第九十七話 交流会 その2
舞踏会において主催者側が気を配らねばならぬこととは。
やはり何と言っても、「壁の花」を作らぬことである。
しかし、「壁の花」ねえ。
いかにも貴族が作り出した言葉だと思う。
上品でありながら、それでいて痛烈な皮肉。
「喪女」にもいろいろなタイプがあるらしいが、踊りに誘ってもらえない「壁の花」にも、それぞれ理由がある。そこを見極めつつ、気を使っているとバレないようにしつつ、上手に誘うのが腕の見せ所と言うわけだ。
主催者と書いてホストと読む理由が、そこはかとなく知れるような。
ともかく。
……まずは、まさに「喪女」タイプ。
誘われないものだから、依怙地になっちゃった系女子。
この花には、「王子様」をぶつけるに限る。
だが困ったことに、新都学園には、「王子様」がいない。
マスクが甘く、身分が高く、背も高い、そういうタイプ。
イケメンではあるが、マグナムは不調法なので、質実剛健のイーサンに頑張ってもらう他はない。
エドワードやシメイにも声をかける。
……これまでの対応に不満があり、ご機嫌斜めなタイプ。
この花については、周囲を誘う。
話し相手がいなくなり、一人取り残されれば、そのうち踊らざるを得なくもなるであろう。
そういう対応を「おもてなし」と言って良いものかどうかは、疑問が残るけれど。
……上の亜種。というか、当会場の固有種である花も、存在した。
ダンスホールの壁には、ドレープの入った布がかけられてあった。さすがは学園、照明との兼ね合いを考えた上品な無地の布を、しごく適切に配置してくれている。
の、だが。
よりにもよって、衣装がその布と同じ色調であったという悲劇のヒロインが誕生してしまったのである。
泣きそうな顔をして、目立たぬように壁に背を貼り付けている。
壁布と一体化してしまい、顔だけが浮き上がって見える。
舞踏会ともなれば、社交系男子・肉食系男子が大活躍して、「壁の花」対策委員の手間を軽減してくれるはずだったのだが。
品定めしていた彼らが、目を合わせて一瞬ギョッとしてしまったのが、運のツキ。
固有種の花が、しっかりと、壁に根を張ってしまった。
マリアさん、出番です。
マリア・クロウが耳元でしばらくささやいているうちに、ヒロインに笑顔が戻った。
レイナに目配せした上で、会場の外に連れ出す。
受けたレイナは、また別の女子に声を掛け、ともに外へ出る。ヒロインと似たような体格の女子に。
30分もしないうちに、衣装を換えて笑顔で復帰してくれた。
……美人ゆえに誘われないタイプ。
そういう人も多いと聞くが、この場には存在していなかった。肉食系男子も多いので。
彼女達は誘われないのではなく、誘われても断っているのだ。
ダンスが上手い者、風姿に優れる者が誘えば、大丈夫。
……その亜種。壁には似合わない(?)大輪の花も存在した。
はっきりと、美少女である。
美少女というより、美女と表現するほうが適切かもしれない。
女性の体型をあまり露骨に云々するのは如何かと思わぬでもないのだが。察していただきたい。
風流人の多い王都の男子が誘っているが、次々と跳ね除けている。シメイの誘いも断った。
チャラい男子が嫌いなのかもしれないと言うことでエドワードを差し向けるが、これも丁重に拒否。
じゃあ、もっと堅い感じで。イーサン、出番だぞ。
好感触のようだ。しばらく立ち話をしている。が、踊らない。
「どうも、マナーが良くて、すれっからしじゃなくて、恋人や妻がいないタイプをご所望みたいだね。こういうのを聞き出すのは苦手だ。冷や汗が出るよ。」
ヒールをコツコツ言わせていたトモエが、一転して笑顔を見せた。
「悪い人じゃないみたいね。」
気づいてか気づかずか。それに答えることなく、イーサンが首をめぐらせた。
「スヌーク君、君が適任のように思えるんだが。」
「冗談はよせよ、イーサン。僕の背でダンスに誘って、どうなるって言うんだ。だいたい、プロフィール見たか?彼女、王族だろ?謹んで『壁のしみ』を勤めさせていただくよ。」
女性が「壁の花」なら、男性は「壁のしみ」。
この言葉を作ったのは、怒りを覚えた女性ではなかろうか。そんな気がしてならない。
と、しょうもないことを考えている俺が赤面したくなるような言葉が、飛んできた。
「無理そうだから逃げるってのは、貴族としてどうなんだよスヌーク。断られても何一つ恥ずかしいことなんかないはずだ。お前のマナーは、完璧なんだから。」
盟友・ジャックの言葉に勇を奮い起こしたスヌークが彼女に向かって歩み、完璧な所作でダンスに誘う。
花のかんばせがほころんだ。誘いを受けた!
ふたりがホールで円を描き始める。
ヒールを履いた彼女は、スヌークよりも頭一つ高い。
それでも、うまく合わせるものだ。
膝を曲げているのだろうか。ゆったりと動いている。
スヌークも、無理が生ずる動作は全て避けていた。
回る時など、頭上で手をかざすようなことをしない。自分の胸の前でそっと手の平を上に向け、「回っていただけますか?」と来たものだ。
リーチが短いのに、不適切に近づくこともない。大柄な彼女が悠々とステップを踏めるだけの広さを確保している。
成り上がり者の準男爵家などと言われるが、あれは付け焼刃じゃない。数年かけて、きっちり磨き上げた技術だ。
「やるじゃん、スヌーク。」
戻って来ていたレイナが、珍しく手放しで褒めた。
「後で一曲、踊ってやるか。」
もう少ししおらしく発言すれば、かわいげもあるのだろうに。
ともかく優雅に踊り終えて、スヌークが帰ってきた。
「淑女だね。」
顔が上気していたのは、体を動かしていたからというだけでは、ないと思う。
「嫌な顔ひとつ見せず、リードされる体を取ってくれた。向こうの方が上手いのに。さすがは王族、高嶺の花っていうのかな。憧れちゃうよ。」
興奮のままに語るだけ語って、ホールから出て行った。
化粧室で、汗を拭うのであろう。
その背が少し遠ざかったところで、レイナがつぶやいていた。
「イサベルが、淑女?男ってホント、バカなんだから。」
スヌークに聞こえぬようにしていたのは、彼女の優しさか、プライドか。
壁に咲いていた大輪の花。
その名は、イサベル・(略)・ド・ラ・ナシメント。
フリッツやウマイヤ将軍とは異なり、臣籍に下っていない。
末端であることは間違いないが、それでも王族の範囲内にある。
レイナのつぶやきがあったせいかもしれないが、確かに、少し違和感を覚える。
学園に通うような身分では、ないはずだ。
と、言うのも。学園に通う貴族の主流は、中~下級と言われる階層。
スヌーク、ジャック、ノブレス、キルトあたり。カルヴィンも含まれるだろうか。
仲間たちの間にコネを作り、十人隊長の職階を得るために、通うのである。
上流の跡取りは、学園に通う必要など無い。
ノウハウと経済力に裏打ちされた家庭教育があるから。マンツーマンゆえ、効率的でもある。
ことに女性であれば、「深窓の令嬢」「箱入り娘」であることが、「淑女」としての価値を高める(?)ようなところもあるし。
そういうわけで、上流貴族の子女でありながら学園に通っているのは、庶子や、下の方の子である。
跡取りにはしてやれないから、「手に職を」ではないけれど、何か他のメリットを……と言うわけだ。
セシル家の次男アルバート、キュビ家の庶子エドワードなど。メル家の末娘フィリアも、この類型にあたるかもしれない。
なお、新都には2人、例外が存在している。
ひとりは、イーサン。彼が学園に在籍しているのは、父・デクスター子爵の教育方針による。
「私はあまりに早くから官途について、何もできなかった。若いうちはしっかりと学問を修め、多様な人々と接し、深い教養と広い視野、堅実さと謙虚さを身につけるべきだ。」
と、そういうわけ。
立派な親御さんに、イーサンもよく応えている。
もうひとりは、レイナ。
「うちはね、放任にもほどがあるの!ネグレクトに近い!親父は家を空けてるし、母はお嬢様育ちで何もできない、何も知らない。自分でどうにかしなきゃと思って、学園に通うって決めたのよ!」
ああ、まあ。立派だと思うよ、うん。
対して、イサベル・ド・ラ・ナシメント。
王族の、それもひとり娘。イーサンやレイナよりも、(形式的には)身分が高いぐらいの女子。
王都の学園に通っているのには、何か事情があるはず。レイナは知っているようだが。
聞いてみようかと思ったその時、スヌークが帰って来た。
青黒い顔をして、細い声を振り絞っていた。
「レイナ、今日は帰らせてもらえるか?」
レイナの言葉を待つまでも無く、反射的に答えてしまった。
「ダメだ、スヌーク。ここにいろ。」
スヌークとも、付き合いが長い。
日頃、必死に意地を張りながら生きているスヌークがこういう顔をしている時は、そう。
家のことで、プライドに障る何かがあったのだ。
「頼むよ、ヒロ。帰らせてくれ。僕は、場違いだったんだよ。」
ああ、やはり。何を言えば良いのか……。
その答えを知っていたのは、やはりジャックだった。
「フィリア、レイナ。談話室のマッチングを頼む。中下級貴族、軍人志望。キルトみたいなヤツ。いや、キルトも交えて、率府のイキがいいヤツを頼む。……スヌーク、何があったかは知らないが、飲み込め。今日は飲むぞ。飲むんだ。」
「済まない。ありがとう、ジャック。でも、舞踏会が終わるまでは、席を外させてくれ。」
背中に感じられたスヌークの気配が遠ざかると共に、レイナが口を開いた。
「ヒロ。行って。」
言われる前に、歩き出していた。
近づくほどにその魅力が際立つ、大輪の花の元へ。
「踊ってはいただけませんか?」
左手を後ろ手に、右手を下から。あくまでも紳士的に。
教わったとおり、できたはずだ。形式的には。
内心では、闘争心みたいなものが渦巻いていたけれど。
イサベルが、微笑みを返してきた。
椅子から立ち上がる。
容姿も所作も、雅そのもの。スヌークを傷つけるような邪念など、一切感じさせない。
「ヒロ。非礼よ。誘ったからには、踊ることに集中なさい。スヌーク君を見てたでしょう?」
脳内に響くアリエルの声に、どうにか落ち着きを取り戻す。
俺への態度は、スヌークの時と、何ひとつ変わるところが無かった。
初心者である俺にリードを許しながら、それを意識させることもなく、主導権を保つ。
壁からホールへと咲く場所を変えて、美しい円を描く。
ステップを踏むイサベルは、優美だった。