避けようとした……もとい、家族水入らずを妨げまいとした俺の配慮は、無に帰していた。
「お久しぶりです、ソフィア様。しばらくこちらにお世話になります。ご依頼の薬物ですが、分析を終えました。こちらが資料です。」
「ありがとう、インテグラ。資料を送ってくれるだけで良かったのに、なぜわざわざこちらに?研究環境は王都の方が整っているでしょう?」
インテグラは、主家に対する言葉遣いで挨拶をしていた。
ソフィア様もそれを受け入れつつ、しかし返す言葉は、部下に対するものではなかった。
なぜだか少し、ほっとする。
「お父様から、ソフィア様とアレックス様をお手伝いするようにと。」
「大歓迎だ、インテグラ。大戦が近づいている今、人手はいくらあっても困ることは無い。ましてメル家の中枢メンバーで、優秀この上ない君とくれば。」
アレックス様の態度も、フィリアに対するものと全く変わらない。
俺が気を回しすぎているだけかな。こんなことだから「少しいやらしい」って言われちゃうのかも。
……いや、案外そうでもなかったらしい。
「いえ、その。私にできる仕事があるなら、お手伝いさせてください。」
明晰な頭脳にふさわしく、発言も常に明快であったインテグラが、初めて口ごもった。
何か、言い出しかねることでもあるのか。
「では、早速ですが。薬物について、簡単に説明をお願いします。」
ソフィア様の催促に、安堵の表情を見せたインテグラ。
得意分野ということもあって、滞りなく説明していく。
昨秋、北賊が持ち込んだ薬物は、やはりいわゆる「麻薬」であった。
原料は、ミヤマヒガンバナ。聖神教女子修道会付属研究室の見解と一致している。
精製が「甘い」製品であったため、急性の症状を引き起こす危険は小さいが、依存性はかなりのもの。
「きちんとした施設で手間をかけて精製すれば、より強い薬物にすることができます。」
インテグラの平らかな口調に寒気を覚えた。
そんなことまで調べなくてもいいのに……と思ったのだが。
それは、科学者にかけるべき言葉ではない。どうにか踏みとどまる。
「薬効については、厳密には分かりません。しかし、抽象的な表現を用いるならば、『脳を壊す』ものかと。いったんこの薬を覚えてしまえば、理性が働かなくなります。不可逆的な効果を持っているように思えてなりません。もう少し医学が進歩すれば、その仕組みまで解明できると思うのですが、今はまだ。」
インテグラは、麻薬の何たるかを、正確につかんでいた。
「この薬物の利用法ですが。絶対に助からない患者や怪我人の最期を、安らかなものにすることができるかと。ただ、薬物の影響下で残された遺言などは、まともなものと言って良いかわかりません。その点への配慮は必要です。」
当然のように、そこまで踏み込む。
怪我人の多い王国社会では、有用性も大きいだろう。
だけど、そうやって、この薬が流通する余地を残してしまうと……。
どう考えればいいんだよ。
「ヒロは、この薬をひどく恐れていたな。」
俺の表情を見たか、アレックス様が助け舟を出してくれた。
「インテグラ、君も知らぬでは無いと思うが。助からぬ怪我人には、僚友が止めを刺す。薬に頼る必要は無いと思う。」
武人の助け舟は、いつだって血塗れだ。
もう慣れた。何の感慨も湧かない。助け舟を出してくれたことへの感謝だけが、胸に広がる。
「戦場ではなく、たとえば街場の災害を想定してください。一縷の望みを信じて、医者に運ばれてくる重傷患者もいます。医者は、命を守る者。止めを刺すことは、決してできないのです。」
顔をしかめ、頬を紅潮させながらの回答。
インテグラは、慣れていないのか?
そんな疑問を抱く間もなく、ソフィア様が話を続ける。
「倫理に関わる問題のようですね。各宗教団体、国家機関と話し合ってからとしましょう。他の利用法として、新都では、捕虜の尋問に使ってみたのですが。インテグラ、その点に対するあなたの評価は?」
捕虜に薬物を使うことは、不道徳とはみなされない。
問題があるなどとは、誰も思わない。
それが、王国における社会倫理。北賊も同様であろう。
「お勧めできません、ソフィア様。薬欲しさに、捕虜が嘘をつく恐れがあります。」
「嘘も含めて、吸い出せるだけ吸い出すという発想もあります。真偽は改めて精査すれば良い。」
「それは……。諜報の技術については、私には何とも……。」
やはり、インテグラは武家の発想に、あるいは貴族の発想に、馴染んでいないところがある。
家のためならば鬼にも悪魔にもなるという覚悟が、足りていない。
俺にも足りていない覚悟。ブルグミュラー会長が嫌う、覚悟。
続けざまに発せられたソフィア様の質問は、さらに厳しいもの。
「他に、蔓延させて社会機能を麻痺させるという使い方もあります。北賊の狙いでした。その点についてはどう評価しますか?」
インテグラの顔が、強張った。
そういう「頭の働かせ方」をするタイプではないんだな、やはり。
「どう、とは……何を申し上げれば良いか……。」
口ごもるインテグラに、ソフィア様は視線を据え続けていた。
何の感情も浮かんでいない目。
妹を見る目ではない。部下を見る目ではないにせよ……。
そう、「共同経営者」扱いと言えば良いだろうか。ひたすらにシビア。
沈黙は許されないと悟ったのであろう。
インテグラが、口を開いた。
「蔓延させるためには、量が必要となります。精製の手間や費用を考えると、割りに合わないのでは?少なくとも、十年単位で考えるべき策かと。」
意に染まない発想に対して、苦し紛れで、むりやり反対意見をこじつけたか。
いや、ソフィア様を相手にそんな真似、できるわけがない。看破されるに決まっている。
インテグラの判断は、科学的なものと見てよかろう。
「では、この件は止めておきましょう。薬物は引き続き禁制とします。インテグラ、あなたには衛生管理体制と、兵器開発・管理体制の構築を任せます。」
苦しげなインテグラの表情に気づいていないかのような口調で、ソフィアさまが命を下した。
下し終えて一転、笑顔を見せる。
営業用でも威嚇のためでもない、素の笑顔を。
「さて!堅苦しい話はここまで!」
談話室で行われたのは、家族の語らい。
王都の流行に家族の調子、旅の様子などを、みな屈託無く口に上せていた。
この日の経験を通じて、新たに理解できたことがある。
姉として妹を見る目、総領として共同経営者を見る目。
ソフィア様は、インテグラに対して、2つの表情を使い分けていた。
フィリアに対しては、使い分けていないのに。
使い分ける必要がないほどに、フィリアはソフィア様と一体化しているのだ。
スペアだからか、家の継承権を持つ者ならではの保身意識によるものか。
それとも、二人がしんそこ同じものを見ているからか。
いずれにせよ、インテグラが首脳陣に加わり。
さっそく麻薬の危険性と、禁制の徹底が新都に通達され。
そして俺の周囲で、小さな事件が起きた。
351号室に、昨秋教室で取り押さえられた少年が、泣きついてきたのだ。
「俺のしたことは、そんなに悪いことだったのか?どうすれば治る?どうすれば、信用を取り戻せる?俺の脳は、壊れてなんかいない!試験もきちんと通ってるし、演習だってこなしてる。今もこうして、まともにしゃべってるじゃないか!」
ドアを閉める間も惜しむかのように、少年がまくしたてる。
「頼む、ヒロ。イーサン。メル家か、デクスター家から、父に口ぞえを。『卒業はさせてやる。だがお前は、事実上の廃嫡だ。生まれてくる孫に家を継がせるから、それで我慢しろ』って言われてるんだ!」
禁制が通達されてからというもの、彼の周りには、めっきり友人の影が少なくなった。
(今や、あえて積極的に彼に声をかけるのは、ジャックぐらいのものだ。)
彼が違法行為に手を染めていたわけではないことぐらいは、学園の生徒みな、理解している。行為当時には、禁止されていなかったのだから。
だが、薬物の危険性を周知するために「脳を壊す」という表現が使われたこと、そして実際に彼が暴れたこと。この2つが、痛かった。
各種聞き取り調査や、いわゆる「ガサ入れ」が、彼の家に対して行われたことも、厳しい。
少年は、家の内外で信用を失ってしまったのだ。
妊娠後期に入った彼の婚約者は、実家に帰っている。
婚約者も心を痛めているに違いないが、少年の孤独も深まる一方。
これまで薬物が存在していなかっただけに、社会が過剰反応している。
非科学的な偏見も生まれている。
正して行かねばならないけれど、いますぐと言われると、何ができる?
戸惑っている俺をよそに、イーサンが口を開いた。