第八十九話 牛の歩み その4
老師とアンヌの会話は、まさに「正論」なのだろう。
マリアだって、必死に努力を重ねている。
だが、昨年、決勝戦まで勝ち残った孝・方やヴィンセントには、「武術の才」があった。
(老師が「孝には才がない」と言うのは、弟子筋ゆえの叱咤に過ぎない。)
マリアのことを言えば、異能と、それに加えて優れた容姿という、天性のものを与えられた存在だ。
4回戦で倒れた、野生の腕自慢選手。
それを努力と言うかは別として、彼が路地裏でのストリートファイトに明け暮れていたことは間違いないところ。
きっと、それなり以上の才能もあるのだろう。
それでも、ベスト8には届かなかった。
もし彼が、「いい家」……とは言わない。「普通の家」に生まれていたなら。
重装備なんて、贅沢は言わない。厚手の服でも、ヘルメットでも、準備できていたら。
もう少しだけ全うに基本を身につけ、周囲と腕を磨きあうことができていたなら。
どうだったろう。
……そんな「もの思い」は、いつものように李老師に見とがめられていて。
「ヒロ君。『野生の腕自慢』は、どこかで腐った者なのよ。家は、普通以上だったかも知れぬ。道場にも、通っていたかも知れぬ。しかし、親兄弟に見放されるほどにグレてしまい、援助も受けられぬ。友人達から絶交されるほどに、暴力を振るってしまった。才はあったかもしれぬが、の。」
「老師。それは私のような武術バカが、みな……とまでは言わぬか。塚原や松岡など、品行方正の部類だ。ともかく、武術バカの多くが通ってきた道かと思います。立ち直りに期待しましょう。」
「そうでしたな、真壁先生。先ほどの彼、大きな拍手を受けておったわ。負けても、誇らしげであった。……あの顔ができるなら、の。」
善良な部類よ、あの若者は。
ぽそりと、李老師はつぶやいていた。
「誇り高き貴族が腐るなど、あってはならない。そういうことですね?」
スヌークが、カラリとした声で発言した。
都合の悪いことは忘れる。いや、克服したからこそ、出た言葉か。
思いやりに欠けるようにも聞こえるが、腐るよりは、ずっとマシなのかもしれない。
準々決勝。
ユルの相手は、刀術使いであった。
それもまさかの、二刀流。
二尺二寸(ぐらいか?)の木太刀と、木の小刀を携えている。
二刀流って、難しいんじゃないか!?と思うのだが。
考えてみれば、ヒュームは忍者刀の二刀流を使うし、アリエルだって双剣使いだ。
それほどマイナーというわけでもないらしい。
「でもね、難しいのよ?」
と、当のアリエルは言う。
「相手に『心得』がない場合には、手数で圧倒できるけれど。武術の心得がある者を相手にする場合、どうしても守備重視にならざるを得ない。そのため、主導権を握りにくくなる」のだそうな。
「それとね、当然だけど腕力が必要。片手剣とソードブレイカーとかなら、話は別だけど。」
アリエルの言葉を踏まえて対戦相手を見直してみると、なるほど、大きな体に重装備。
どうやら、打たれることは覚悟の上。
あるいは、左手の小刀で守備を行い、右手の大刀で打ち込むのであろうか。
その意味では、「片手剣にソードブレイカー」と、戦い方としては似ているのかも知れない。
「二刀流対策など、わざわざ仕込むことは無いからなあ。ユルのやつ、大丈夫かな。」
ライネン先生が呟いている。
なお、武術大会では、相手の装備に合わせて、試合前に武器を交換することが許されている。
互いに相手を見ては、変えたり変えなかったり。
落ち着いたところで、開始となるのだ。
遠く眼下に見えるユルは、ライネン先生の懸念に違わず、少し迷っているように見えた。
「盾で防ぐか、長物の対決にして二刀流をやめさせるか、あるいは普通に戦斧でも良いのでは?そこまで警戒する必要もないでしょう……」
言いさした真壁先生が、言葉を呑んだ。
「そんな流儀が、あるのですか?ライネンさん!」
「いや、あれは……ウォーミングアップや、癖の矯正などの一環としては行いますが……」
「天真会では、一応教えるがの。武芸十八般のひとつ。」
真壁先生を驚かした、ユルの選択。
それは、まさかの二挺斧。
両手にそれぞれ、小振りの斧を携えていた。
相手選手も、目を瞠っている。
観客は大喜びだ。
「お互い、どうするつもりかしら?」
アリエルは首を捻ったが、どうもこうも、なかった。
見慣れぬ武術同士、体格に優れた者同士。
まさかの……と言うべきか、順当に……と言うべきか、乱打戦になった。
観客席が、さらに沸く。
ここまで5つの試合を勝ち残ってきた相手だ。
そう簡単に行くとも思えない……と思ったのだが。
これが意外にも、ユルが終始圧倒していた。
「なるほど。確かに、今日のユルであれば。」
「そうでしたなあ。」
「ちょっと、言葉が足りなすぎる!みんな困ってるじゃない!」
「お、レイナ。すまんすまん。簡単なことだ。迷っている者と腹が据わっている者、勝つのはどちらかという話さ。」
と、説明してくれたものの。
真壁先生のこの言葉では、まだ足りない。
ライネン先生が、嬉しそうな表情を見せながら補足する。
「ユルは、引っ込み思案だと言っただろう?しかし今日のユルは、常に前に出ている。『前に出る』ことをテーマとして、腹を据えていたようだ。この試合で、やっと理解できた。」
「ユル君は、相手がどうであれ、攻め続けることを選んだ。しかし相手選手は、見慣れぬ二挺斧を前に、攻撃と守備のバランス配分に迷った。それが勝負を分けたというわけよ。」
結果を待たずに出した結論ではあるが、それを口にしたのは李老師。外れるわけもない。
絶え間ない攻撃を受け続けた相手選手の腕は下がり、二刀流の構えを維持できなくなり。
そのまま肩に一撃を入れられたところで、セコンドがタオルを投げ入れた。
「結構なことだとは思うが。しかしユルはなぜ、これほど前に。」
解説者としての体裁を取り繕いつつも、ライネン先生の頬は緩みっぱなし。
「大会が成長を促したのかも知れませんよ?若い者にはよくある話でしょう。」
それが、真壁先生の、もっともな感想。
しごくもっともであったがゆえに。
それを聞いた俺は、ユルの思いに気づくのが、遅れた。
準決勝。
相手は、またも両手に武器を持っていた。
鞭だ。「むち」ではなくて「べん」のほう。
「教鞭」や「競馬の鞭」に類するかたちをしている。武器であるから、それよりは頑丈な作りになっているが。
打撃武器の一種であり、それゆえに、鎧の上からでもダメージを与えることができる。
対戦相手は、「双鞭使い」と称される武術家であった。
「……考え抜いてるわね。」
アリエルが、地声で呟く。
「相手の子。あの体格と腕力じゃあ、まだ金属の双鞭は無理よ。普段なら、片手にもう少し長い鞭を装備して、もう片手は盾。それが基本のはず。」
「木製武器でも、そうして悪いことはないはずだよね?」
「盾の重さを嫌ったということさ、ヒロ。だろう、アリエル?」
重さを嫌うという発想は、防具にも現れていた。
『千夜一夜物語』のアラジンが履いているようなズボンに、布製のシャツ。
あれでは、一撃食らうだけでも、致命傷になりかねない。
「そういうこと。これまでの6つの試合を見てれば当然分かることだけど、実力が拮抗してようが何だろうが、今日のユルは前に出てくる。体格差を考えれば、『受ける』ことはできない。『かわす』しかないのよ。」
対戦相手は、女性選手であった。
平均よりはやや大柄ではあるものの、ティナはもちろん、千早よりも小さい。
昨年の準決勝に残った樹・西山と、ほぼ同じぐらいの体格か。
「刀術と似た動きをしてくるってことか。見切って、かわす。そして前に出る。」
その俺の言葉は、周囲に拾われていた。
「なるほどな。レイナ、よく見ておけ。お前が目指すべきスタイルは、あれになる。」
「二刀流ってことじゃないよね、真壁先生?見切りとか、そっちの意味?」
「それにしても、『防具無し』は、大胆すぎない?大怪我になりかねないわよ?」
マリアの言葉は、観客席全体の懸念を代弁するものであった。
女性選手が登場したと言うのに、観客席に巻き起こっていたのは、喝采ではなく悲鳴だった。
やりにくいだろうと思う。ユルは、大丈夫だろうか。
そのユルだが、案外迷わず、武器を選択した。
相手がいわゆる「二刀流」ならば、また二挺斧かと思ったのだが。
「小さな斧と大きな盾」を選択していた。
観客席に、小さな安堵が広がる。
「大戦斧の一撃や、二挺斧の乱打は、無い」と踏んだのだ。
さすがにそんなシーンは、誰も見たくないということだ。
「かわいい子は得だよなあ。」
ティナが吐き捨てる。
何を言っても不適切になりそうなので、あえてみな、発言を控える。
「客よりもお前らに腹立つわ。何か言えよ。」
「分かった分かった。いいからほら、試合が始まるぞ。」
ライネン先生が、どうにかティナをなだめたところで、試合が開始された。
やはりユルは前に出た。猛然と。
相手選手は緩やかに歩を進める。
間合いに入るか入らないかという、その瞬間。
双鞭使いが、素早く、左前方へと、体を滑り込ませた。
左前方。すなわち、ユルの右手側。
振り下ろされてくる、斧へと身を寄せたのだ。
ユルからすれば、意外であったのか。
予想済みでも、相手の方が素早かったのか。
斧が、空を切る。
駆け抜ける、小さな影。
その右手の鞭が、ユルの防具の隙間に打ち込まれた。
駆け抜けつつも、駆け抜け切ることをしない。
その右脚が、ブレーキをかけるかのように、地面を踏みしめた。
左脚が、中段回し蹴りでも放つかのような軌道を描く。
右脚を軸にした……そう、バレエで言う、アティテュードのような姿をとって。
後方に振られた右腕と、前方に振り出された左脚の勢いで、少女がくるりと旋回した。
前に出ていたユルは、完全に後ろを取られる形となり。
高く掲げられた左手の鞭が、その背中をめがけて打ち下ろされる。
あの初撃、かなり効いているはず。ユルは息を詰まらせていた。
そこへ、間髪入れぬ二打目。その打ち込みも、勢いは充分。
「がっ」と、苦しそうな声を発し、ユルが背中をのけぞらせた。
よろめくように、二、三歩前に出る。
「『身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ』、か。」
真壁先生の言葉に、ライネン先生も頷く。
その言葉を待っていたかのように、一拍の間を置いて。
緊張していた会場が、歓喜に爆発した。




