第八十九話 牛の歩み その5
ユルは、何とか踏みとどまった。
「前に出る勢い」が強かったことが幸いしていた。
後ろを取られたとは言え、二打目が浅くなったのだ。
そのままではいられないので、どうにか振り返るユル。
相手選手は、またユルに駆け向かってきていた。
「ゆっくりした試合になると、体格と筋力の差が響く。」
真壁先生が、周囲に言い聞かせるかのように、口にする。
「だが、ユル君も、悪くないの。」
老師が、目を細めた。
したたかに打たれたユル、ひるむかと思いきや、懲りずに前へと出て行ったのだ。
またも、似たような展開になった。
双鞭使いは、斧を持つユルの右手側へと飛び込み、駆け抜けざまに鞭をひと振り。
ユルも、全く同じ轍を踏むような愚か者ではない。
斧を振る軌道を、縦回転から横回転へと変えていた。
一撃でも与えることができれば、ユルの勝ちなのだ。
それでも、相手は斧をかいくぐる。
再び鞭の一撃が決まる。
ユルは、「防具のある部位」で受け止めていた。
打撃武器である鞭のダメージは、鎧の中まで響くけれど。
それでも、一撃の重い斧使い同士の稽古で鍛えられている、ユルだ。
何事も無かったかのような顔をしている。
姿勢を崩されずに済んだので、追撃を食らうこともなかった。
「ヒロ先輩との試合と、同じ展開ですね。」
サラが、ライネン先生に話しかけていた。
「一撃でも決められれば、だいぶ違うのですが。見切られ、かわされてしまう。かわして逃げるのではなく、踏み込んでくる。」
「そうだなあ。刀術使いと似たところがあるかもしれない。」
三合目も、同じ展開となった。
ユルの斧は、相手を掠めるほどになっている。
しかし当たらず、またも一撃を食らう。
「セコンドの指示が、的確だな。あれは使い手だぞ?」
「ウマイヤ将軍は、双鞭の第一人者ですもの。」
真壁先生とサラの言葉に、みなが改めてパンフレットを覗き込む。
セコンドの名は、 シーリーン・(略)・ウマイヤ。
そして選手の名は、ラティファ・(略)・ウマイヤ。
姉妹だそうだ。
眼下のシーリーン・ウマイヤ、二十代半ばに見える。
「将軍にしては、若くないか?」
言ってみて、気づいた。
考えてみれば、アレックス様だって、25歳だった。
「ウマイヤ家は、臣籍に下った王族です。」
フリッツが、説明してくれた。
なるほど、それならば家格の高さゆえに出世が早くても、当然だ。
そしてこちらが求める前に、フリッツがさらなる説明を加えた。
「本来の家格としては、ベッケンバウアー家よりは高いのですが。軍方面に進出したため、位階としては同等か、やや低いかといったところでしょう。」
ふむ。しかし、先ほどの口ぶり。
ウマイヤ姉妹のことを一番よく知っているのは、サラのようだ。
「サラの知りあい?」
「ええまあ……王族の末ですし。イーサン先輩やレイナ先輩、フィリア先輩もよくご存知のはずではありますが……。」
家格が高い者なら、交流はあるということか。
しかし、歯切れが悪い。
「またヒロは不躾なんだから。そういう疑問顔を向けたら、サラが困るっての!レディにそういう顔をさせるな!」
「レイナさん、ヒロさんは好奇心の女神の眷属ですから。諦めてください。……ヒロさん、王族でありながら軍関係者ということは、言葉を飾らず言えば、弱小派閥なんですよ。」
「フィリア。それはつまり、極東の最大派閥であるメル家に反発している。弱小同士、ミーディエ家とは仲が良い。と、そういうことで良いの?」
だから、この間の演習でも見かけなかったのかな。
「そして弱小派閥と見れば軽んずる、いけずな文官系トワとも仲が良くないということさ。……ヒロ君にならって、歯に衣着せず言うならね。」
「呆れた。イーサンまで不躾になることないじゃん!」
「で、立花は、特に伯爵閣下が、そもそも軍人嫌いと。」
「ヒロ先輩、お眼鏡にかなう友達を、スタッフとして紹介してくれません?」
貴族連中がそんな会話をかわす中。
庶民のニューヒーローであるマグナムは、うなり声を上げていた。
「王族が、いち選手として武術大会に参加かよ。しかも、怪我を恐れぬあの軽装。加えて女子だろ?……あ、いや、こういう言い方をすると、学園の女子は反発するかもしれないけどさ。……とにかく、立派だと思うぜ。」
「そうさ、マグナム。これぞ貴族。先頭に立って困難に立ち向かう、青い血というわけだ。」
スヌークの言葉は、なぜか自慢げだ。
フリッツが、下を向いた。
誇るスヌークと恥ずるフリッツ。
貴族として「正しい」(?)のは、どちらなんだろう?
さらに数合。
必ずしも駆け抜けるわけではないが、ラティファ・ウマイヤは、必ずユルの右手の側で、斧の近くで勝負を挑んでいた。
そしてその度、ダメージは小さくとも、確実に一撃を与え続けている。
果敢で可憐なその姿に、観客が熱狂する。
ユルにもダメージが蓄積し始めているようだ。
特に、脚に数発決められたのが、効いている。
体格に優れる相手の足腰を狙うのは、理にかなっている。
大声で発せられるシーリーンの指示も見事ならば、それを達成してみせるラティファの腕も、また見事。
少し鈍くなってきたようにも見える、ユルの動き。
それでも、前に出ることをやめない。
またも駆け違いざま一撃を入れる、ラティファ。
斧で一撃を入れる余裕が、ついになくなったか。ユルが、いったん振り上げた右腕を縮めた。
少し姿勢を落とし、右の二の腕で、鞭を受け止める。
したたかな一打に、ユルが斧を取り落とした。
「これまでか。峠を過ぎたようだ。もう何合か勝負しても、逆転はかなうまい。」
みなが、そう思った。
が、老師と両先生の見る目は、違っていた。
「ほう!」
その声に、試合会場に目を凝らす。
セコンドのシーリーンが、頭を抱えた。
斧を右手から放したユル。
左手の盾にその右手を添え、全力で左向きに旋回していた。
追撃を加えようと、左手の鞭を振り上げていたラティファ。
姿勢が高い。
そこに、盾の横殴りが打ち込まれていく。
華奢な体が、よろけた。
「やはり、おなご相手は、やりにくいか。」
李老師の、のどかな声。
「あの姿勢、あの体格なら、吹き飛ばしているはずなんだよ、ヒロ君。」
ライネン先生が、説明してくれた。
「ヒットさせる瞬間に、力を抜いていたな。その心を……、さすがに分かっているか。」
脳震盪でも起こしたか、脚にきたか。
ふらつきながらも構えを取ろうとするラティファの足元に、姉のシーリーンがタオルを投げ込んでいた。
観客が、ラティファに惜しみない拍手を送る。
さすがに、ユルに非難を浴びせるような者は、いなかった。
その事実に、胸をなでおろす。
決勝戦。
相手は、重装備のナイトであった。
その鎧は、家柄の良さを感じさせる、高級品。
3回戦と同様の、正統派ナイトであった。
しかし、あの姿、どこかで見たことがある。
パンフレットを確認して、思わず声をあげてしまった。
アントニオ・サッケーリ。
昨年の5回戦で、イーサンとの壮絶な殴り合いの末に敗れた選手であった。
ひと回り大きくなっていたから、すぐには気づけなかった。
「イーサンに殴り負けした、あいつか。」
そのマグナムの口調は、揶揄や侮蔑ではなかった。
かなわぬまでも千早に挑み続ける、マグナムならではの共感である。
「一年、つらかっただろうな。」
去年のイーサンは、最年少選手。
アントニオに比較すれば、小柄でもあった。
その場では伏せていたが、デクスター家の跡継ぎであることも、すぐにばれていた。
同じスタイルのナイトでありながら、最年少で小柄(アントニオとの比較において)な文官に、殴り負けた。
アントニオの屈辱は、いかばかりか。
蓄積ダメージの差があったことは事実だが、それが彼の心を軽くすることはなかっただろう。
それでも腐らず、一年鍛錬を続けて。
再び、今度は決勝にまで勝ち残ってきたのだ。
決勝戦に臨むアントニオの装備は、「片手剣に盾」と並び、ナイトとしてはもっとも正統とされるスタイル。すなわち、「両手持ちメイス」であった。
対するユルも、斧を用いるナイトの正統スタイル、両手持ちの大戦斧。
両者がゆっくりと会場に足を踏み入れ。
そして、試合が始まった。
観客の半ばは、アントニオが何者であるかを、知っていた。
試合展開は、みな、読めていた。
足を止め、交互に一撃ずつを入れあう、古式ゆかしき決闘スタイル。
お互いに受けるのみ。かわすことは、しない。
もっとも壮絶な展開となるのだ。
アントニオは、自己を表現してみせた。
昨年は発揮できなかった、本来の頑強さを、力強さを、あますところなく誇示していた。
ユルも、応じた。
脚を動かす試合ではなかったが、気持ちは前に出続けていた。いっさい引かなかった。
斧使いの強力を、鍛えた体の粘り強さを、見せつけた。
昨年と、同じ。
いつ果てるともしれない殴り合い。
会場に聞こえるのは、交互に響く鈍い打撃音と、肺から漏れる呼吸音ばかり。
しかもその殴り合いの主役は、双方とも、去年以上の体格の持ち主なのだ。
何発殴りあっただろうか。
試合を決めたのは、やはり消耗の差であった。
準々決勝・準決勝と、ユルはダメージを負い続けてきた。
対するアントニオは、昨年の反省を踏まえて、消耗少なく勝ち上がってきていたのだ。
ユルが、後ろざまに、倒れていく。
動きの少ない試合ゆえ、主審は選手のすぐ傍に控えていた。
その主審が、急いで割って入り、後頭部を打ち付けぬように、支える。
TKO。
ユルの夏は、終わった。