第九十二話 ラッシュ その5
母親モード、若奥様モードに入った、一部の学園生徒達。
遠慮なく幸せオーラを振りまいている。
母親らしい(?)厚かましさや逞しさを発揮してもいる。悪いこととは思わない。あんまり無茶な要求で無い限り、ある程度はお母さん達の主張を受け入れるのが、社会の度量というものでもあろうし。
しかし、まつは、どうも大人しいように見える。
三芳のご当主ではないが、「自分から何かを求める」ようなところが、やや欠けているような。
障碍があるからと言って、遠慮することなど、ないと思うのだが……。
しかしそういう発想自体が、「人権思想」が支配する社会に生まれ育った俺の、「ズレた」感覚なのだろうか。
ヴァガンもあの調子だし、大丈夫かな。
そんなことを思って、声をかけたのだが。
「何言ってるんだ、ヒロ。まつは、子育て中の母ちゃんにそっくりだぞ。気が強くって敵わないよ。心配してくれるのは、ありがたいけどな。」
言葉の内容とは裏腹に、満面の笑みを浮かべるヴァガン。
こちらは、幸せオーラを振りまいている。
ともかく、ヴァガンの言う「母ちゃん」とは、「翼」と「嘴」の母。
すなわち、グリフォンであって。
「翼」と「嘴」は、「獣と一緒にするな」と言うけれど。野生動物には違いない。
子育て中の野生動物って、相当な強さだと思うんだけど。
「……まつ?ヒロには話しても良いって?そうだよな。前も話したけど、俺の時もそうだった。ヒロは最初っから、俺達のことをちゃんとした人間として見てた。」
人権思想の、日本文化の賜物だろうか。
それとも、俺が彼らと同じ、「社会のはぐれ者」だからだろうか。
なるほど俺は、周囲ほどには、彼らを忌避してはいなかったと思う。
完全にフラットな立場で接することができているかどうかは、分からないけれど。
ちょっと気まずいような気分になった俺に、ヴァガンが向き直った。
「まつは、いつも、俺達の方が心配だって言ってるんだ。」
え?
「天真会のみんなは、異能がある。体も強くて、稼ぐ能力がある。ヒロには身分もある。それなのに、なんでみんな、そんなに心が弱いんだって。」
心が、弱い?
「泣いてる子供みたい、傷だらけの獣みたいだって。何かに怯えているって。『私がおとなしくしているのは、主張する必要が無いから。主張しても、得がないから。もし、主張することで居場所を作る必要があるなら、それで居場所が作れるなら、遠慮なく暴れています』だってさ。」
ジャスミンのように、か。
「『それぞれ、取るべき態度があるでしょう?私の場合、周りにモデルがいなかったという難しさがあっただけ』だってさ。侍女になってからは、侍女として振舞えば良かったから、何も困らなかったって。」
なぜか思い出されたのは、ネイトの呑み助の言葉。
立花伯爵とケンカしてトラ箱入りになった男の、言葉。
「俺はそりゃあ紳士とは言えないかもしれないが、最低限のわきまえはあるつもりだ。」
この社会には、人権思想はない。
しかし、社会道徳や人倫というものは、間違いなく存在する。
「なすべき、振る舞い」というものがある。
トラ箱入りしたおっさんの振る舞いは、乱暴ではあったが、立派なものだった。
例えば彼が、また彼の回りにいるであろう庶民の仲間達が、まつに対して非道な態度を見せるところなど、想像できない。
無法者やマナーが悪い者もいるだろうけれど。
ふつうの人であれば、お互いに「なすべき、振る舞い」をするだけ。
それで十分。
相手が障碍者だろうが、自分が障碍者だろうが、関係ない。
おのれが為すべき振る舞いを、為すのみ。
「『弱いから、強気を見せる。自信がないから、無理に明るく振舞う。普段と違う態度を取っている人には、そういうところがあると思うの。学園の生徒さんは、若いでしょう?怖くても、仕方ない。私も初産だけど、自信がある。だから、普段どおりなの。絶対に、元気な赤ちゃんを産んでみせるから。いつも泣きそうなヴァガンの居場所を、作るから。』って……。」
……はずかしいぞ、まつ。
ヴァガンが頭のてっぺんまで真っ赤になって、両手で目を覆った。
お見それいたしました。
中世的な社会だから、迫害されてきただろう。
障碍者だから、何か難しいこともあるだろう。
そう思っていた俺が、傲慢でした。
まつの態度は、「控えめ」や、まして「遠慮」などではなくて、「自然」だったのだ。
塚原先生に類する態度だ。
そのレベルに、達している。
子供どころか、天真会の大人たちや、俺が勉強させてもらいました。
「そうよな、ヒロ君。私も勉強になったよ。」
いつの間にか現れた李老師が、にこやかにつぶやいていた。
老師に言葉を返して、再び向き直ると。
まつが、ヴァガンと手を繋いでいた。
何か念話を交わしているのだろう。
二人を見つめる俺に気づいたヴァガンが、振り返った。
「無視してごめん、ヒロ。いま話してたのは……うう、困ったな。説明すると、長くなっちまう。念話って、一瞬でたくさんおしゃべりできるから、話が終わらなくて困るよ。俺もまつも、初めて、出会ったもんだからさ。その、なんでも気兼ねなく話せる相手に。『通じ合う』って言うんだっけ?難しいや。」
「いや、こちらこそごめん、ヴァガン。夫婦の時間を邪魔して悪かったね。」
「さよう。今のうちに、交わせるだけ会話を重ねておくべきであろう、の。予定日は1月の初旬であったか。産婆や医師の準備をしておかねばな。」
老師の声は、いつも通りの穏やかさで。
そして二人の視線は、天真会の広場の片隅に向かっていた。
ヴァガンが、リージョン・森の白い花を植えた一角に。
聞かなくても分かる。
「来年の春、4月には、親子3人であの花を眺めよう」と言っているのだろう。
妊娠ラッシュ、いや、妊娠の報告ラッシュであったか。
それがひと段落するにつれ、学園の生徒達もいつもの態度に戻り始めた。
……要は、相変わらず強気なわけだが。
ソフィア様の苛立ちも、収まっていった。
まつのいう、「自信がある人は、普段どおりの態度を見せる」という言葉、そのままに。
……今日もまた、社交、威圧、日常の、3種類の笑顔を使い分けておいでになっている。
俺も怯えず、普段どおりの態度で接することができている……と良いんだけど。




