第八十九話 牛の歩み その2
真壁先生が寄って来たのは、当然ながら、ユルよりも隣の大男が気になっていたからである。
俺の用事が終わると同時に、「どうです、おひとつ」と来たものだ。
まるで自重しない。トンボを追いかけるユルと、変わるところがない。
ライネン先生にも、否やのあろうはずはなく。
棒と木製の斧槍による試合が始まった。
これがしかし、模範試合とはなかなか言いづらい内容であって。
千早と真壁先生なら、同じ棒でもあり、何合でも打ち合えるのだが。
ライネン先生と真壁先生の場合、一合で互いの得物が壊れてしまう。
引き分けか……。
そう思ったが、真壁先生はにんまりしていて、ライネン先生は顔を歪めていた。
お互い無言で、再び得物を取って打ち合わせ、また一合で破壊。
今度は、ライネン先生がにんまりしていて、真壁先生の顔は赤くなっていた。
目を凝らしてみれば、確かに微妙な勝敗がそこにはあった。
二人が、また得物を取りに行く。
これは終わりそうにない。
しかしいつしか、斧を得物にする連中が、ライネン先生の周りに集まってきた。
「どうか先生、ご指導を」というわけだ。
真壁先生もライネン先生も、武術師範である。向上心ある未熟者に囲まれては、勝負を諦めざるを得なかった。
しかし、それにしても今日は数が多いな。
夏休みの間、学園の寮は閉鎖されているという事情があるからかもしれない。
行き場の無い少年達の一部が、メル家の鍛錬場に流れ込む。
と、それを目当てにというわけでもないが。
賑わいに引き寄せられて、メルの郎党や他家の若者達も、いつもより余計に集まってくる。
今日は珍しいことに、ノブレスまでいた。
あれ?ご両親も?
と、なれば。挨拶は社交の基本であって。
「初めまして。ノブレス君とは同室の、ヒロ・ド・カレワラと申します。」
「ノブレスの父です。息子からかねがね……。ご一緒するたびに、手柄の機会をいただけて。今日はヒロさんや皆さんに、昇任のお礼をと思いまして。さすがに征北将軍閣下にお目通りするわけにはいきませんが。」
なんと律儀な。ノブレス、少しは見習えよ。……などということを思いつつ。
「いえ、こちらこそ。ノブレス君には何度救われたことか。ボウガンの腕はノービス家の家伝なのですか?」
「いえ、これがお恥ずかしながら。そもそも我がノービス家は……」
変なスイッチ踏んじゃったか。……と思ったのだが。
これが意外と、有意義な話であった。
ノブレスの祖父は、荒河夜戦に参加していた。
メルの郎党ではないので、雁ヶ音城に籠城していたわけでもなく、セザール・ド・メル将軍の突撃部隊に所属していたわけでもない。
ナイトと言えるかどうかも怪しい、つぎはぎ装備のナイトとして、主力部隊に参加。船に乗り込み、夜中に雁ヶ音城の船着場に到着したのだそうな。
そこから向こう岸に渡って本戦に参加するはずが、暗闇の中で道に迷ってしまい、仕方なく雁ヶ音城の城外にて待機。
夜が明けて開戦となるも、王国軍はすぐに勝利を収めた。主力部隊は追撃戦に入っていく。
そんな中、「このままではいかん」と考えたノービス氏、残っていた船に乗り込み、数人の兵を指揮して必死で川を渡る。
で、渡った先にいたのが、ひと晩戦い続けて憔悴しきった征北将軍セザール閣下であったと言うわけ。
大声を上げて郎党を呼び集め、雁ヶ音城にお迎えし、さらに往復しては郎党達を回収し……。
「前夜道に迷い、大戦に参加せざるの不覚悟あるも、将軍の身辺を寧んず。不名誉を補う活躍あり」ということで、「ちょっと昇進」したのだそうな。
この経験から、彼は息子(ノブレスの父)に対して、口を酸っぱくして語るようになった。
「ナイトをやるなら、首脳陣や有力者の側にいないと始まらない。陣のはじっこにいては、体が重い分だけ出遅れるばかりだ。我が家のような貧乏武家は、軽装で、足を鍛えることだ。」
その教えに従ったノブレスの親父さん、レンジャーを名乗るようになった。足を鍛えた。
現代日本で言うならば、クロスカントリーランナーのような技能を持っているとのこと。
その能力が、湖城イース攻囲戦で、活きた。
小隊の一員としてあちこち探るうち、城からひそかに突出していた敵部隊の不意討ちを受けた。
瞬く間に小隊は壊滅。必死に逃げ惑い、どうにか追っ手を振り切って帰還。報告に基づいて王国軍が反撃に出、敵部隊を撃滅。外部との出入り口(物資搬入口)を一つ潰すことができた。
お手柄かと思いきや、小隊長が生きていたのがまずかった(本来ならば、幸いなことなのだが……)。「命令を聞かずに逃亡した」という評価を下されてしまう。
それでも一応の功績と能力はあるということで、斥候部隊に再編入されたノブレスの親父さん。
また同じ目に遭ったが、斥候は逃げてでも情報を持ち帰るのが仕事である。今度はお手柄となった。
功罪2つあわせて、「ちょっと昇進」したのだとか。
この経験から、彼はノブレスに対して、口を酸っぱくして語るようになった。
「何か一つぐらい、身を守れる武術を持っておくことだ。敵を前にして、味方に背を見せて逃げるような恥ずかしい思いは、するもんじゃないぞ。」
結果、ノブレスはガンナーとして活躍している。
つまり、ドゥオモ家のナイト技能や、モンテスキュー家の騎兵技能、ライネン家の斧技能とは異なり、ノービス家には「先祖伝来の技能」が存在しているわけではない。
それでもどうにかノウハウを継承し、累代大戦に参加しては、「ちょっと昇進」する程度でも、必ず手柄を挙げている。
親父さんは、感慨深げであった。
「ノブレスは、学園を卒業したら、十騎長ですか。私は30を越えてからで、今でもその上に行けません。百人隊長でも、十代ならば立派なものです。だらしないとばかり思っていた息子がこうなるとは……。ヒロさん、ありがとうございます。これからも息子をよろしく。」
三代かけて信用を積み上げたからこそ、ノブレスはチャンスをもらえて、出世の可能性が出てきた。
ノービス家の歩みはゆったりしたものだが、それでも。「継続は力」というわけだ。
近くで聞いていたジャック&スヌークも、フリッツまでも、しんみりしていた。
「いいご先祖様じゃねえか。ノブレスのくせに生意気な。」
「僕は2代目。次につなぐ立場か。焦っちゃダメなんだな。」
「それを言ったら、私は初代です。」
「君たちだってもうすぐ十騎長、百人隊長だ。一代で結果を出しつつあるんだよ。胸を張っていい。ノブレスをよろしく頼む。」
ノブレスの親父さんは、フリッツの事情を知らなかった。
責めるわけにはいかないけれど。
「なんだあの音!……ヒロ、君の郎党なんだって?見事なものだね。」
必死で顔と話題を逸らすフリッツ。
視線の先には、防御姿勢から、盾でナイトを吹き飛ばすユルがいた。
「郎党が褒められると、鼻が高いな。……せっかくだし、俺達も参加しようか。」
フリッツを鍛錬の輪に放り込む。
体を動かしている間は、余計なことを考えずに済むから。
今度はユルが、俺の技を真剣に眺めていた。
きらきらした目で。
そのユルも参加する、8月末の武術大会がやってきた。
ユルの名乗りは、「重装騎士」。
その装備は、高級品とまでは言い難いものの、しっかりした鎧。バイクのハーフタイプヘルメットによく似た形の兜。そして、大小2つの盾。まさに「重装」であった。
得物として、木製の片手斧、両手斧、斧槍をそれぞれ複数持ち込んでいる。
17歳以下の部は、128人のトーナメントで行われる。
7回勝てば優勝というわけだが、それもなかなか大変だ。
だがこの装備の数、ユルは本気で上位を狙っているに違いない。
セコンドには、道場の友人がついていた。
「ライネン先生がつかなかったのは、『それもひとつの修行』という意味にござるのか?」
千早が疑念を口にした。
「それもあるが、あるじになるヒロ君の側で、ユルの技を解説しようと思ってな。親馬鹿ならぬ、師匠馬鹿、叔父馬鹿だよ。」
ライネン先生が頭をかく。
「分かりますな、その気持ち。」
「そうよの。」
真壁先生と李老師も、笑顔を見せている。
1回戦。
相手は、槍使いであった。
ユルは、小さな(と言っても、結構大きいが)盾と、斧槍を選択していた。
「片手で長物を!?」
俺の驚愕に、ライネン先生が得たりと笑顔を見せる。
「木製武器ならば、可能だ。それぐらいには鍛えてある。」
先手必勝とばかりに槍を突き出してきた相手選手。
ユルも前へと仕掛けているところであったが……。
左足を前に出した状態で歩みを止め、相手に半身を曝すようにして、盾で槍を受け止めた。
その刹那。
ユルが、右足を一歩、大きく踏み出した。腰を回転させながら。
ユルは、右脇に掻い込むようにして、斧槍をやや短く持っていた。
腕と脇、腰によって固定されていたその長い柄が、腰を軸として右から大きく旋回する。
相手選手は、突き出した槍を、盾に跳ね返されているところであった。
ユルの体重と前に出る圧力を受け、バランスを崩している。
そこへ、横殴りに襲い掛かってくる斧槍が直撃。
吹き飛ばされて、勝負あり。
「足腰から力を伝えていますね。長物を固定するだけの、上半身の筋力もある。そこに、遠心力も利用ですか。」
郎党の活躍である。あるじたる者、しっかりと見届け、評価しなくては。
「錬られているでござるな。」
「理にもかなっています。」
フィリアと千早も、頷いている。
「ライネン先生は、納得しておらぬようだがの。」
「李老師?あ、いえ。ユルは、どちらかと言えば受け身で。これまでならば、前に出ることなく、あの槍を待つようにして受け、それから踏み込んでいたものですから。……やはり、緊張しているのですかな。全く、しょうもない。」
「いや、あそこは待つも前に出るも、大差ないところでしょう。いわば好みの問題。叔父馬鹿と言われるが、厳正に評価されていますな、お師匠殿?」
真壁先生が、フォローを入れていた。
2回戦。
相手選手は、野生の腕自慢であった。
軽装に丸盾と棍棒という、狂戦士スタイル。
ユルは、やや小ぶりな片手斧に、大盾を選択していた。
その盾たるや、タワーシールドと言っても良いぐらいの大きさであった。
「まあ、負ける相手ではないが……。ヒロ君、普段のユルであれば、ああいう相手には『小振りな盾に大振りな戦斧』で、『受けて立ちつつ一撃勝利』を選択するはずなんだがな。」
ライネン先生、始まる前から結果が見えていた。
というか、俺も含めて、周囲はみな見えていた。
レイナにマリア、アンヌと言った「インドア派」を除いて。
試合開始。
受けて立つどころか、ユルは猛然と前に出て行く。
タワーシールド(?)で相手を圧迫し、面で殴りつける。
相手選手は何もできぬまま封殺され、押し倒されて盾の下敷きとなり、勝負あり。
「盾にはああいう使い方もある。教えても来たし、そういう技法を使いこなす腕もあることは確かなんだがなあ……。どうも、らしくない。よほど舞い上がっているようだな、ユルは。」
ライネン先生は、しきりに首を捻っていた。