第八十九話 牛の歩み その1
ダグダ遠征から帰ったマグナムは、案の定ヒーローとなった。
満を持して、内実に相応しい「あるべき評価」を与えられたということだろう。
「こうしてしまえばもう、引き下がれまい」という、フィリアの意向が働いていたことは間違いないけれども……。
とにかく、今のマグナムは、ヒーローである。
そもそも8月は、武術大会のおかげもあって、若手がクローズアップされやすい。
とはいえ今年の武術大会、ここまでは盛り上がりに欠けるところがあったらしい。
昨年の優勝者であるヴァンサンが起こした事件が、ファンの心に影を落としていたから。
ところが大会直前、マグナムという若手のヒーローが誕生した。
「明日のマグナムは、武術大会から飛び出してくるかもしれない!」
全く関係ない、こじつけのキャッチフレーズだが、そんなことはどうでもいいのだ。
せっかくのお祭りだ。屈託なく盛り上がりたいものではないか。
と、言うわけで。今年も武術大会は盛況なのであった。
武術大会の観客には、屈託がない。
「参加しない若手」にも、今年は屈託がない。
大会で職階が上がる者を、羨む必要がないから。
今年は、知り合いだけでも10人を越える若手が、すでに叙任の内示を受けている。
シンノスケ。
これで卒業時の百人隊長が決まった。いつでも村に帰れる。
そう思えればこそ、好きなように進路を選択できるようになった。
カルヴィン。
卒業時の十騎長が決まった。憧れの聖堂騎士になれるのだ。
これで少し落ち着いてくれればいいけれど。
イーサン。
16の春に十騎長。デクスター家の男としては、遅すぎるぐらいだ。
ノブレス。
これまでの功績からすれば、妥当。
だが……十人隊長でも荷が重いだろうに、卒業時に十騎長って……。どうするんだ。
ジョーのブートキャンプに放り込む必要があるんじゃないか?
キルト。
キュビ家の者が、メル家に貢献し、あまつさえ極東で叙任される。やってしまいましたなあ。
いや、冗談じゃなく、卒業後、居場所がないんじゃないの!?
ジャックにスヌーク。
家名はあるが、家柄からすると、卒業時は百人隊長かもしれない。
サラ。
順当。「侍衛」のティナは、もうひとつふたつ、手柄を立てる必要がある。それが、「家格」の差である。王国の住民は、「家格による扱いの差」を、当然として受け止めているみたいだけど。
学園の外でも、セルジュが十騎長に、ドメニコとセイミが十人隊長になることが決まった。
これまた順当としか、言い様がない。
なお余談だが、セルジュとダミアン、ほか数人の郎党は、メル家内部での仕事を得て、しばらく極東にとどまることとなった。
大盤振る舞いのようにも見えるが、そうでもないのだ。
ここのところ、軍功の機会が増えている。
それが意味するところは、少々不吉ではあるのだが。
とにかく、みな屈託がない。
……フリッツを除いて。
フリッツは、まだ功績が足りないのだ。
ファンゾ平定は、メル家の私事ゆえ、征北大将軍府に対する貢献としては、評価されない。
(内部評価のポイントには、なっているけれど。)
地道に対外活動をこなすこと2年半、さらに聖神教内部調査で活躍したシンノスケ&カルヴィンや、横領事件に貢献したジャック&スヌークよりも、現時点では評価が低い。
フリッツ・ヨゼフ・ベッケンバウアー。
王族の流れを汲む、ベッケンバウアー家の四男坊。現在の立場は、メル家の寄騎。
家格が高すぎて、メル家の郎党からすると、少し会釈をする必要がある立場。
そもそも寄騎と郎党自体が、そういうものだけど。
非常に乱暴な喩えだが、現代日本的に言うならば、郎党は会社の従業員。寄騎は協力企業の社長。と、そんな関係にある。
従業員には新入社員から部長級までがあり、協力企業にも大小がある。
郎党・寄騎も同じこと。
たとえば、寄騎・佐久間知政は、南ファンゾ全体の旗頭ゆえ、1000人以上を動員できる。
一方で、寄騎・フリッツの動員力は、彼自身と従卒のデニス、2人である。下っ端の郎党と変わらない。
「ドメニコのようになりたい」。
それが、フリッツの目標だ。
ドメニコは、郎党ながら領主である。100人ぐらいは優に動員できる立場だ。煩雑になるので触れてこなかったが、これまでも戦場に5~10人の精兵を連れてきている。
そのフリッツが、へこんでいる。
そりゃそうだ。周りがみな、叙任されているんだもの。
メル家の郎党連中に言わせれば、「何が文句あるのか、分からない」であろう。
王族の流れを汲むフリッツの位階は、正六位上。
俺のふたつ上、フィリアのわずかひとつ下。軍人で言うならば、千騎長と同格。これが、家格の高さである。
「いいじゃないですか。それほどの位階をお持ちなのですから。」ということになる。
しかし、だ。
イーサンやサラ、セイミにレイナを見れば分かるのだが、家格が高い者は、職階も上がりやすい。
それなのにフリッツの職階が留め置かれたということは。
そう。
「お前、働き悪すぎ。」と言われているに等しいのである。
酷といえば酷だ。サラやセイミは、「100人近くを連れてきた」ことからして、功績とされるのだから。「戦いは数だよ」だから、当然と言えば当然ではあるけれど。
紋章官であるフリッツの仕事は、戦場での、いわば交通整理。多くの家が入り乱れる戦場こそが、彼の活躍の場だ。
しかし悲しいかな、極東は、大戦でもない限り、「ほとんどみなメル家。進退の呼吸も息ピッタリ」なので、紋章官に頼る必要が小さい。
他には、今回ならば、ダグダ諸豪の紋章と家の歴史を記録に留めることなども、彼の仕事。
これは纏めて提出した時点で功績となる。
ファンゾ平定の功績は表立ったものではない、と先ほどは述べたけれど。
「ファンゾ百人衆の資料を提出したこと」は、征北大将軍府から見ても、功績とされている。
ダグダの資料も提出すれば、間違いなく職階が上がるはず。
おそらく、秋の評定には間に合うであろう。
それが分かってないのか、分かってはいるけれど、内示が遅れるのがつらいのか。
それとも、武功が欲しいのか。
とにかく、切ない思いをしているフリッツではあるが。
貴族は、紳士は、愚痴を吐くことが、基本的には許されない。
「それはどうなんだろうね?」(おう、そんな会話を続けるなら、お前との付き合いを考えるからな)と言われてしまう。
心で泣いていても、顔は笑顔で、やせ我慢。武士は食わねど高楊枝。
それが貴族のつらいところ。
痛々しい笑顔を見せて周囲を祝福するフリッツ。
知らぬ振りして笑顔で応える仲間……と、メル家の首脳陣。
おそらくは、考えがあってのことだとは思う。
フリッツ自身のためか、ベッケンバウアー家との関係があるのか。
それでも、フリッツはまだ恵まれているほうなのだ。
ダグダ遠征から帰って来て、メル館の鍛錬場でユル少年と顔合わせをした俺は、そう思わざるを得なかった。
ユル・ライネン、15歳。
学園の斧師範、ライネン先生の兄の子。次男坊だが、姉がいるので3番目。
ライネン先生の甥っ子らしく、とにかくデカイ。
185cmはある。そして、マグナムよりも、分厚い。
説法師ゆえ、パワーを気にせずスピードを重視しているマグナム。その見た目は、ラグビーのバックスである。
これに対して、ユルは純粋なパワータイプ。柔道選手・レスラーといった趣。ラグビーならプロップだ。ガッチリ鍛えられた筋肉の上に、薄く脂肪が乗っている。
「容貌魁偉」と評してみようかと考えて、思いとどまった。
と、言うのも。
王国に飛ばされて以来、初めてではないかと思う。
ここまで「あどけない」顔の少年に出会ったのは。
王国の少年達は、半ば大人である。何らか、責任を伴う仕事を経験している。
俺にしてもそうだが、十代半ばになる前に、「仕事として、人を殺した・殺させた」者も多い。
どうしたって、多少なりとも、緊張感や苦味といったものが顔に現れざるを得ないのだ。
俺はそういうのが足りないみたいだけど。千早や学園長に、常々「気合を入れよ」と、どやされているところからすると。
が、目の前のユル少年。
澄み切った目に、赤い頬。俺が鍛錬場に入った時には、そこらを舞うトンボに手を伸ばしていた。
その姿、天真会のシンタと、まるで変わらない。
鍛え抜かれた魁偉な「体格」と比較して、このアンバランスさ。
「ユル」という名前も込みで、「ゆるキャラ」みたいに見えて仕方ないのだ。
日本ならば、これはこれで、ギリギリ年相応と言えなくもない。「健全なスポーツ少年」そのものだ。
だが、ここは王国。
こういうタイプは、「しゃんとせい!」と言われてしまう。
で、言われれば「しゅんとしてしまう」タイプなんだろうなあ。そこで反発すれば、まだしも「よろしい!その意気である!」(学園長並感)って言ってもらえるのに。
それはともかく。
見るからに、素直で善良。単純で誠実。
生まれながらの王国民ではない俺からすれば、「感じの良い少年だ」という思いの方が、上回る。
と、そんな感情が伝わったのであろうか。
「どうだろう、ヒロ君。」
隣に立っていた、介添えのライネン先生の声は、期待に満ちていた。
「ええ。……ユル君。私が学園を卒業した後、カレワラ家に来てもらえるか?郎党扱いで。」
「はい?武術大会で結果を出したら、と聞いていたのですが。」
この体格にしては、声もやや高い。ますますあどけなさが強調されてしまうわな、これじゃ。
「ライネン先生から、以前、『しっかり仕込んだ』とのお話を伺ったからね。まあそれに……見ただけでも、分かるよ。」
ライネン先生が、ため息をついた。
「ヒロ君、そこなんだよ。年相応以上には、仕込んでいる。相手の実力の目利きにしても、できて良いぐらいの腕になっているのだが、どうも鈍くて。」
様子を見ていた真壁先生が、のっそりと近づいてきた。
「武術大会に出場されますか。……失礼、塚原の兄弟子で、こちらの責任者をしています、真壁です。いや、ユル君ですか、彼なら相当の結果を出せるでしょう。」
「これはご丁寧に。学園で斧の師範をしております、ライネンです。ええ、腕は悪くないのですが、何せこのユルは、勝負根性とか『けれん』とか、そういうものが理解できないのですよ。」
と、ここまで会話が進んで、事態をやっと理解したらしい。
「叔父さん!俺、就職決まったの!?」
「ああ、そうだぞ、ユル。ヒロ君、いやカレワラ様に、お礼を言いなさい。」
「ありがとうございます!一生懸命働きます!」
「よろしく頼む。今度、正式に挨拶に伺うよ。……ただ、俺が卒業するまでは、家で準備をしておいて欲しい。ライネン先生に鍛えてもらってくれ。」
「どれぐらい待つのですか?」
「ヒロはいま、学園の2年生だったな。すると再来年の4月になるか。」
と、その真壁先生の言葉を聞いたユルが、しゃがみこんだ。
「8月、9月、10月、11月……」
地面に、指で数字を書き始める。
「1月、2月……」
おい、せめてそこは12を一気に足すぐらいのことは……
「21ヶ月ですか!あれ?1年と何ヶ月だ?」
OK。算数なんて、小さなことだ。
郎党は心映えだ。それに、君ほどの腕があれば。
でも、ちょっと待て。お給料のことぐらいは、分かるよな?
「郎党になってからの給金は、当座、月に小金貨1枚でいいか?」
「金貨なんて、もらっていいんですか!!あれ、小金貨1枚って、小銀貨の……1、2、3、4、5……」
「ヒロ君、どうかよろしくお願いする!!」
ライネン先生が、深々と頭を下げた。
「ええ、こちらこそ!……給金の管理については、また話し合いの機会を、お願いします!」