第九十九話 霞の里 その4
「落とせなかったと言うでありんすか?」
腹立たしげな声。名乗られなくても分かった。
以前楓が言っていた、「くのいち名人の女上忍」だろう。
まことにロータス姐さんそっくりである。顔がどうこうではなく、雰囲気が。
「是非一度、新都に遊びに来て欲しいでござるよ。」
そう話しかけた千早の言葉は社交辞令、のはず。
ドッペルゲンガーが出会うと、対消滅するんじゃなかったっけ?世界が崩壊するんだったか?
いずれにせよ、新都の男性にとって破滅的な何かが起こりそうな気がするので、どうかご遠慮願いたい。
歓迎の宴は続く。
だがなぜか、俺に対する当たりはキツかった。次々と悪戯を仕掛けてくるのだ。
ロシアンルーレット点心。俺がどれを選ぶか、事前に見抜かれていた。
酒を飲もうとしたら、器から噴き出してきた。炭酸を利用してるのか、これ?
小皿に箸を向けたら、直前でひょいと逃げたりもする。
笑われることを「オイシイ」と思う感覚は持ち合わせていないけれど。何も場の雰囲気にカドを立てることもあるまい。いや、激怒してみせなくちゃいけないのか?
そんなことを思った瞬間に、丁重な詫びを入れてくるのだから性質が悪い。
「失礼いたしました、ヒロ様。フィリア様、サラ様。余興ゆえ、笑っていただければ……。」
理解できた。
フィリアの名前も出してはいるが、これはミーディエへの示威だ。
フィリアやサラに仕掛けては、シャレにならん。千早に仕掛けたら、激怒しかねない。
やっぱり俺、舐められてる?
宴が終わって宿舎に向かおうとすれば、湖から水をひっかけられるし。
ヒューム君?
いや、これはヒュームに化けた先代か?
また手の込んだ悪戯を……。
「失礼。頭領の兄にござる。」
「これは、ご挨拶が遅れました。ヒロ・ド・カレワラです。」
何か違う。
里の幹部である上忍は全員挨拶に出てきていたはずだが。あ、そうか。
「幽霊ですか。」
「いかにも。なにやら楽しげであったゆえ、雰囲気に誘われてござる。」
正統派の幽霊譚だなあ。
悪霊ではないようで、安心した。
約30年前の防衛戦で亡くなったらしい。
酔い醒ましというわけでも無いが、幽霊の話に耳を傾ける。
以前に聞いたことだが、霞の里のシステムは、上意下達。
頭領や上忍はデンと構えて指示を出し、中忍・下忍が動くのが本来の形。
「なれど、あの時ばかりは。厳しい戦にござったよ。士気の崩壊を防ぐため、頭領……某の父、先代にござるな。先代が陣頭指揮を取り、跡取りであった筆頭上忍の某が、危険な任務に率先して就いたというわけにござる。で、死んでしもうた。」
あっさりと言っているけれど。
凄絶な働きをした後の、酸鼻な死であったと聞いている。
里の者が、今なお恨みを抱くほどの。
「弟は当時9歳。南の島に逃げるべきところ、やはり頭領の息子とて、志願して残ったのでござる。さすがに無茶な任務には就かせなかったゆえ、生き残った。今の頭領にござるな。……某は堅物で要領が悪うござっての。父と弟は悪戯好きの似た者どうし。ご理解いただけているとは存ずるが、ニンジャは人の意表を突いてこそ。これで良かったのでござるよ。」
さんざんに悪戯を仕掛けられておりますとも。
だいたいあんただって、いきなり水をかけてきて。
どこが堅物だよ。
「なれど。弟は、生き残った責めを感じたか、里の者の期待に応えようとしたか。某の性格を真似はじめ、やがてそっくりの堅物になってござる。仕方ないので、某が水の下にて悪戯を繰り返しておるという次第。」
俺の心を見透かしたように、頭領の兄は、にんまりと笑顔を浮かべていた。
「仕掛けの時間は稼げた模様。では、これにて失礼。」
そんな言葉を残して、再び湖に消えて行った。
まだ何か悪戯を仕掛けてくるらしい。
そんな小さなことまで、手伝おうとはね。
……幽霊になっても里のために、か。
分かったよ。乗ればいいんだろ?
案の定、寝所からは、かすかに光が漏れていた。
今度は何だ。
まあ、フィリアやサラに対しては仕掛けないと分かったから、いいけどさ。
朝倉を抜き、ふすまを蹴倒す。
ろうそくが照らす薄暗がりの中、人影が動いた。
俺を待っていたのは……4人のヒューム。
いい加減にしてくれよ、もう。
「「「「とりあえず、中に入られよ。お話がござる。」」」」
「分かりましたから、話す時はひとりひとりお願いします!」
一人はヒュームであろう。
で、先代が化けているとして。残りは誰だ。
いずれにせよ。
「見事な変装術ですね。そこまで似せることができるものですか。」
「変装術ではござらぬ。ただの若作りの術にござるよ。ほれ、こころみに頬を引っ張ってみられよ。」
向かって一番右のヒュームに促され、おそるおそる頬をひっぱる。
確かに、何もかぶっていない。地の皮膚だ。口の中に何か詰め物を入れて、リフトアップしているだけ。頬をつまんだ俺の手には、化粧品のような粉がついていた。
近づいてよくよく見てみれば、確かにこの皮膚は、老人のもの。先代だったか。
「某も試されよ。」
失礼して、声の主に触れる。右から二番目のヒュームに。
この人は化粧だけ。顔筋の操作で若く見せているらしい。
頭領だな?
続いて、右から三番目のヒュームを、ためつすがめつ眺める。
「ヒュームで、いいのか?」
「さすがに、日頃つばぜり合いをいたす仲。誤魔化しようもござらぬな。」
じゃあ、俺から見て一番左にいるヒュームは、誰が化けてるんだよ。
そう思いつつ目をやると、そいつが面布を装着した。
「ハクレンか?」
近づいて、ほほを引っ張る。
何の細工もしていない。
右から「本物のヒューム」の声が聞こえた。
「某の、腹違いの兄にござる。」
え?いや、まあまあ、そういうことはありうる話だとは思うけれど……。
「頭領の息子が、下忍?」
「頭領の息子ゆえ、下忍にござる。頭領や跡継ぎの影武者を務める者は、身分が高くてはならぬ。指揮・政治・外交なども学ばせるわけにはゆかぬ。お家騒動の芽となりかねぬゆえ。」
先代の声には、取り付く島が無かった。
それに続く頭領の声は、やや苦しげで。
「これがせめて、似ていなければ。別の者の子と強弁して中忍にしてやることもできるのでござるが。」
4人が4人とも、同じ顔だもんなあ。
ニンジャとしては便利な話だろうけど……。
頭領が、苦笑を見せた。
「その濡れた頭、兄にお会いなされたか?……某には霊能はござらぬが、分かる。あれは兄に間違いない。」
「ええ。皆さんが仕掛けをする時間を稼ぐため、私に話しかけて来ました。」
ご存知でしょうが、皆さんにそっくりでしたよ。
遺伝子が仕事をしすぎているようで。
「己が兄から地位を奪った身となると、再び長男を無碍に扱うのが、心苦しくてならぬのでござる。ヒロ殿は、王都に上られるとか。その際に連れて行ってはもらえぬか?数年だけでも、伸び伸びと良い思いをさせてやりたいのでござる。」
先ほどの幽霊の話といい……。
ほろりときたが、ふたたび涙腺が活動を止めた。
ヒュームの顔を見るだけでも、感情が冷える……は、言い過ぎか。理性が働き出すと言うのに。
それを4つも並べておいて、泣かせようとは片腹痛い。
「王都の情勢を知りたいんですね?」
「だから言うたでござろう?懲りてくだされ、祖父さま。」
「ヒューム!ヒロ殿は情にもろいと報告してきたのはお主であろうが!」
知らぬふりで騙されてやるのが良いお客、とソフィア様からは聞いているが。
どうもこの爺様には、騙されてやろうという気になれない。
それにしても、よく似ている。
素顔を隠し続けてきたのは、影武者だからか。
それをこちらに明かすということは。
「さよう。正直に申さば、売り込みにござるよ。長く続いた家は、それぞれに諜報担当を置いているもの。」
「家を再興したばかりの零細貴族は、良い顧客ですか。」
「卑下めされるな。家格が高いのは大きな魅力にござる。ともかく、売り込むとなれば。」
「信用してもらう必要があるわけですね?」
「それがニンジャにござる。いかがでござろう。給金は不要。こちらとしては、貴族の家に出入りでき、王都の情報が得られるというだけでお釣りがくるゆえ。悪いお話ではないと存ずるが……。」
ただより高いものはない、とは聞くけれど。
家に出入りさせても、暗殺など仕掛けてくるわけは無いだろうし。
いや、待てよ?
「期限付きでも郎党として仕える以上、主家の情報を抜くような真似はせぬでござるよ?」
それならば、まあ、いいか。
ハクレンの腕前はよく知っているし。
「分かりました。期限は追い追い決めるとして、王都に上る際についてきてもらうということで。」
「では、そのように。よろしくお頼み申し上げる。」
これは後日の話になるが。
やっぱり俺は、騙されていた。
「悪い話ではない」ことは確かであったので、契約を破棄するほどではなかったが。
霞の里の首脳陣には、最後までやられっぱなし。
それが少々、腹立たしい。