第九十八話 来訪 その2
ミーディエ辺境伯家の下屋敷には、快速帆船の船着場が備えられてあった。
学園の北方、アインの東側に最近建てられたその下屋敷から、南ティーヌの流れに乗り出す。
ティーヌ河は、極東の大動脈である。
その源は、ギュンメルの奥地。リージョン・森との境界になっている西の山地の各所から何本もの支流を集めて、滔々と流れる。
支流は北からも流れ込む。そのうちの特に大きな2本は、ギュンメルとウッドメル、ウッドメルとミーディエの邦境とされている。
全てを集めたティーヌの本流は、北方三領とサクティ・メルとを南北に画した後、東と南に流れ行く。
その南ティーヌと東ティーヌも、「分流する」と表現されてはいるが、実のところは「漏斗状に広がった河口に、小さな島が点在している」と言うべき状況にある。漏斗が広がりきった先にあるのが、ファンゾ島なのである。
すなわち。極東に存する各領邦、その全てに接するのがティーヌの流れというわけだ。
北賊との大会戦は全て陸で行われたが、断続的な小規模戦闘は、常にティーヌの制水権を巡って引き起こされてきた。
北からの攻撃に備え、極東の南半分を安定的に支配するためには、南ティーヌとその上流・ティーヌ本流を押さえなくてはならない。
そのためには、河口部の新都と、中流部の湖城イースとを制圧する必要がある。
逆に、この2ヶ所を押さえ、ティーヌをいわば極東南部の「外堀」とすることができれば、極東の北半分(現在の北方三領)に対して優位を取れるようになる。北から流れる二本の支流をいわば「軍用道路」に見立て、北方三領にあたる地域をじり貧に追い込むことができるのだ。
先年の文化祭で発表された、「王国の極東攻略を画期したものとは、湖城イース攻囲戦の勝利である」とのフィリアの指摘は、まさに正鵠を射たもの。
「……逆に申さば、湖城イースは絶対に守り抜く必要があるわけにござるな、フィリア殿?堅城とは聞いておるが。」
風に乱れた髪をかき上げ、まとめ直しながら尋ねた千早の表情は、明るいものとは言い難かった。
「ええ。万全を期して父が図面を引いてからおよそ20年。ようやく完成したそうです。」
「比較するにウッドメル大城は、作り始めて2年であるとか。大丈夫にござるか?」
「河川・湖沼に手を入れる必要がある平城と、地形をそのまま活かせる平山城との違いもありますので、一概には言えません。メル家全体の位置づけとしては、『イースが本城、ウッドメル城は支城』というところもありますし。」
「現時点では『野戦のための防御陣地』的な位置づけに思えるな、俺には。ウッドメルシティは、衢地だ。北の北賊領、西のギュンメル、東のミーディエ、南のサクティ・メル。その全ての結節点になっていて、大兵力を激突させるには最適。そこに強固な防御陣地を作っておけば、来たるべき戦を有利に進められる。支城としての本格的な建設作業は、戦後に始まるんじゃないか?」
「フィリア、ヒロ。千早が言いたいのはそういうことじゃない。『ウッドメルシティが抜かれても、イースで防げばいい。ウッドメル城は防御陣地だ。』なんて、あたしたち支配層の言い分よ?『そこに住んでる庶民は大丈夫か、守りきれるのか』って心配をしているんでしょ?」
「あたしたち支配層」なんて、庶民と区別するような物言いをしながら、自分も庶民の心配をする。
レイナの表現は、いつものように屈折を帯びていた。
「庶民のことも千早の心配も、承知の上だよ。俺としては、『ウッドメルシティを守り切る戦略に見える』と言ったつもりなんだがな。籠城作戦を取る場合、スムーズな撤退も戦略の内だろう?しかしウッドメル城の、あの突貫工事ぶり。あれは大規模な野戦陣地だ。あくまで野戦で叩き、敵を撤退させるつもりに見えて仕方無い。だから『城ではなくて、陣地を築いている』と言ったんだ。」
「ええ。心配は無用です。メル家がウッドメルシティを放棄することはあり得ません。特にギュンメル・ウッドメル両家は、文字通り『死守する』に決まっています。」
「何よ。心配して損した。フィリアはいつものこととして、ヒロまで?カレワラを名乗る前なら、『庶民はどうなるんだよ』って、真っ先に言ってたはずなのに。一番繊細なのは意外にも千早だったか。」
カレワラというより、ダグダだよ。
守りたかったら、戦わなくちゃいけないって知ったきっかけは。
……レイナの指摘通り、「最悪の場合は、ウッドメルを捨てて極東全体を守らなくちゃいけない」ことは確かだし、俺がそうした思考をするように「なってしまった」ことも、事実だけどさ。
「大丈夫だろ?『いざ事に臨めば、日頃の鍛錬による地金が出る』。千早が教えてくれたことだ。」
「ええ。私も心配していません。真に勇敢な者とは、臆病なぐらいに慎重なものです。」
「弱気を見せたでござる。不愉快な思いをさせた事、お詫びいたす。……よりにもよってヒロ殿の前でというのが、忌々しい。」
つっかかるなあ。
まあ、まつとヴァガンが心配で、気持ちがスッキリしていないんだろう。
フィリアも、千早の気持ちはよく分かっている。
だからこそ、個人的な話や小さな話題を、口に上せないのだ。
「メル家の心配は、別のところにあります。もしウッドメル大城の防御力と軍事力が、フォート・ロッサのそれを大きく上回るようであれば、ウッドメルではなくミーディエに侵攻して来る可能性もあるのではないかと。」
ギュンメルには、来ない。
北の山が、大軍を通せる地形ではないから。
「ハンニバルのアルプス越え」的なことも、あり得ない。
ハンニバルの作戦は、他に道が無かったからという理由があるし、山越えで損耗した兵を現地調達できることが前提になってもいた。
比するに、ギュンメル。兵の現地調達は不可能だ。山の民は好戦的な民族ではないから。さらにそもそも、彼らと北賊とは関係が良くない。それを知るギュンメル伯も、山の民と信頼関係を築き上げてきた。そういうところが、「伯の老練」と評される所以なのである。
ともかく、ウッドメル以外に侵攻があるとすれば、ミーディエなのだ。
一部始終を黙って聞いていたサラが、初めて口を開いた。
「その確認をしていただくためもあって、父は皆様をお招きしたのです。フォート・ロッサにもご案内いたします。」
フォート・ロッサ。あるいは、大防壁。
ミーディエ領北部に連なる、防御施設である。
版築と磚によって築かれた、尾根の上に連なる長城。
素焼きの土器に似たその色は、遠目からは薔薇色に映る。
それゆえに、誰からともなく、薔薇の城と呼ばれるようになったとか。
「壮観らしいわね。山の緑に薔薇色が映えて。」
レイナが、いかにも彼女らしい視点から、会話の雰囲気を緩めようとした。
……の、だが。
サラの口調は重かった。
「幼かった私には、罪人を縛る戒め、茨の蔓のように見えていました。ミーディエ家は、ここから北に足を踏み入れる資格は無いと、そう言われているようで。皆さんと話をし、ダグダ遠征に参加して考えが変わったいま、どう見えるのでしょう?私も気になっているのです。」
「これだから、お前達はダメだー!遊びに来いと言われてるんだから、遊びに行けばいいのよ!何なのよ。鹿爪らしいどころか、血なまぐさい話ばかり!あいつらを見なさいよ!」
レイナの言う「あいつら」とはすなわち、侍衛・従僕のお歴々。
「あるじ」達が貴族の語らいをしている間、彼らは仕事をする必要が無い。
バッチリ観光に勤しんでいた。
目に映る島々のガイドをするハクレンの周りには、人だかり。
つぶらな目を輝かせて聞き入るユル。
熱心に話し合いながら、ネタ帳に何かを書き込んでいるクリスティーネと、アンヌ(従姉妹のティナにくっついてきた)。
島が現れるたび、数歩動いては説明を加えるハクレンの下半身にじっと目を注ぎつつ、にやついているティナ。
少し離れたところでは、お珠がクレアに教わりながら木刀を振っていた。
眺めていたヴァレリアが、茶々を入れる。
「珠ちんはそんなことしなくていいのに。あたしがいるんだし。」
「『珠ちん』はやめて!それと!千早様のお側仕えはこの私、珠ですからね!」
「ヴァレリアさんこそ、良いのですか?説法師とはいえ、技が粗すぎますよ?」
指導を行うクレアに対し、やや違う動機が感じられる声で話しかける者もいる。
「クレアさん、よろしければ私にも教えていただけませんか?」
その声に、レイナが舌打ちを見せる。
「あのバカ!手を出したら血を見る相手に……。エメ!こっちへ来なさい!話がある!」
そしてわが従僕ピーターは、シオネと二人、船酔いに苦しんでいた。
シオネの参加は、天真会の肝煎りによる。
「天気予報」の異能を持つシオネは、その便利すぎる能力のゆえに、これまで厳重に保護されてきた。が、「そろそろ良かろう。人と付き合うのも大切なことだ」と、そういうわけ。
「ヒロ君に預けるゆえ、頼む。千早には既に伝えてあるで、の。ヴァガン同様に引き回してやってくれるか?」
李老師にそう言われてしまっては、断れない。
いや、実のところは、断るどころかこちらからお願いしたいぐらいであった。
学園でも、シオネは人付き合いがやや苦手。ヴァガンを頼ることが多く、しょっちゅう厩舎に通っている。
その関係で、2頭のグリフォンも、シオネとは仲が良い。彼の世話なら喜んで受けるということもあって、ミーディエ行きに参加してもらったのだ。
どうやら、人付き合いを心配する必要はなさそうだ。
当のシオネ、船べりに駆け寄っては体を軽くして、仰向けになる。
そこにピーターがやって来ては、同じ事をする。
どういうテンションになっているのか、青い顔を見合わせては爆笑していた。
レイナの言う通りかも知れない。
ファンゾやダグダとは違って、今回は戦をしに行くわけではないのだから、もう少し気楽に訪問すべきところだ。
少なくとも、今後はそうなっていけるようにすることが、目的なのだから。




