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第八十八話 南道十日記 その3


 先発隊が出発した2日後、8月19日の朝。

 後から来る本隊との連絡を務めるための小部隊が、「南の大道」に向けて出発した。


 隊長は、俺。

 千人隊長の職階を持つジョーが、「今回、僕はあくまで採点官だから。」との理由で隊長職を固辞したからだ。

 メンバーは、イーサン、エリザ、フリッツ……と言った文官の子弟や、背広組ばかり。

 ダグダ盆地の治安を考えると一抹の不安を感じないでもなかったが、出発前日の18日、強力な助っ人が現れた。

 天真会極東総本部長、(チョウ)(リー)老師、その人である。

 

 李老師がいてくれれば、百人力だ。

 千早以上の腕前があるから……という以上に、この人が滞在している部隊が奇襲を受けるところなど、想像もできない。

 なにか天啓のようなものを得て、事前に察知してしまう、そういう「不思議パワー」を持っているに違いないと思わせるところがある。



 「老師、留守は大丈夫なのですか?」


 何かあった時のために、これまで新都にはアランか老師、どちらかは必ず残るようにしていたのだ。ロータスの異能は、女性には効かないから。

 

 「(シァオ)が、だいぶ腕を上げてきているゆえ。任せてきた。」


 「それほどの進境ですか。」


 「まず、安心だの。……ロータスに食われはしないか、そっちは心配だが。まあ、良かろう。童貞でもないし。」


 (シァオ)(ファン)、16歳。

 塚原先生や真壁先生の若い頃のように、よく遊びよく鍛える、充実した日々を送っているようだ。

 


 「しかし、アランとはすれ違ってしまったか。」


 そんなことを口にしつつ、老師が俺の目を覗き込む。


 「心配だと感じましたが、ヒュームやマグナム、ほか数人に、見ておいてくれるよう頼みました。朝倉も、大丈夫だと言っています。」


 「半分も生きていない子供に、お守りをされての出陣かよ。ま、あの二人が見てくれているなら、とりあえずは安心か。しかし、ずいぶん早くコース家を片付けたのー。ワシもメル家の武威を甘く見ておったようだ。」


 軍の機密だが、李老師に隠しても仕方無い。どうせすぐに、看破してしまうだろう。

 そういうわけで、話してしまった。

 敵が、堰を作ってはめようとしていたこと、一同が激怒したこと、で、俺が堰を切ったこと。


 「コース家め、虎の尾を踏み抜きよったか。ヒロ君も、『清濁併せ呑む』の意味が分かり始めたようで、何より。」


 味方の兵の犠牲を抑え、攻城で市民に犠牲を出さないための、残酷とも思える作戦。

 そして、己の所業に口を噤んで、明日の繁栄を建設していく覚悟。

 なるほどそれは、「清濁併せ呑む」ってことなのかもしれない。

 まだまだ甘いし、小さな話だけど。


 「そのことで、老師。ひとつ伺いたいことがあるのです。『ツキ』というものについて、どう思われますか?そういうものがあるのか、ないのか。『ツイている人、いない人』というものが、あるのかどうか。」


 レオの話をした。彼に対する、ジョーの評価とエリザの評価も。

 その流れのまま、老師を病室に案内して、レオを見てもらう。


 「レオ、こちらは天真会の極東総本部長、(チョウ)(リー)老師だ。千早や真壁先生レベルの、達人だぞ。」  

 

 「初めまして。そのう……。」


 まあ、何を言っていいか、困るよな。

 

 「ふむ。肉が盛り上がってきているの。レオ君。大丈夫、治るぞ。」


 「老師が言うからには、間違いない。レオ、良かったな。そうだ、この手紙。一通は、俺からの推薦状だ。エリザさんから辞令を貰った先で、必要なら使え。もう一通は、義手を作ってくれる工房の地図だ。注文はこっちでしておいたから、好きなように要望を伝えてくれ。どんな無茶振りでも、きっとかなえてくれるから。……俺は、明日発つ。レオも数日で、後送だろう?次に会うときは、新都だな。」


 「大隊長殿、ご武運を!」


 「ん。レオも。」

 

 あまり長居して、負担をかけてもいけない。病室を出て、李老師に尋ねた。


 「どうでしょう。彼は。」


 「素直で良い子だの。大人しく見えるが、意気に感じて、体を張った。なかなかできるものではない。」


 「ええ、命の恩人です。」

 

 「禍福はあざなえる縄の如し。」


 「はい?あの、幸運もあれば不運もある、ですか?」


 「しかもそれが、複雑に関連しあっている。前の幸運が次の不運につながり、それがまた後の幸運につながる。それだけではない。幸運と見えるものが、見方を変えれば不運だということも、ある。」


 ヒロ君。

 俺にかけられた老師の声は、厳かであった。


 「私は、『ツキ』を否定はしない。だが、それを意識することもせぬよ。天地の働きは玄妙、そこからつむぎ出される運やツキというものもまた、幽遠。ちっぽけな人の目では、その動きを見通せるものではないと思う。」


 ふっと、老師が目を伏せた。

 力なく寂しげな姿。

 この人を「老人」だと思ったのは、これが初めてだった。

 

 と、そんな気配に反発したか。

 いつものように、優しくも力強いまなざしに戻った老師が、物柔らかに語りかけてきた。


 「そんな不確かなものより、お主らは確かなものを知っておるであろ?お互いに命を助け合い、感謝と尊敬の念を抱きあって。中隊の諸君も、その輪に加わっておる。広く深く張られた、根っこではないか。とても引っこ抜いたり千切ったりできるものでは、ない。」


 ほれ、そこにも。

 そう言った老師の視線の先には、ノブレスがいた。

 病室棟の入り口で、うろうろしている。


 「どうした?」

 

 「いや、心配だし、レオのお見舞いに行きたいんだけど。僕のことまで、命の恩人だって言って泣いてたらしいから、照れくさくて。」


 「行ってやれよ。もう数日で、新都に後送だしさ。」

  

 「あ、うん。じゃあ、そうするよ。」

 

 意を決して数歩歩いたノブレスが、俺たちの方を振り向いた。


 「あれで、良かったんだよね。」


 「ああ、ノブレスのおかげで、助けられたんだ。これまでも、みんなが助けられてる。」


 「そう思いたいけどさ。やっぱまだ、震えが止まらないよ。さっき、試しに矢場に出たけど。震えてても当たるんだから、嫌になる。……三芳のご当主に、相談してみようかな。」


 三芳家の当主。

 滝田長政の婚約者・さくらの父親で、ファンゾ百人衆の一人。

 弓の名手で、メンタル面でノブレスの師匠と言える人物である。


 「それよ、ノブレス君。ひとり悩んで埒が明かぬ時は、動いてみること。そして、頼れる者と話をすることよ。分かってきておるのー。」

 

 「ありがとうございます、李老師。」


 「それでも気が晴れねば、『夜光杯』にでも連れて行こうぞ?」


 「本当ですか!?でも、『夜光杯』は敷居が高くて。せっかくなら、立花伯爵に連れて行ってもらったお店のほうが……。」


 「これはあつかましいのー。が、そうこなくては。なんなら、もっと良いことをしてくれるお店のほうが良いかな?」


 「本当ですか!?」


 現金なヤツだ。

 

 「約束するから、ほれ、見舞いに行ってやりなさい。」

 

 「ありがとうございます!では!」

 

 ああもうノブレス、病棟なんだから駆け込むな!

 

 「若い男が、煮詰まったような顔をしておる時は、女に限る。次点で、運動だの。ヒロ君も覚えておくと良い。」


 「若いと言って良いか分かりませんが、アランさんも相当煮詰まったような雰囲気でしたが。」


 「あれの精神年齢は、実年齢から10歳引いて計算するとちょうど良いのよ。知恵が回る上に腹黒いゆえ、つい年かさに見積もってしまいがちになるがのー。しかし、それほどであったか?」


 「今になってみると、『雑草は、畑の中に生えていては、迷惑ですよね。やはり。』という言葉が、ひっかかります。」


 「これは煮詰まるどころか、煮こごりになりつつあるの。出発は明朝であったか。間に合えば良いが。」


 「大丈夫だと言ってるだろ?あんたが信用しないでどうするんだ。」


 かたかたと揺れる朝倉の、その言葉を李老師に伝えた。

 

 「これは!少々恥ずかしいところをお見せしたの、朝倉殿。」

 

 「気にすることはないさ。家族って、そういうもんだろ?……ヒロ、伝えなくていい。そこのお人には、伝わってる。」



 出発したのは、そんなやり取りがあった翌朝のこと。

 連絡部隊ということで、全員が騎馬で、替え馬もつけられていた。

 少しだけ焦る気持ちをそのままに、快速を飛ばして「南の大道」に入ったわけだが。


 不安が、的中した。

 いや、俺が抱いていた不安とは違う形で、穏やかならざる思いをさせられた。

 

 これか、ジョーさん。

 あなたが俺達に見せたかったのは。


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