第八十八話 南道十日記 その8
盆地の日の出は、遅い。
早発ちした俺たちは、後詰めになるどころか、開戦前に間に合ってしまった。
「オラオラ」を迎え入れた李紘が、苦笑を見せている。
先遣部隊の指揮官に、断りを入れた。
右翼、異能者大隊の後ろに回ると。
戦力比を考えれば、左翼の混成大隊に、「参加する」のが良いのかもしれない。
ただ、そちらには、ファンゾ者の集団がいる。メル本宗家に近いポジションにある俺が参加すると、大将株に仰がれてしまう。
そうして大集団を率いる十騎長が現れれば、学園勢も「憚り」を感じるだろう。それが「またアイツかよ」ということになれば、微妙な空気が流れる。
初陣の者も多い中、この5日で経験を積んで、集団としてのまとまりを得てきたところだ。不協和音を引き起こすべきではない。与しやすい相手とはいえ、戦は戦。命がけなのだから。
異能者大隊のマグナムにも、連絡を入れに行く。
すでに190cmを越えたであろうマグナムが、悠々と配置の指示を出している姿は、なかなかの見ものであった。
アランもいた。
敵本陣を、細めた糸目で、じっと見つめている。
まだ、落ち着きを取り戻してはいなかったか。
……今のアランを、ほうってはおけない。
本能的にそう感じたから、問い質した。
「アランさん、何か問題でも?」
「敵の中枢に注意を払うのは、当然でしょう?」
突っかかってきた。やっぱり、余裕を失っている。
「アランさんが戦う必要は、もうありませんよ?」
アランが、ちらりと俺の後方に目をやった。
「老師から、聞かれましたか。ならば、隠しても仕方ありませんね。むこうの頭目ですが、『まとまって一丸で戦おう』などと考える、殊勝な男ではありません。それがこうして、堂々と本陣を張っている。どうにも怪しい。」
「いずれにせよ、今日で終わります。アランさんが戦う必要はありません。」
もう一度、同じ言葉を、叩きつけた。
「あの男は、逃すわけにはいかない。」
会話が成立しない。
成立していないけれど、通じてはいる。
ああ、これも、そうなのか。
「分かるような、分からぬような。」
アランが、噴き出した。
「そこでそれを口にしますか。……いや、参った。適切な用法です。」
「アラン、もう良かろう。ダグダは生まれ変わる。カンヌやファンゾ同様、豊かになる。もう、お主のような思いをする子供は、出なくなる。それで十分であろ?お主が手を下す必要はない。」
「老師……。そうですね。今日で、終わる。でも、私は。私の罪は、消えない。」
「お主には、罪は無い。ヒロ君に、そう教えられたよ。山に住んでいたヴァガンは人を傷つけたが、お主はその罪を問うたか?同じ事であろうが。人間扱いされず社会から弾き出されていた者に、人の世の道義を問うのは、筋違いではないか。」
老師の顔は、苦しげに歪んでいた。
「去るだの死ぬだの、考えてはならぬ。忘れよ。今日限りで。いや、忘れてくれ、アラン。……お主がそれでは、私など、どうすれば良いのだ。」
老師は、ズルをした。
自分の命を人質に取って、自責という選択肢を、アランから奪い取っていた。
時々やるんだよな。「深遠」を覗き込みそうになっている者を、無理に誤魔化してでも引き戻すってことを。……みんな、それで助かってるんだけどさ。
「老師の命とあらば。」
下を向いていたアランが、一転、顔を上げた。
「ご安心を。そうと決まれば、何をする必要もなさそうですね。ここに留まっています。……老師、ヒロさん。後ろから、呼ばれていますよ?」
ジョーが、すいすいと歩んでくるところであった。
ずんと重心が定まっているのに、足運びは滑らかで、軽やか。
背筋もピシャリと伸びている。身体がふた周りぐらい、大きく見える。
なにやらオーラのようなものまで漂っていて……、そう、まさに、精気横溢。
これが、戦場におけるジョーの姿というわけか。
つい昨夜は、セクハラを糾弾される冴えないおっさんだったのに。何このギャップ。
「分かるかい?この感じ。覚えとくと良い。そろそろ始まるよ?早く後ろに下がらないと。」
ふだんと同じ口調なのに、腹の底まで言葉が響く。
これが大音声の号令であったら、どこまで届くのか。
まともに相手をするとなると、こちらも気合を入れずにはいられない。
それがちょっと億劫だったから、アランの方に向き直る。
「では。くれぐれも自重してくださいね、アランさん?」
「ええ。それでは。」
ジョーを意識しないように、馬を飛ばして後方の高台に場所を移す。
振り返った直後、盗賊達が大声をあげて突撃を開始した。
中央のメル郎党衆が、賊の集団を柔らかく受け止める。
少し、食い込まれていた。
と、言うよりはこれ。食い込ませたのか。
ぶつかったところから、意外と前に出る「ことができてしまった」盗賊達。イケると思ったか、大喚声を上げていたのだが。
メル陣の、左右の備えがじわりと前に出た直後、その声は阿鼻叫喚に変わっていった。
台風に吹かれた稲のように、人が次々と倒れていく。
賊が後ろに下がろうとする勢いと、中央メル隊の左右が前に出る速さとの競走が始まった。
どうにか中央の部隊をかわした敵が、広く逃げ惑い始めた直後。
ジョーが、苛立たしげな声をあげた。
「左!」
左翼の混成部隊だけが、敵を「食う」勢いがやや弱い。
もともと年少者が多いところではあるから、仕方無いと言えば仕方無いのだが。
あまり無様では、学園の沽券に関わる。
それでも、時間が経つに従って、前に出る勢いがつき始めた。
よくよく眺めてみると、小部隊が代わる代わる吶喊しているようだ。
「車懸かりとは、若いのう。」
車懸かり。あるいは、リターンダッシュ。
余程鍛え抜かれていない限り、「本職」には通じない。
しのがれて、体力を失ったところで一気に押されて終わり、ではある。
しかし相手は、ただの盗賊。すでに敗勢でもあった。無理無茶無謀が通ずる相手。
急造部隊のため、統率が取り切れていない若手だ。付き合いが深い仲間同士で小さな部隊を組んでは、勝手に攻撃を加えているだけ。
意図せぬ車懸かりに過ぎないが、今回ばかりは有効に機能していた。
未熟という意味もあったろうが、実際に、「若い」。良くぞあれだけ走れるものだと思う。
左翼も安心だ。さて、敵本陣は?
と、そちらに目を向けたところ。
何と、芸も無く再び突撃。
これはいただけない。前を見ていないのか?
メル郎党衆も、戦況を理解した。左側にやや手厚く兵を配して、再び包囲殲滅にかかる。
この第二波を打ち破れば、戦は終わり。死傷者が少なければ良いのだが……。
と、楽観視し始めた、その時。
「アラン!」
老師の声に右翼を見る。
敵本陣方向へと馬を飛ばす、アランの姿が目に入った。
老師が馬腹を蹴る。
俺もすぐさま続きたいところだが……。
「右翼の異能者大隊に合流する!」
このひと声をかけてから行動するのが、隊長職。
爛々と目を輝かせたジョーが、馬を寄せてくる。
「ヒロ君。アランさんは、どうしたの?」
「敵本陣をつぶさに観察していたようです。敵の大将が、逃げ出したと察知したのでしょう。」
因縁がある相手だから行動を予測できたとは、説明できない。
「老師もアレだけど、天真会ってのはすごいんだねえ。……ともかく、大将が見つかった場合について、密命を受けているんだ。マグナム君を単騎行動させ、大将に向かわせよと。異能者大隊の部隊指揮は、僕が代行する。ヒロ君、手伝ってあげてくれるか?」
「密命があるという証拠は?」
「そう来なくちゃね。はいこれ、命令書。」
「了解です。」
異能者大隊の本陣は、戦闘中なりの忙しさはあったものの、静かなものであった。
すでに戦は終わりかけているのだから、当然か。
そこに騒がしい一団が乗り付けてきたというわけで、まずは多少、驚かれた。
「マグナム君、指揮を代われ。これが命令書だ。」
そこに開口一番、これだよ。ジョーさんさあ。
異能者大隊も、20日の付き合いを経て、ひとつの集団となっている。
外から来たおっさんの切り口上に、反発が広がった。
戦争映画であるよなあ。「参謀本部から政治将校がやって来て、いい感じに輝き始めている若手将校から指揮権を奪っちゃう」みたいな。
そういう政治将校って、大概はエリート然とした痩身メガネだったりして、まるで重みが足りなかったりするもんだけど……。
「中央本陣に近い側に、もたつきがある。前に押し出すように伝えろ。そちらが出た後、ここにいる全員で、突出してきた敵中央に逆撃をかける。僕に続け。それで仕事は終わる。手柄のチャンスだぞ、諸君。」
精気で体をぱんぱんに膨らませながら、確信を持った口調で語りかけるジョーに、猛者ぞろいの異能者達も気を呑まれていた。
「お、伝えるまでもなく、前に出始めたか。精鋭部隊はこれが良い。何だ諸君、仲間の動きぐらい感じ取ってやれ。全員騎乗!突撃準備!」
そんな声を背中に感じつつ、俺は俺で指示に追われていた。
「ヴァガン!『翼』に俺と二人で乗ってくれ。……マグナムは『嘴』に。アランさんを追う。」
「どういうことだ、ヒロ?」
政治だ。
が、今言うべきことではないだろう。事が終われば、言うまでも無く、気づく。マグナムなら。
「アランさんが、頭目の逃亡を察知した。単騎駆けは危険だから、俺達が付く。」
「カンヌを荒らすヤツの親玉か。逃がすかよ。」
突撃の号令と同時に、二頭のグリフォンも空へと飛び上がる。
すぐと、李老師の姿が目に入った。その先を、アランが駆けている。
両軍の動きとはまるで違う方向を目指していたので、上空からは一目瞭然。
騎馬のアランが、木々に覆われた、分かりにくい間道に入っていった。
軍として、あらかじめ地図を作っていたとしても、この間道に気づけたか。気づいても、マークすることができたか。怪しいところだ。
出身者ならではの、土地勘。あるいは、相手の手口を知り尽くした者ならではの、直観。
最後の詰めは、そうした微妙な「あや」で決まるものなのか。
ダグダの盗賊は、己が生み出したものに、滅ぼされようとしている。
「ヒロ、アランさんを止めないと。やっぱ良くないぜ。俺も同じ庶民だから、気持ちは分かるけどさ。あんまやり過ぎると、その、何だ?家に帰りにくくなっちまうんじゃないか?こういうのは、軍人の仕事だろ?」
「家に帰りにくくなる」か。
何か一番、しっくりくるな。その感じ。
「そうだな、マグナム。止めるぞ。」
ちょうど、下から悲鳴が上がっていたところだった。