第八十九話 牛の歩み その6
武術大会が、終わった。
叙任を受けたのは、3人。
優勝したアントニオ・サッケーリ十人隊長が、百人隊長に。
準優勝した「我が郎党の」ユル・ライネンが、十人隊長に。
そして、女性ながら準決勝に残ったラティファ・ウマイヤが、十騎長に。
それぞれ、昇格した。
並んで表彰を受ける、3人。
優勝者と準優勝者は、血まみれあざまみれ、たんこぶだらけでボロボロ。
敗退したはずのラティファが優勝者に見えてくるほどの惨状であった。
治療と帰り支度のため、128人の選手達が、再び控え室へと戻って行く。
大会終了後は、関係者であれば控え室に入れるとのこと。
推薦状を書いたライネン先生の名義で、ユルを迎えに行った。
間近で見たユルは、つぶらな両目が腫れあがっていて。
それでも、俺たちの姿は見えたらしい。
挨拶しようと、もがいていた。
そんなユルを祝福しようと近づいた、その矢先のことであった。
横から、人影が現れたのは。
「不躾を失礼する。後になると、時間が取れなくなると思いまして。……ライネン先生でいらっしゃる?」
寂びた声の女性。
「シーリーン・ウマイヤです。将軍位をかたじけなくしている。」
「痛み入ります、閣下。ユルの指導者で叔父の、ライノ・ライネンです。」
「早速ですが、……おお、サラ。君もいたか。ひょっとして。」
「ええ、ウマイヤ閣下。ライネン先生は、私の師匠でもあります。」
「ならば話が早い。実は、ユル君を郎党に迎え入れられないかと、そのご相談を。」
王族の末で、かつ、将軍。
重い身分なのに、シーリーンの動きの素早いこと。
有能な軍人なのだろうなと感じさせる。
などと思ったのは、少し余裕ができた後のことであって。
話を聞いた時には、ライネン先生と顔を見合わせることしかできずにいた。
再びシーリーンの方を向いたライネン先生から、事情の説明が入る。
「いや、実は、先約がありまして。それも、ライネン家から頼んだ話なのですよ。」
「何と!これほどの逸材、ライネン家から頼み込まずとも、引く手数多であったでしょうに。……そのお話、どこまで進んでいるものですか?断りにくい筋ですか?ウマイヤ家から話をできないものでしょうか?」
動きも早ければ、質問も矢継ぎ早。
双鞭を次々と叩き込むかのように、話を進めて行こうとする。
「王族で将軍」という傲慢さ……かどうかは分からないが、権威・権力、使える手段は何であれ遠慮なく使おうとする人物のようだ。
勝つためには何でもする。軍人の、あるべき姿なのだろう。
どちらかと言えば気の良い呑気者であるライネン先生、シーリーンの勢いに、たじたじの態であった。
いや、ライネン先生は、関係ない。
今や当事者は、俺なのだ。
「ウマイヤ閣下、ライネン先生。お話のところを失礼いたします。」
俺の声に、シーリーンが向き直る。
アーモンド型の瞳が、猫のように細められていた。
いつでも素早く飛びかかろうとする、臨戦態勢の目つき。
話を遮られた時点で、「何か」を予想したか。
「失礼をお詫びいたします。『ユルの主』、ヒロ・ド・カレワラと申します。」
シーリーンの視線が、腰の朝倉に向かった。
あまりにも不気味な太刀。長さは三尺。……ならば、おそらく、文官ではない。
それぐらいの推測は、一瞬で立てられる人物。
「軍人か。譲ってはくれぬか?将軍に恩を売れる、悪くはあるまい。」
ストレートだなあ。
本当に元・王族か?持って回ったところのあるフリッツとは、随分な違いだ。
まずは「ごり押し」から考えるあたり、彼女はまさに軍人貴族。
立派に王族を脱却されたお家柄のようで。
でも。
譲れないんだ。
「あるじと郎党とのつながりは、譲れるものではありますまい。」
テオドル・ファン・ボッセ。ドゥオモ家三代。サムとピーターも三代。高岡城の幽霊、パオロ・ラノッテ……。
俺は、彼らと真剣に向き合ってきた。
主従とは何か、この身をもって、知った。
あなたには、それが分かっているのか?
「出世を望まぬと?……いや、待て。カレワラと言ったか?年齢と職階は。」
俺の問いには答えず、シーリーンはあくまでも自分の土俵で勝負を仕掛けてくる。
「14歳、十騎長です。」
「十代半ばで十騎長。それなりの家か。あまり聞かぬ名だが。」
時あたかも8月末日。残暑厳しき折柄。
そのうだるような熱気を凍りつかせんばかりの声が、背後から聞こえてきた。
「レディの間では、それなりに聞こえ始めている名ですわ?ぜひ今度、サロンにおいでくださいませ、ウマイヤ閣下。『王族』をお迎えできれば、姉も喜びます。」
王国は、中世的な社会。
ヨーロッパでも、日本でも、異世界でも。
中世は中世。そこには共通項がある。
すなわち。
貴族(日本なら武士)とは、どれほど品が良くとも、つまるところは暴力集団なのである(直接的に暴力を持っていない家は、暴力集団を『動かすことができる』家なのだ)。
「御恩と奉公」とは、上で戦争があれば下が助力し、下に紛争があれば上が介入・調停・保護するという意味であって。
舎弟に手を出されたら、兄貴分はしゃしゃり出る。
それをしなければ、信用を失ってしまう。
その理屈を踏まえた上で、レディ・フィリアの言葉を翻訳すると、以下のようになる。
「サロンに出ないから情報収集に後れを取るのですわ?軍人気取りでいらっしゃるから出てこないのでしょうけれど。でもその結果が、情報戦の敗北なのですから愉快ですわね。閣下は所詮、『軍人』ではなくて『王族』でいらっしゃるようですね?」
フィリアがここまでキツイことを言ったのも、「シーリーンが、自分の客将を威圧したから。その郎党を奪おうとしたから」なのだ。
さらに言うならば、「自分の客将を、ウマイヤ閥に引き込もうとしている(恩を売る云々)ようにも見えたから」なのである。
兄貴分(いや、姉貴分か)としては、この事態を座視してはいけない。
「拠って立つもの」を失ってしまうから。
フィリアのその意図を、シーリーンは正確には理解できていないようであった。
が、武家には、軍人には、そこまでの能力は必要とされていない。
必要なのは、「フィリアに喧嘩を売られている」、「この若僧のケツ持ちはメル家である」と認識できる能力。
その意味では、シーリーンは、フィリアに何を言われても、やはり軍人であった。
俺に向かって、次の言葉を吐いたのだから。
「虎の威を借る狐か。」
言われた側の、俺だが。
何か言われた時には、黙っていてはいけない。
舐められたら終わりだから。
フィリアから援護射撃を受けたのに、黙っていてはいけない。
信用を失ったら、完全に終了だから。浮き上がる目など、皆無になるから。
だから、口を開く。
「ライオンの威を借る兎ぐらいは、仕留めてご覧に入れましょう。」
ライオン。それは王家の象徴。
シーリーンの目が光る。
だが、間合いはこちらのもの。
位置取りで先手を取られていたことに気づいたシーリーンが、舌打ちした。
狐ですからね、こちらは。ずるく素早く立ち回りませんと。
さてしかし。
相手は仮にも将軍位。無任所将軍か雑号将軍かもしれないが、将軍には違いない。
……どう収めればいいんだろう。
「ウマイヤ閣下。発言をお許し願います。」
聞こえてきた声は、言葉ではそう言っていたが。
許しを待つことは、しなかった。
「私は、カレワラ家の郎党です。移ることはできません。主家を乗り換える郎党など、お仕えしても迷惑になるばかり。」
声の主は、ユル・ライネンであった。
「叔父からは、『武術大会で結果を出せば』と言われていました。閣下も、結果を出した私を見て、ご評価くださいました。しかしあるじは、大会前に言ってくださったのです。『来てもらえるか?』と。武術以外は、人付き合いも計数も読み書きもダメ、それどころか性格まで周囲からダメ出しされ続けてきた私を、です。」
あの時の言葉は、もちろん、本気のもの。
「ユルならば」と思って申し出たことは、間違いない。
しかし、受けたユルの側の思いは、それ以上で。
「その日、あるじの流儀も、目にしました。見切ってかわし、あるいは打ち込み、前へ前へと出て行く武術。……これまで私は、『受けて立つ』流儀でした。しかし、あるじが前に出るのに、盾役の重装騎士がそれではいけない。そう思ったから、この大会では前に出ることを心掛けました。」
ライネン先生が覚えた違和感の、原因。
それは、ユルの覚悟であって。
「それが、結果につながったのです。怯みそうになったこともあります。それでも前に出られたのは、『俺はカレワラ家の郎党だ。恥ずかしい真似はできない。』と、そう思えたからです。……お願い申し上げます、ウマイヤ閣下。どうかこの話は、なかったことに。」
「そうか。……分かった。けなげな郎党の顔に免じて、ここは引こう。」
「ありがとうございます、ウマイヤ閣下。ラティファ様の昇任、おめでとうございます。」
「カレワラとやら、如才ないことだ。そちらも郎党の昇任、おめでとう。……では諸君、失礼する。」
戛戛と靴音を鳴らして、歩み去るシーリーン。
颯爽としたものだ。
もう少し「いいかたち」で出会いたかった。
やや遅れて、ラティファも後を追っていく。
「姉が失礼を。」
「いえ、郎党を高くご評価いただけたこと、光栄に存じます。」
ま、これでお互い、フォローはしたということだ。
軽々と歩み去っていく、そのラティファの姿が見えなくなったところで、太い息を吐く。
やっと安心して話ができる。
「ユル、ありがとう。」
「いえ、ヒロ様のお心に応えなければと。」
重い。とてつもなく。
この心を背負い、この心に応えるのが、「一家のあるじ」なのか。
でも今日は、そんな湿気た感慨に浸るべき時ではない。
祝賀ムードであるべきなのだ。
「良き啖呵にござったぞ、ヒロ殿。爽快にござる!」
「ええ。私も気分が良いです。」
祝賀……なのか?
まあ、おふたりはそうでしょうね、千早さん、フィリアさん。
「もう少しケンカ腰になったところで華麗に仲裁しようと思ったのに!恩を売り損ねた!」
勘弁してもらえませんかね、レイナさん。
「おうヒロ。郎党が結果を出したんだ。昇任もしたんだし、給金を上げてやらなくちゃな?」
キルトが軽口を叩く。
「信賞必罰、か。そうだな。うーん。じゃあ、月に小金貨1枚と、大銀貨を何枚にするか……。」
なんてことを口にしたら、ライネン先生に止められた。
「ヒロ君、よしてくれ!ユルはまだ、中途半端な数字には耐えられない!」
「では、一時金代わりに、引き出物を、後日。」
試合を見ていて、思いついたことがあったんだ。
ちょうど良い。
「なになに?ヒロ君。」
「アンヌ、それをここで教えたら、面白くないだろ?」
やいのやいの言いながら、ライネン先生と2人、ユルを抱えるようにして、外に出る。
控え室の外に、見慣れた顔があった。
「ブルグミュラー会長!」
「これはヒロ様、それに皆様。おお、準優勝された彼の……」
「ええ会長、私の郎党です。」
「これはおめでとうございます。いや、素人目に見ていても、素晴らしかった。」
「会長は……」
と、言いさして、その用件に気づいた。
会長と話をしていたのは、ユルの4回戦の相手、「野生の腕自慢」だった。
スカウトか!
そう言えば、会長の後ろにいる、かばん持ち。
彼、去年イーサンに殴られた、「野生のステゴロ自慢」じゃないか。
「ええ。皆さんから、もう少し身辺警護に気を使うようお言葉をいただきましたので。」
「ちょっと、大丈夫なの?乱暴者でしょ?」
「レイナ嬢。ブルグミュラー会長なら、使いこなすであろ。甘いお人ではないゆえ、の。」
「これは李老師。お久しぶりです。」
「クララとヨハネス君は、元気にしとりますかの?」
「ええ。おかげさまで。クララも健康ですし、ヨハネスは丸々としております。」
「……」
「……」
そうか。
みんな腐らず、やっていけてるのか。
「心卦け、なんですね。私はそこがまだ、甘かった。」
フリッツ?
「さすがに野生の腕自慢のことは、分かりかねますが。屈辱的な敗戦から、一年腐らず修行した者。王族の末でありながら、危険を顧みず大会に出る者。将軍の威圧を跳ね返すあるじと、その心に応える郎党。引き換えて、私はどうも、中途半端だ。」
イーサンが、その肩を叩いていた。
「そんなことは無いと思うけどね、フリッツ君。だが、気合を入れて悪いということは、ないだろう。僕ら全員。」
フィリアと千早の機嫌は、ますます上向いていて。
そしてフリッツは、秋に叙任された。