第百一話 フォート・ロッサ その2
昨日(2016年7月24日)、「第百一話 フォート・ロッサ その1」の途中までを、都合により「その1」として投稿しました。
本日・7月25日付けで、「その1(続き)」を投稿いたしました。
「その2」は、「その1(続き)」の後につながる流れとなっております。
よろしくお願いいたします。
3月の雨にそぼ濡れながら、リリュウ県庁へと引き返す。
途中で雨は止んでいた。
沈む夕陽に、日がだいぶ伸びてきたことを実感する。
振り返ったフォート・ロッサは、返照で黄金に輝いて見えた。
ミーディエに本格的な春が到来する日も、近い。
満ち足りた気持ちで眠りに着く。
雨に奪われた体力を取り返そうとするかのように、体が貪欲に睡眠を求めていた。
……のだが。
その生理的欲求は、満たされることが無かった。
暁闇。
日の出まではまだだいぶ間があるというのに、モリー老の声が脳内に響く。
「ヒロ殿。馬蹄の響きがいたす。」
「ファッ!?」
真夏の夜でなくとも、不意を突かれてしまえば、こんな声にもなる。
「数は!?」
学園の制服に足を突っ込み、ワイシャツと詰襟を引っ掛けながら最初に出たのが、その言葉。
満足げな顔を見せたモリー老が、言葉を継ぐ。
「数百。千には至らぬ。」
訓練、いや経験を積んでいるんだな。ファンゾの連中は。
「ヒロ殿に必要な技能か、そこは疑問にござるよ。小さな家のあるじには必須でござるがな。」
後で考えさせてもらうとして、今は!
「起きろ!襲撃だ!」
各部屋の扉を蹴飛ばそうかとも思ったのだが……。
当然のように飛び起きていたヒュームが呼子を吹き鳴らしていたので、控えた。
常在戦場。ああいうものも、身近に備えておくと良いわけね。
みな、迅速に飛び出してきた。
早着替えも貴族の嗜みということは、昨秋レイナに教えてもらったけれど。
それにしても、女子の早いこと。
そして、男共の情け無いこと。
見た目を気にしなくて良いからと言って、そのまま出てくることも無かろうに。
ピーターとエメは、寝巻きのまま。
ユルなど、半裸に盾と斧を構えた蛮族スタイル。
お、マグナムはちゃんとしてる……いや、寝巻きと部屋着が同じなんだな?
きっちり着替えたとてドヤ顔をしていた俺に、しかしフィリアが冷たい目を向けた。
「ヒロさん、その姿はいただけません。」
ワイシャツと詰襟の、ボタンをはめていなかった……。
「社会の窓も開いてござる。」
ご指摘ありがとうございます、千早さん。
ともかく起きてさえいれば、やることなど分かっている。「学園にテロリスト」と流れは同じ。あの茶番が役に立つ日が来るなんて、思ってもみなかった。
ヒュームと幽霊を斥候に出す。
各人、もう一度準備が整っているか確認する。
男子は着替え、女子は改めて朝のお支度をし。
シオネが、グリフォンを連れてきたところで……。
馬蹄の響きが、収まった。
「襲撃は考えにくいよな。」
今さら悟った判断ミスが気まずくて、思わず口にしてしまう。
「サラがいるのに、ミーディエの者が仕掛けてくるとは思えないし、外敵ってこともあり得ない。」
口にしてみて、それ以上に気まずい事態がありうることに思い当たってしまった。
それを他人に言わせるわけには行かないサラが、口を開く。
「私もろとも皆さんを消すつもりが無い限り、ですが。」
「辺境伯閣下の判断とは思えぬゆえ、あるとすれば軍部のクーデターにござるか?」
「いや、軍の宿舎よりも遠いところから駆けて来た音だぞ、あれは。」
疑問が深まったところで、ヒューム(と幽霊)が戻ってきた。
「お使者にござる。」
「あるじミーディエ辺境伯より、皆様へのお言伝てがあります。」
口にした使者の左目周りは、黒く痣になっていた。まさにパンダの如く。
痣に集中する俺達の視線を恥ずかしいと感じて下を向くあたり、この者は文官なのであろう。
そのまま口上を続ける。
「『演習場においでください。お見せしたいものがあります。』以上です。……私が先導を務めます。」
何が起きたかは知らないが、穏やかでないことは確かだ。
警戒を怠らず、隊列を組んで進む。
たたき起こされた軍人達の喧騒が、宿舎から演習場にかけて聞こえてきた。
「情けない。」
客人の前で部下の醜態を晒す羽目になったサラが、吐き捨てる。霊気をその身に集め出す。
なだめようとするレイナの腕を制したフィリアも、やはり霊気を集め始めた。
サラとは対照的に穏やかなその表情を見たレイナが、目を細める。
「何事か分かったってわけ?気合を入れたフリをしろって?」
「レイナがいると助かるぜ。どうしても俺は、機微とか駆け引きが分からないからなあ。」
マグナムも「それらしさ」を身に纏った。
演習場の門をくぐり、開けたところに出る直前、俺も理解した。
シャレにならん勢いで、霊気を、気合を、膨らませている人物がいる。
角を曲がったところで、姿が目に入る。
細身に見えた背中が、今やはちきれんばかり。
言わずと知れた、ミーディエ辺境伯その人である。
俺達も、そこは客人らしく辺境伯の意を体するべく、無言で左に居流れる。
どうにか軍人達が整列したところで、辺境伯の怒声が響き渡った。
「この体たらくは何か!『有事に即応できぬ』とて軍法を、文官を批判した者の行いか!客人に遅れて現れ、警護の任も果たさず!」
つぎのひと言は、ミーディエの者には耐え難き罵声。
「メルの目の前で、再び醜態を晒すとは!」
大人しく頭を垂れていた軍人達が、さすがに耐えかねて抗議の声を上げようとした、その時。
物陰から辺境伯夫人が現れた。
軍人連中、絶句する。
「それが辺境伯夫人に対する礼か!」
みな、慌てて敬礼する。
「非礼につき、何か申し開きはあるか!?」
無茶苦茶だ。この場の非礼をとがめる体で、これまでの非礼をとがめだてしようとは。
理屈にも何もなってはいないが……。
それでいいのだ。現代の軍隊ではないのだから。
主家と郎党。親分子分。利害と契約、恩義と情念により結びついているのが、王国社会の軍隊である。
気合には気合で答えるのが軍人稼業。
理不尽な叱声には抗議の声を上げねばならぬ。部下を、あるいは己の立場を守るために。
「申し上げる!国境を預かる辺境伯家において何より重きは、武威のはず!徒に文治に流れ、武備を蔑ろにされては、お家の名誉に傷がつく!」
「文武並び立ってこそ、国は回ります。」
エレオノーラ様の声は、毅然としたもの。
少し、意外だった。
こんなことができる人とは、思っていなかったから。
「いわゆる深窓の令嬢から、何も知らない貴族夫人へ」というタイプかと思っていたのだが……。
考えてみれば、これまで「あの」文官連中を取りまとめていたのだ。
腹芸だの演技だの、「為すべきことを為す」経験は、重ねていたのだ。
「し、しかし!」
言い返そうとする武官とエレオノーラ様との間に、サラが歩み出る。大戦斧を担いで。
武官を睨み据えるその視線はしかし、もうひと周り大きな戦斧に遮られた。
「武威を口にするならば、見せてみよ。夫人と客人の御前で。」
辺境伯閣下おん自らのご出御である。
この雰囲気の中、真っ先駆けて抗議を口にする大勇の持ち主だ。
こんなことを言われたら、どう動くかなんて決まりきっている。
「ありがたき幸せ!いざ!」
メイスを振り上げる。
そのまま駆け向かうも……間合いが違いすぎた。
一閃。
武官が吹き飛ばされ、同僚の群れの中に叩き込まれる。
辺境伯閣下も、愛すべき部下を殺すような真似はしない。
両刃の大戦斧、その刃のどちらを使うでもなく、平たいところでぶん殴ったのだ。団扇で虫を払うかのように。
それにしても、すさまじき剛力。
身体強化の倍率では、サラやマグナムの上を行っていることは間違いない。
……千早には遠く及ばぬこともまた、間違いないのだが。
「他に抗議がある者はいるか!遠慮なく申せ!来い!」
四十代の辺境伯閣下、まさに不惑。
迷うことなく己の地金を曝け出していた。
「申し上げます!他家からの侮りには、もう耐えられません!……我が武、お見届けいただきたく!」
隊列を掻き分け、槍をしごいて突撃してきた者がいた。
再び、斧一閃。
両断した槍を跳ね除けた辺境伯から、愛の拳が下賜された。
「お家の方針とは存じております。おりますが、メル家を客として迎えること、我慢なりません!」
これはメル家で引き受けるべき案件だ。
辺境伯がフィリアに顔を向け、フィリアが千早に目を向ける。
若者が宙を舞う。
「サラ様のお側仕えが他家の者ばかりとは、納得できません!」
声を上げた女性兵士に、ティナが立ち向かう。
「あたしに文句があるんだな?」
「サラ様、付き合ってください!」
お調子者が、辺境伯閣下に足蹴にされる。
「名はつとに伺っている。いざ!」
俺やマグナムに突っかかってくる者もいた。
それでは遠慮なく。
昇る朝日のもと、演習場は、怪我人のうめき声と武人冥利の悦楽とに満ち満ちていた。
これで武官連中は、納得してくれたはずだ。
文官はどうするんだろう?……という俺のその意識が、ここまで先導してきた文官に顔を向けさせた。
目が合えば、それだけで意を酌んでくれるのがトワ系であって。
「文官も、同じです。」
パンダのように痣になった目を覆いつつ、男が答えた。
「多くの者は納得ずくでしたが、どうしても納得できないと言う者は、昨晩、辺境伯閣下から『説得』を受け、こちらへの同行を命じられました。演習場の一隅に立っている者たちです。……この景色を見れば、みな納得するかと。」
辺境伯家に張っていた氷も、メル家との間を隔てていた雪山も、完全に解けたようだ。