第八十八話 南道十日記 その9
開けたところでグリフォンから降り、声のする方へと駆ける。
尻餅をついた男と目が合った。
「お助け!」
男と俺達の間に、細身に見える背中が立っていて。
その右手が、振り下ろされた。
再び悲鳴が上がり、男が転がり回る。
膝に、釘のようなものが刺さっていた。
「鑚」。あるいは、そのものずばり、「釘」とも呼ばれる、飛び道具だ。
これでもう、賊は逃げられない。
「それまでです、アランさん。あとは、軍にお任せを。」
「私が、決着をつけます。」
こちらを見ようとせず、アランが言葉だけを返してきた。
「させません。」
申し向けて、朝倉に霊気を吹き上げさせる。
ぶん殴ってでも止めるという意思を、伝える。
分かってるだろ、アラン。こっちもいい加減な気持ちじゃない。
振り返らざるを得なくなったアランの顔は、正視に堪えぬほどに歪んでいた。
「マグナム。賊を。」
アランの腕は、俺やマグナムよりもやや劣る。
同時に2人を相手取ることは、絶対にできない。
俺がアランをマークしている間に、マグナムが賊を確保してしまえば良いのだ。
近づくマグナムの足元に、賊の頭目がありとあらゆる「お宝」を投げて寄越す。
宝石やら、金貨やら。
「見逃してください。どうか、これで。足りなければ後日また、お届けいたしま……」
俺と睨みあったまま、アランが右肘を小さく後ろに振る。
刺さろうとする鑽を、マグナムの早撃ちが叩き落した。
「ありがとうございます!」
「黙れ。」
霊気の弾丸が、賊を掠める。
地面に落ちている金貨が、跳ね上がった。
マグナムも、冷静さを失いかけていた。
賊の見苦しさ、生き汚さ。14歳の少年には、それはあまりに醜く映る。
金貨や宝石という「実弾」を見せてしまったのも、良くない。
それを奪われた人を、ありありと想像させてしまう。
このままでは、二人でアランを止めるつもりが、俺一人でアランとマグナムの二人を止めることになりかねない。
やれるのか?
臍を固めつつあったその時、思わぬ援護が飛んできた。
「アラン兄ちゃん、何を怯えてるんだ。あんなヤツ、俺でも勝てるぞ?」
ヴァガンだ。
その間延びした声に、アランの肩が、ぎくりと波打った。
「怯え、ですか。」
ヴァガンに顔を向けるべく、必死で感情を抑えにかかるアラン。
顔から「歪み」が、おかしな「凝り」が、抜け落ちていった。
「縄張り争いに負けそうになってる獣と、同じ顔してたぞ。」
「アラン、お主の負けだの、これは。しかし、ヴァガンにはかなわぬのー。」
李老師も到着した。
もう、大丈夫だ。
「アラン、見てみい。あの男の情けなさを。……マグナム君も、そんなつまらぬ男に手を汚すことはあるまい。生け捕りにして持ち帰りなさい。ああそうそう、右のふくらはぎにナイフを隠し持っとるゆえ、気をつけての。」
マグナムが、賊を一発殴りつけた。
気絶させたところでナイフを取り上げ、縛り上げ、馬の背中に乗せる。
「確かに、この男が頭目です。しかし、何か違うようにも見えます。子供の頃は、とにかく大きく恐ろしく見えていたのに。」
「時の流れは残酷よ。身につまされるわ。」
どの口が言いますか。
「いや、そうではなく、の?時流に乗っている時と、そこから転がり落ちる時と。その落差が残酷だということよ。誰しも心せねばならぬことであろ?ともかく、帰るとしようぞ。」
「そうだな。この辺は森もあって気分いいけど、そろそろみんなの顔も見たくなったぞ。」
「そうですね、ヴァガン。……帰りましょう。天真会に。」
激情が、糸目の奥で眠りについた。
いつものアランが、帰って来た。
老師とマグナムと、3人で頷く。
ダグダの森を吹く風は、涼しかった。
もうすぐ、秋だ。
なんて感慨に浸る間もなく、帰陣してからが大忙しであって。
マグナムの功績は、随分高く評価される運びとなった。
まず、本隊と合流後も、このまま大隊長格として新都に帰還するよう、命が下った。
「凱旋」ではないけれど。目立つところを歩かせようと、そういう意図に違いない。
そして、何やら聞き取り……と言うか、インタビューだな、あれ。
ともかく聞き取りが行われ、瓦版として軍内に公表された。
同じものが、カンヌ州と新都に、配られると言う。
いわく。
「去る8月23日。カンヌ州出身、14歳のマグナム少年が、30年来カンヌ州北西部を悩ませていた山賊の頭目を生け捕った。頭目の逃亡を察知したマグナム少年は、単騎突撃。間道に逃げた賊を間一髪馬から叩き落し、さらに止めを刺そうとするところを、追いついた天真会の出家・新都支部長アラン氏の説得により、思いとどまった。盗賊を憎むこと深く、戦機を見るに敏。厳なれど酷ならず、よく諫言を容れる冷静さを備えたその人柄に、賞賛の声は高い。征北大将軍府は、マグナム君に十人隊長の職階を与えることを決定。秋の人事考課で、正式に発令される。学園生徒であるマグナム君は、これで16歳の春に百人隊長に昇格することが確定した。庶民から身を起こした、若き英雄の誕生である。」
ディス・イズ・ザ・提灯記事。
マグナムを通じた、軍のイメージアップ。
微妙に捏造されてるし。だいたい、評価すべきは、大隊をソツなく率いたことなんだけど。
まあ、大向こうへの受けを考えた結果であろう。
十代半ば(美少年)。単騎駆けの一騎討ち。地元を救った。相手は盗賊。庶民。百人隊長。
キーワードだけでお腹いっぱい。
子供からお年寄りまで、誰もが熱狂できる物語。
しかし、なるほど。
レイナが宣撫に同行するのを拒否したわけだ。
これを書かされるなんて、彼女には耐え難いに違いないもの。
仮に同行していれば、書くことを拒否しても、「レイナが同行していた」、「記事には署名が無い」という2つの事実を強調されてしまうに決まっている。
それにしても。
つい3ヶ月前、俺はアレックス様とソフィア様に、進言した。
「マグナムは、明るい道を歩むべき人材かと思います。堂々たる容貌、知性、善良な性格。庶民の代表として、軍内部で真っ直ぐに表街道を行くべきではないかと。間者を捕らえたであるとか、その、内務・防諜という方向で叙任されるのではなく、武功・軍功で叙任されるべきではないかと。ちょっとおまけしてもらっての叙任ではなく、誰もが認める堂々たる叙任を。そう考えます。」と。
そう進言したことは確かだけど。
ここまでは、考えつかなかった。
「演習において大隊を指揮し、ダグダの平定に貢献した」という功績で、マグナムを叙任する。
それが、俺のイメージしていた流れだ。
ソフィア様は、常々「徹底しなさい」ということを口にされる。
フィリアとアレックス様も、その感性は共有している。
「徹底」という言葉は、重い。
方針が徹底された結果、マグナムは鮮烈デビューを飾った。
盗賊は徹底して殲滅され、豪族は徹底して押さえ込まれ。
アランと老師の願いどおり、ダグダは生まれ変わった。
8月25日、全部隊が高岡城に帰還。
南道宣撫作戦、そしてダグダ遠征が、ここに終了した。




