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第百話 ミーディエ辺境伯 その3


 千早も、古き家柄の名家出身。

 辺境伯がその点に詫びを入れ、千早が受け入れ。

 その上で、説明があった。


 ミーディエ辺境伯家の問題点とは、つまるところ、「新旧郎党の対立」にあったのだ。

 あるいは、「閨閥と軍部の対立」と言うべきか。


 トワ系のミーディエ家は、元は法衣貴族。官僚政治家であった。

 当然ながら郎党達も、ほとんどが文官寄り。

 夫人のエレオノーラ様も、トワ系の名家から嫁いで来た。

 彼女が一緒に連れて来た家臣たちも、これまた文官ばかり。


 武官も、いないことはなかった。ゴードン家、ジャックの親父さんのように。

 しかし彼らは、もともとは側仕えの侍衛たち。少数派だ。


 湖城イース攻囲戦終了後、辺境伯に任ぜられたリキャルド・ド・ミーディエ子爵には、急いで多くの郎党を雇い入れる必要が出てきた。

 それこそ、今メル家がやっているように、あちこちの家の次男坊・三男坊に声をかけ、在野の武人(塚原先生のような存在)を招聘し、自由騎士(傭兵とも言う)を雇い入れ。

 相当な苦労をしながらも、どうにか陣容を整えた。

 ミーディエ家なりの軍法を一から作り上げることにも、成功した。

 

 さすがトワ系の法衣貴族、制度や法体系をまとめ上げるのはお手の物というわけだ。

 が、それが齟齬の始まりでもあって。


 領邦貴族・軍人貴族のやり方は、上意下達(トップダウン)

 法衣貴族・官僚政治家のやり方は、意見集約(ボトムアップ)

 


 「この軍法では戦えない」という意見が、新規採用された連中から上がり始める。彼らにしてみれば、やっと得られた就職先。文句を言って解雇されたくは無いところ。それでも声を上げたのは、「命がかかってるんだ。これだけは言わせてもらう」という理由による。

 しかし旧来からの郎党は、面白くない。「組織作りもまともにできない脳筋どもが何を言う」、「お家の風に従えぬ不忠者など、不要であろう」と言うわけだ。

 実際に運用してみると、この軍法、なかなか出来が良い。訓練も順調であれば、兵站等の整備もスムーズに進む。「それ見たことか」である。

 

 だが、不満はくすぶり続ける。

 旧臣と新人、文官と武官の対立が生じてしまった。


 ここはミーディエ、最前線だ。軍事をなおざりにするわけにはいかない。

 辺境伯は、軍人達に近い立場を取った。

 決して贔屓をしたわけではない。新しく出来た組織には、どうしたってテコ入れが必要ではないか。

 その代わりに文官の不満は、妻のエレオノーラ様がなだめる。

 しばらくはそういう役割分担で、家の政治を回していたのだと言う。


 軍法制定に引続き、この体制もうまく行った。

 当時であれば、「それぐらい当然だろう?リキャルド様を何だと思っているんだ!」と憤慨されてしまうところだ。

 ミーディエ辺境伯は、決して無能な人物ではない。いや、それ以上の存在だった。


 辺境伯は、もともと個人的武勇で鳴らした人。

 十代半ばを迎える前に五位・百騎長で宮中に出仕し、早々に千騎長に昇任。殿前軍(近衛軍)中隊長を経て極東の戦役に出向した、軍人肌だ。


 殿前軍中隊長。

 このポジションは、貴族社会における花形である。

 

 十代後半~二十代前半でこのポジションに就いた者は、後々必ず出世する。

 いやむしろ、出世間違い無い者・出世させるべき者をこのポジションに就けるのだ。 


 殿前軍中隊長は、文官仕事を兼任する。官名は後述するが、宮中における「秘書仕事」である。

 文武の両面で、王や内閣大学士(閣僚・大臣)の間近に出入りする仕事をこなすと言うわけだ。

 (アリエルに言わせると、「このポジションの原型は、カレワラ家開祖の職務なのよ!」だそうな。)


 若き日のメル公爵・キュビ侯爵。イーサンの父・デクスター子爵。アレックス様に、ウォルターさん。エドワード・キュビの長兄。みな、このポジションを経験している。

 ミーディエ辺境伯と、その親友だった故・ウッドメル伯爵も(世代的には、デクスター子爵の先任だ)。


 故・ウッドメル伯爵は、メル一族自慢の若者だったと言う。

 政治・経済・吏務・統率・武勇・文化。その全てに通ぜざるなしという「名人」だった。

 親友のミーディエ辺境伯も、全ての面においてウッドメル伯爵とは「ライバル」。

 貴族の中の貴族。王都の華。双璧。

 二人は、そういう立場にあった。

 


 「しかし、所詮は宮廷貴族だったのだよ。当時私が経験していたのは、中隊規模の指揮のみ。それも、文武に優れたエリートが集まる近衛兵。隊長など、置物でも務まる。……極東でも、部隊を率いることのない、参謀本部付けであった。」


 これは、謙遜だ。

 イーサンを見よ。このレベルのスーパーエリートは、本部付けを経験するだけで、多くを理解する。

 現に辺境伯も、段階を追って自軍を強化してはいたのだ。


 時間さえあれば。

 あるいは、中規模の戦を、経験することさえできていれば。

 ウッドメルで友を失い、名を墜とすことなど、この人にはあり得ない話だったはず。 

 冷静に見れば、必ずしも難しい戦ではなかったとされているのだから。

 

 9年前。

 ミーディエ辺境伯は、邦境近くでウッドメルからの使者に対応した。

 援軍を求める使者よりも早く軍勢を整え、そちらに向かっていたのだ。

 悠々と行軍し、現地に陣を取る。

 

 ミーディエの軍法は、整然としたもの。

 軍法と言うもの、その根幹はまさに軍事機密とされているのだが。

 どこからか手に入れたソフィア様も、「これはなかなか……。」以上の言葉を、続けることができなかったらしい。

 ようやく「防衛戦の参考にします。」とだけ口にして、苦い顔をしていたとか。

 その出来の良さと、それだけの軍法を持っていながらウッドメル伯爵を救えなかったことと。

 悔しさは二倍。

 

 しかし、「防衛戦の参考にはなる」との言葉。

 ソフィア様が留保をつけたのは、ただの悔し紛ればかりではない。

 「一拍置いて判断する」ことができる局面でさえあれば、完璧なシステム「だが」、ということ。


 野戦では、そうは行かない。

 ギュンメル・ウッドメル・ミーディエが同時に前へと陣を押し出したすぐその後、戦機を掴んだギュンメル伯爵が、いきなり突撃した。

 敵陣が一気に乱れ、あっという間に圧力がミーディエに集中する。

 

 先頭に立つ新規採用のベテラン軍人達は、みな分かっていた。

 「ここで踏ん張れば、『俺達ミーディエが鉄床。左翼から回り込んできたギュンメルがハンマー。』という形になる。敵を散々に叩きのめせるぞ。」ということを。

 指示を待つまでも無く、必死に戦い始める。


 が、後方からの「押し込み」が足りない。

 後ろからもっと援護を、圧力を寄越してくれなければ、鉄床の方に穴が開いてしまうではないか。

 「何をしているんだ」という疑念が、頭をもたげる。


 後方のミーディエ本陣では、「意見集約」が行われていた。

 各所に出された斥候は、ミーディエに敵が迫っていることを次々と伝えてくる。交戦状態に入ったと口にしながら、本陣に転がり込んでくる。

 近臣たちが声を上げる。

 「押し出すべきです/いえ、現状を維持し、もう少し引き寄せるべきでしょう/いやいや、少し後ろに下がって、深みを持った陣形で迎え撃つべきかと」


 野戦では、逡巡は許されない。

 迷うぐらいならば、間違いでも良いから即断するほうがずっとマシ。


 後方が「機能停止」していることを知った、前線のベテラン軍人達は、「野性の本能/脊髄反射/経験/戦場勘/才覚……」から、戦線維持が不可能であることを悟った。


 悟ってしまえば、退却である。

 ジャックの親父さん・ゴードン家のような譜代ならばともかく、新規採用の傭兵も多いのだ。

 傭兵たる者、間抜けな指揮官に命まで賭けるなど、恥ずべき行いなのである。


 前が崩れれば、後ろが崩れる。

 前線の将兵に言わせれば、「後ろが先に崩れたから俺達も逃げたのだ」ということになるが。

 真実は、分からない。

  

 戦場に残ったのは、戦が分かり、忠誠心が高かったもの。つまりは、譜代の武官。

 そして、一部の傭兵。「ここは命の張りどころだ。この戦は勝てる。逃げたか踏ん張ったか、その差は大きいぜ?」というわけだ。


 

 辺境伯は、言い訳をしなかった。

 言い訳しなくとも、俺には分かる。ミーディエ辺境伯と直に接した者であれば、みな分かる。

 このひとは、留まろうとしたはずだ。

 後方に下がっても、そこで軍容を整えようとしたはずなのだ。


 しかし、ミーディエの軍法が、それを可能ならしめなかった。

 乱れに乱れた、緊急事態。

 命令を下した時には、その命令の根拠となった状況が変化している。

 その状況で、前の命令を墨守するなど、良心的な官僚の為すべき振舞いではない。

 「次の指示をください。/こちらの状況、以下の通りです。/こうすべきかと、具申いたします。」

 使者が、辺境伯のもとに飛ぶ。集まる。

 

 そうなってしまったら、「うるせー!俺について来い!」が正解なのだ。

 退却する場合であっても、だ。そう叫べば、「殿!なりませぬ!退却を!」と誰かが応じてくれるから。

 

 しかし、ミーディエの軍法は、システマティックに過ぎた。

 周囲の近臣も、軍隊の「ノリ」を理解できる人ではなかった。

 「前進せよ」、「私が出る」と辺境伯が言ったとしても、その指示への「従い方」を、周囲が知らなかったのだ。

 

 

 そしてミーディエの事情を正確に把握した「名人」のウッドメル伯爵が、犠牲となった。

 親友に恨み言を吐くどころか、無理に戦場に引き出した事への謝罪の言葉を口にしながら。


 ウッドメル伯爵が生きていれば。

 いまごろ、ウッドメル大城は「野戦陣地」ではなく「城」として完成し。北方の国境も安定させ。


 そして、「行征北将軍事」の職階を、授けられていたはずなのだ。

 メル公爵と、ソフィア様・アレックス様との間をつなぐ、征北将軍代行の地位を。 

 スムーズな継承ができなくなったために、十代の頃からお二人には過重な負担がかかり続けている。

 その一端を担っている、フィリアにも。

 

 まあ、メル家のことは良い。

 いまは、ミーディエだ。



 戦後、責任問題が噴出した。

 最初に逃げたのは軍人か、文官か。

 踏みとどまれなかった原因はどちらにあるのか。


 「真っ先に逃げ出しおって。武官のくせに!」

 「あなた方の退却速度が遅いだけだ!その程度の鍛え方で戦場に出てくるからこうなる!」

 「勝てると分かっておったら、踏みとどまれば良かったであろう!」

 「上の命令に従うのが軍人なんだよ!」

 「さんざん軍法に文句を言っておいて!」 

 「『悪法も法だ』ってのがあんたらの言い草だろうが!」


 辺境伯は、軍人の肩を持った。

 軍法の誤りを認め、彼らをなだめ、引き続き国境警備とフォート・ロッサの建設を命じた。

 詫びを入れ、褒賞を出し、仕事を与え。

 そして、ミーディエシティの外に出したのだ。

 

 文官は、分かっていた。

 辺境伯が家に亀裂を生じさせまいとして、そういうポーズをとっていることを。我ら文官を軽んじているわけではないということを。

 だから、彼らもポーズを取った。

 引き続き、エレオノーラ様を推戴するかのようなポーズを。


 新規採用の軍人達には、分からなかった。

 「エレオノーラ様が俺達を目の敵にしている」と、本気でそう取った。


 古参の武官は、困った。

 文官のポーズも、軍人の怒りも、共に理解できるから。

 軍人をなだめに回るうち、彼らは反・文官の旗頭にされそうになり。

 辺境伯は、それを問題視した。

 因果を含められたジャックの親父さんが、ミーディエ家から退転した理由である。

 軍人達の突き上げを器用にかわした者達は、いまは地方で文武兼任の仕事を担当している。カガイ県知事やバンド県知事を筆頭に。


 

 「リリュウ県に駐屯している軍の主力連中からすれば、『自分達より先に、エレオノーラが大メル家直系の令嬢と会見した』となると、『何か吹き込んではいないか?』と疑心暗鬼に陥ってしまう。だから仮病を使わせた。……妻を、エレオノーラを悪役にして、家の統制を図っているというわけだ。笑ってくれて構わんよ。」


 ミーディエ辺境伯の声は、乾いていた。


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ミーディエ辺境伯の近衛中隊長時代は南嶺と大戦もしくは中規模の戦は無かったんですかね?
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