第九十二話 ラッシュ その1
文化祭が終わった10月半ばのこと。
行事やら授業やらの都合をやりくりして、ようやく天真会を訪問する算段をつけることができた。
異世界チート・「木炭浄水器」の件を、李老師に報告する必要がある。
なろうことなら、「『北賊』社会における天真会」の周辺事情についても、話を聞くことができれば。
……と、そう思って。
そして訪れた天真会新都支部であったが。
これが、何やら、ドタバタしていた。
馬車を降りた俺の目の前にそびえるは、大きな正門。
扉が無く、柱だけが立っている。
文字面ではなく、実際に「誰にでも開かれている」、敷居の低い入り口。
しかしその前には、随分と「敷居が高そうな」ものが鎮座していた。
天真会周りでは、普段あまり見かけることのない、高級な馬車である。
馬車の傍らに立っていた男性が、振り向いた。
糸目に光が宿る。
「ヒロさん、これはちょうど良いタイミングで。私と一緒に、船着場までお願いできますか?千早はヴァガンを迎えに……と、これはいけない。千早はフィリアさんの侍衛でしたね。」
早口である。
言葉に、まるで飾り気が無い。
普段の、慇懃(無礼)な、アランらしさが感じられない。
思わず顔を見合わせるその間も惜しむかのように、フィリアが即断した。
「それならば、私も一度学園に戻ります。千早さんとヴァガンさんと、グリフォンで伺います。」
「そうしていただけますか、フィリアさん?事情は、後ほど。……では、ヒロさん。」
そう言って、高級馬車に乗り込むアラン。
続いて俺も。
フィリアと千早は、乗ってきた馬車で、再び北のかた学園に取って返し。
俺とアランは、高級馬車で、南のかた船着場を目指す。
「お出迎えですか?なぜ私を?」
「ファンゾの人です。面識があるのは、恐らくヒロさんだけでしょう。出迎えるなら私だけでも良かったのですが、せっかくですので。」
「それにしても急ですね。」
「手紙を受け取ったシンタが、おとなに渡すのを忘れていたのです。間に合って良かった。」
「この高級馬車、相手はいわゆる重要人物ですか?」
「あ、いえ。体調の問題で。」
そんな話をする間にも、高級馬車は快速を飛ばし。
反動を感じさせることもないほどスムーズに、船着場に止まった。
どうやら船の到着には、間に合ったらしい。
良かった。体調が悪い人を待たせるわけにはいかない。
ややしばしの後。
船から降りてきたのは、サムライであった。
「これは招安副使殿、お久しぶりにござる。」
「お久しぶりです。もう副使ではありませんし、そのように固くならずとも。」
「さようでござった。では、カレワラ様と。」
サムライは、滝田家の家臣であった。
家老と言うほど重い立場ではないが、太郎長政の側近のひとり。
長政の部下らしく、武術の心得を感じさせる、堂々たる姿。
……どこが体調悪いんだ?
と思ったのだが。
その後ろから出てきた人に、驚かされた。
確かに、ガタガタ揺れるおんぼろ馬車に乗せるわけにはいかない。
「あなたは!?……大丈夫ですか?さあ、馬車に!船よりは、ずっと快適です。お荷物を……。」
「カレワラ様、もったいのうござる。荷物は某が。」
滑らかに転がる馬車に乗って再びたどりついた、天真会新都支部。
その門の前は、まさにVIPを出迎えるような騒ぎであった。
李老師とロータス姐さんと。フィリアに千早。
そして孝・方に押し出されるようにして、ヴァガンが転がり出てきた。
ヴァガンが、慣れない手つきで、客人を馬車から降ろす。
そうっと、そうっと。おっかなびっくり。
客人の名は、まつ。
妊婦であった。
「その、つまり。南ファンゾ中央部で、水脈と井戸探しをしている間、ヴァガンの身の回りの世話をしてくだすった女性と。そういうことですかの?」
「さようにござる。」
まつの代わりに、サムライが答えた。
「お手紙には、『三芳家・滝田家としては、こちらで責任を持って育てても良し、ヴァガン殿の元で育てるも良し。そう思っていたところ、当人であるまつが、新都にて、ヴァガン殿の元にて育てたいと申すゆえ、お届けいたす』とのことでしたの?」
「さようにござる。」
「もうすぐ、安定期も終わる頃かしら。」
ロータス姐さんが、声を上げる。
非難の色を感じたのか、サムライが会釈を施した。
「夏場の天候がよろしからず、揺れる船に乗せるのはいかがかとの判断にござったゆえ……。」
「いえ、周到なご配慮、ありがとうございます。」
アランも、やっといつもの調子を取り戻しているようだ。
これでどうやら落ち着けそうだな。
……などと思っていたところ。
「それでは、某はこれにて。」
せっかちすぎる!
孝・方が慌てて袖を捕まえていた。
「いやいや、せめて一泊なりと。」
「主命にござるゆえ。一刻も早く復命せねばなりませぬ。」
せっかちじゃなくて、堅物だったのか。
ともかく、伝え忘れるわけにはいかない。
南ファンゾ中央部にこそ、必要なものがあるじゃないか。
「水あたりを防げる浄水器があるのです。作り方をお伝えしたいのですが……。」
「まことにござるか、カレワラ様!それはかたじけない。左様なれば、数日の遅れなど……。ご厄介になるでござるよ。」
などと、男共が儀礼的なやり取りを始めた頃。
ヴァガンとまつは、女性たちに囲まれていた。
しかし、まつはニコニコしているばかり。
いきおい、ヴァガンに質問が集中したのだが……。
第一声が、まずかった。
「俺の子、なのか?」
千早のビンタが飛ぶ。
フィリアが杖の頭で殴る。(半年ぶり2回目。ヴァガン氏は、初体験が「頭」の方であった。)
ロータス姐さんに至っては、引き抜いた簪を、ヴァガンの手の甲に突き刺していた。
マリーすら、向うずねに一撃、蹴りを入れている。
悲鳴を上げて転がるヴァガン。
「最低でござる!」
「身に覚えが無いとでも!?」
「破門ものよ!」
「ヴァガン兄ちゃん、見損なったよ!」
「みんな、何を怒ってるんだ?」
「まだ言うでござるか、ヴァガン殿!」
「だって、俺が、父親になれるのか?人間の父親に。ほんとに俺は、人間なのか?間違いないのか?」
ヴァガン!?
「俺は、みんなに良く似てる。たぶん、人間だと思うんだ。そう思いたいけど。ひょっとしたら、『毛無し』の俺にも毛が生えてきて、嘴がとんがってきて、グリフォンになるってこともあるんじゃないかって。『翼』も『嘴』も、産まれたときは『毛無し』だったし。」
全員が、かける言葉を失っていた。
「なあ、本当に俺は人間なんだよな?俺の子なんだよな?」
俺達が答えられなかったせいで、誰もがすぐと言葉を継げなかったせいで。
ヴァガンの顔は青ざめ始めていた。
黙らせたのは、彼の手を優しく握り締めた、白くて丸い手。
まつが、微笑んでいる。
無言で。
「……ごめん、まつ。そうだよな。俺が人間じゃなかったら、何をしたんだって話になっちまう。……え、そういうことじゃないって?間違いなく人間だって?何で分かるんだよ。……俺は人間だって、私が保証するって?でもさあ。……あ、まあ、そうだよな、子供が生まれてくれば分かるよな。」
念話を交わしている。
「ヴァガン兄ちゃん、まつさんも。二人だけじゃなくて、私達にも分かるように話してくれませんか?」
マリーが、子供らしく、遠慮ない声をかけたが……。
李老師に無言でたしなめられて、引っ込んだ。
老師のことだ、ひと目で気づいたに違いない。
「気づいた」老師はともかく。
当事者を除けば、「知っている」のは、俺だけだ。
南ファンゾで、一緒に過ごす二人を見てきたのは、俺だけなのだから。
まつは、言葉を、話せない。