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第八十七話 もとの水にあらず その5 (R15)

 

 翌、8月13日。

 二日酔いに痛む頭を抱えた若手を含む全員が、無事浅川沿いの宿営地に到着した。

 軍人たるもの、二日酔いでも真夏でも、脱水症状で脱落することなど許されないのである。

 いや、無事だったのは、聞かされた話が引き起こした胃もたれ胸焼けの方が重かったから、かもしれない。


 ともかく、日が傾き始める頃に開かれた会議には、クリアな頭で臨むことができた。

 ダイゼンの街までコース家の使者を送っていたミッテランも、参加している。 


 そのミッテランが、真っ赤になって、震えていた。

 「この地図は!上流に堰が?そんな!まさか!」


 指揮能力はひどいものだと言われているミッテラン。

 それでも、地図の意味するところが分かるぐらいには、彼も「武人」であった。


 「ヒロ。隠れてなさい。」

 アリエルの指示に従って、テーブルを囲んで立つ背の高い幹部衆の後ろに、脇の壁側に、歩を移す。


 「何かの間違いです!いや、地図が捏造ということもある!それほど戦にしたいか!手柄が欲しいか!誰だこの地図を描いたのは!」


 なるほど、そういう発想をしていくわけか。政治家は。

 さすがアリエル、予想済みってわけね。


 ミッテランが、左右を見回した。

 一瞬で見抜けなければ、俺にケチをつけることができなければ、負けである。


 「静まりなさい。あなたを非難するつもりはありません。この責めはコース家に負わせます。」

 

 フィリアが、助け舟を出した。

 そうだ。ミッテランは、メル家のために良かれと思って交渉に臨んだのだ。

 その一点を疑う者は、誰もいない。だからフィリアも、咎めまいとしている。


 それなのに、ミッテランは、まだ言い訳をしている。

 「コース家は、恭順の姿勢を示しています。間違いありません。」


 ああ、そうか。

 ミッテランは、「コーススクール」になってしまったのか。

 外交窓口として交渉を重ねる内に、相手に親しみすぎて、ついつい好意的に解釈してしまう、「スクール」に。

 政治家肌のミッテランにして、これか。


 「ミッテラン副隊長。私達は、所詮武家だったということなのでしょう。政治や外交で、どれほどうまく立ち回ったとしても、小さな土豪にすら足元を見られてしまう。本分を発揮すべき時が来たのです。」

 

 「お待ちください!この地図をつきつければ、さらに有利に交渉を進められます!」


 「ミッテラン。情報を渡すと言うのか。それは利敵行為だぞ?」


 アレックス様が、冷ややかに問うた。



 「ヒロ殿!上座へ急がれよ!千早に目配せを!」


 モリー老の指示に、慌てて従った。その声が、いつになく切迫していたから。

 千早も、何事かに気づいたようだ。するするとこちらに近づいて来る。

 


 「利敵行為ですと?そもそもコース家は敵ではない!あなたが私に何の指図を……」


 

 身体が動いていた。

 フィリアの元へと、駆ける。

 千早も大きく跳躍する。


 アレックス様の腕が、伸びるのを感じたから。


 槍の石突が、ミッテランの喉もとに吸い込まれていく。

 頚椎がへし折られる音が聞こえた。

 

 その一瞬後には、俺と千早は、フィリアの左右を固めていた。

 

 思わず一歩退いた、幹部衆。

 それ以上動こうとする者には、殺気と霊気を飛ばす。

 騒がせない。武器を抜かせない。

 それが、フィリアの側仕えとしての、俺と千早の仕事だ。

 それを教えてくれたのは、モリー老だ。そうか、こうして部下を成敗したことが……。

 

 などと思う余裕は、すぐに失われた。

 俺の想像を超える、千早の覚悟を見たせいで。


 俺はフィリアの左側、壁に近い側に立ったのだが、千早は中央側に立っていた。

 俺に背を向け、フィリアをかばうようにして。


 アレックス様のほうを向いていたのだ。それも、満身に気魄を込めて。


 霊気を纏った千早の背中を見て、気づいた。

 これがもしクーデター、乗っ取りであったなら。アレックス様が次に狙うのは、フィリアの命であるということに。

 婿殿と武家との間には、常にその緊張感があるということを、失念していた。


 驚きに見開かれた俺の目に、真壁先生の大きな体が映り込んだ。

 武術師範、兼、アレックス様の護衛でもある、真壁先生が。


 刀に手をかけることもなく、ふところ手のまま、ゆったりと前に出てくる。

 千早とアレックス様の間に立つ。

 そしてこちらに一切目を向けることなく、背中を見せた。


 俺がフィリアにしているように、「半身は前方を、半身は護衛対象であるアレックス様を見る」という、基本どおりの姿勢ではあろう。

 だが、その意味するところは、理解できる。

 「アレックス様は、フィリアを害する意図は持っていない。たとえ間違いがあっても、俺が止める。」そう言っているのだ。

 真壁先生の背中を見て、千早も、身を翻した。アレックス様に背を見せ、俺と向かい合う側に。


 

 ミッテランの首は、ありえない曲がり方をしていた。真後ろに顔を見せている。

 そちらに立っていた幹部衆は、いたたまれなくなって、左右に場を移している。

 

 場が落ち着きかけたところで、イーサンが立ち上がった。

 テーブルクロスをすっと引き、ミッテランに被せる。


 メル家の幹部衆が、眉をしかめる。

 その顔には、「してやられた」の文字が浮かんでいた。

 武術の腕前では、彼らには及ばぬイーサンだが、武人の心得において、勝利を収めたのだ。

 いや、武人も貴族もない。自然に現れた惻隠の情。これをこそ人間性と言うのであろう。

  

 セルジュとフリッツが続く。

 ミッテランの体を、部屋の片隅に寝かせる。

 二番煎じのようで恥ずかしいかもしれないが、それをしないようでは、恥の上塗りだから。


 


 「この責めは、コース家に負わせます。」

 

 沈黙が重くのしかかる中、フィリアが、再びその言葉を口にした。


 ミッテランの幽霊が、まだあたふたと言い訳をしている。

 その旨フィリアに耳打ちする。


 「ミッテランの罪はその一身に留め、所領は一族に相続させます。私刑は許しません。」


 悲しげな顔をしていたミッテランの幽霊が、その言葉を受けて瞑目する。

 フィリアに一礼を施して、散っていった。

 霊能ある者みな、その気配を感じ取ったところで、アレックス様が声を励ました。


 「コース家とは、戦うと決まった。軍議に入ろう。諸君の意見を聞かせてほしい。」


 

 先頭切って、ダミアンが挙手した。許可を得て、発言する。


 「堰を逆用しましょう。敵をおびき寄せて押し流せば、一兵も損せずして敵の兵力を削れます。」


 場の空気は、重いままであった。

 いや、重い「まま」と言うのは、少し不適切かも知れない。

 メルの幹部衆は、みな優れた軍人である。仲間であるミッテランの死にいたたまれない思いをしたとしても、人死にに、死体に、ショックを受けるということはない。

 「軍議だ」のひと言がかかれば、スパッと気分を切り替えることができる。 


 その切り替わった空気が、「改めて重くなった」と評すべきなのであろう。

 ダミアンの発言によって。


 敵がこちらを押し流すつもりでいた堰を、逆用する。

 効率的だし、痛快だ。

 誰だって、思いついてはいた。

 が、それを「痛快だ」と思うのは、どこか下品な気もするのである。

 

 俺が思い出していたのは、アサヒ家の郎党、死刑執行人の言葉。

 「嫌になりますぜ。ぶるぶる震えているヤツの首に、斧を振り下ろすなんて。……俺が実際に斧を振り回すのは、無抵抗のヤツが相手。」

 

 またあるいは、いつだったか、日本にいた頃に聞いた、フランスだかの軍人の言葉。

 「無人機による攻撃は、卑怯だ。」

 

 民間人誤爆の話ではなかったと思う。「有人戦闘機や有人の戦車相手に、無人戦闘機で戦うのは卑怯だ」と言っていたのだ。

 聞いた時には、なぜだか分からなかった。「なにいってだこいつ」状態であった。

 今さら何を。ミサイルは?爆撃は?お前はそれを卑怯だとは言わないじゃないか。太平洋の島で水爆実験やってたのはお前らだろ。


 だけど今は、その軍人の気持ちが、少し分かり始めてきたような気がする。

 自分の手を汚さずに、自分もやられるかもしれないというリスクを負わずに、安全なところから「ポチッとな」で済ませるやり方には、抵抗を感じるようになっている。


 俺が、いや、俺達全員がコース家に怒りを覚えたのも、「見え透いた罠に嵌めようとしたから」というところもあるとは思うが、彼らのやり口を、本能的に「卑怯だ」と感じたからではないだろうか。


 

 案の定、幹部の一人が、挙手の後に発言した。


 「私も、敵の卑劣さには怒りを覚えております。しかし、何も我々までそれに付き合う必要はありますまい。現有戦力だけでもコース家の5倍はあるでしょう。まずは目の前のダイゼンを陥落させ、降伏を勧告すれば十分では?聞かぬようであれば、進撃です。」


 「同感です。」


 「堰を決壊させる策には、どうやっておびき寄せるかという問題もある。巧遅になってしまうのでは?」


 「ダグダ諸豪に対しては、圧倒的な力の差を見せ付けておくべきかと。」

 

 この流れなら、俺が発言することもないかな。

 そう思っていたところ、再反論が出た。

 意外なことに、セルジュから。

 いや、反論したことが意外だったのではない。その発言内容が意外だったのだ。


 「これは戦争です。私達は武家、その本質はヤクザ者であり、卑怯下劣こそが我らの本分。勝利が全てを正当化することを忘れてはなりません。……父の受け売りですが。」


 わが意を得たりと、ジョーも口を開く。

 「そうですよ。どういう手を使うにしても、殺すという結果に変わりは無い。だったら、自分が死なずに済む策を採ってくれるほうが、兵隊としちゃあありがたい。兵の損耗を防げるのは、お偉方にとってもありがたい話でしょ?それに野戦・城攻めとなれば、上層部に人死にが出ないとも限りませんよ?戦は水物です。」


 二人の発言で、潮目が変わった。


 「ジョーよ、我らは死を恐れるものではないぞ?」


 「分かっておりますとも。ただ、こんなつまらぬ戦で間違いがあってはと、それだけですよ。」


 「まあ、そういきり立つな。安い挑発に乗せられてどうする。だが、モンテスキュー君の言葉は、効いたな。ここのところ戦が少なく、我らの勘も鈍っていたか。」

 

 「グリム副隊長も含め、若者には我らがたるんだオッサンに見えていることでしょう。これではミッテランと変わりませんな。」

 

 「さよう、せっかくの演習です。若い者に思い切りやらせてみますか。」


 

 セルジュの言うとおりだ。あるいは、ジョーも、アレックス様も、常々口にしているところだ。

 これは戦争、きれいごとではない。悪辣にならなければ、負けるだけ。死ぬのは自分と、大切な仲間達。

 仲間が大切なら、それこそ「できるだけ小さな犠牲で大きな戦果を」と考えるべきだ。ダミアンの言うことは正しい。

 郎党衆の発言、「兵力が5倍あるのだから正攻法で良い。巧遅よりも拙速。」というのも正しくはあるが、それは「堅実」に過ぎるかもしれない。街攻めを行うのでは、むしろそのほうが「巧遅」になってしまう恐れもある。


 やはり、俺の感傷は、ただの甘えだったのか?

 いや、そもそも、卑怯がいけないというのは、感傷に過ぎないのか?

 そうじゃない、何かが違う。

 なんで、戦争で卑怯がいけないのか。


 そうだ、第一次大戦だ。毒ガスで問題になったんだった。


 卑怯な手は、お互いに自重しないと、エスカレートする。一度使ってしまえば、歯止めが効かない。

 この世界には国連安保理……要は、大国による圧倒的な暴力による制裁も、国際法も、ハーグだったっけ?も、無いのだから。禁止する手立てが無い。

 紳士協定によるしかないのだ。お互いを騎士と、武人と認め合うことで、防ぐしか無いのだ。


 「発言をお許しください。」

 

 空気を読まずに、声を挙げてしまった。

 日本にいた頃には、考えられないことをした。

 ああほら、悪目立ちしてる。ちょっと後悔したけど、仕方無い。言わなくては。


 「戦は甘いものではない、効率が大切で、勝利こそが全て。そのことには、異論はありません。しかし、長い目で見た場合どうでしょう。この戦の顛末は、必ず北賊にも伝わります。彼らにいらぬ警戒心を抱かせ、『何でもありだ』と思わせてしまうのは、得策ではないと思料いたします。」


 

 反論の声が上がった。

 「ずいぶんとゆとりのある発想では?まずは目の前の現実を片付けなくてはなりますまい。」

 

 痛いところを突かれた。

 俺の発言、そして背景にある「思想」(?)は、正しい。

 セルジュやダミアンの考えが正しいのと同じくらいに、間違っていない。 

 

 だけど、形のない物、思想だって、一種の異世界チートだったんだ。

 そのことを忘れていた。

 

 どう言い繕ったって、現場を知らぬ、上から目線……とは言わないが、現実から遊離した発想になってしまう。そりゃそうだ、異世界の思想だもの。


 これまで悩んでいたのに。せっかく李老師に認めてもらえてたのに。

 クラブ「夜光杯」のカトレアが俺に向けた非難の目を、思い出す。

 彼女に正面切って向かい合うことは、しばらくできそうにない。そもそも行ける甲斐性もない……なんてことを考えるのは、現実逃避だな。


  

 「ヒロ君。いや、カレワラ十騎長。まさか敵兵に情けを?」

 

 ジョーの声が、冷たく耳を打った。 

 現実に即した人間には、そう思われても仕方無い。

 そうじゃない。だけど、そう思われても仕方無い。


 「決してそのようなことは!戦である以上、敵兵を殺すのは当然です。私はファンゾでも指揮を取りました。メル家の寄騎であるファンゾ百人衆が相手であっても、敵に回った際には容赦をした覚えはありません!」


 弁明をせざるを得ない。

 利敵行為に対する処分から始まったこの軍議において、弁明をした。

 議論の主潮に反論することは、もうできない。



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