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第八十七話 もとの水にあらず その3


 本隊が滞在しているダグダ新庁舎に到着したのは、日が翳り出す前のこと。

 本陣とされている、中央の豪奢なテント前で、取次ぎを頼む。

 中とのやりとりはあったが、すんなりと通してもらえた。

 

 幹部も、理解し始めているのだ。

 この薄い顔の頼りない少年が、見た目にそぐわぬえげつない腕の持ち主で、フィリアの信用を得た側近であるということを。

 

 テントの中にある一室から、声が聞こえてきた。

 これは言い忘れていたことだが……。

 テントと言っても、家族がごろりと横になって星を眺める、三角形のアレではない。

 オスマントルコやモンゴル帝国の皇帝が持ち運んでいたような、移動式の別荘のようなものと思っていただきたい。


 ともかく、声が漏れてくるその部屋に近づくにつれ、一旦は収まっていた怒りと苛立ちの感情が、再びせり上がってきた。

 コース家からの使者が来ていたのだ。


 部屋の前に立つ衛兵には、唇に指を立てて見せる。

 足音を立てずに、部屋へと滑り込む。

 正面のフィリアが、ちらりと俺に目をくれた。

 

 使者は、俺に背を見せている。滔々と語っている。

 「我が主には、恭順の意思があります。ぜひ、(かみ)……奥まった地域ですが、そちらにあるウジョウの街においでいただきたいと、申しております。もちろん、軍隊もご一緒に来ていただいて構いません。歓迎いたします。」


 ミッテランが、言葉を添えた。

 「コース家にも、一片の意地やプライドというものがあります。呼びつけられて恭順するのでは、面目が丸つぶれです。将軍閣下がお出向きの労を取ったとしても、安いものではないかと……。いえ、フィリア様のご来駕までは、彼らも要求しておりません。この私が、させるものではありません。」


 アレックス様の面目は「安いもの」。しかしフィリアの面目は「神聖不可侵」。

 郎党の中でも有力な一族の長ともなれば、ここまでの態度に出られるものか。

 

 「使者殿。話し合って後、こちらから返答しよう。」

 「ええ、ご足労でした。ミッテラン、おもてなしとお見送りを。」


 アレックス様とフィリアが、優雅な対応を見せる。


 「色よいお返事がいただけるものと、信じております。」

 「何もご心配はいりませんぞ。さあ、お使者どの、こちらへ……。」


 コース家の使者とミッテランが退出してゆく。

 すれ違う瞬間、場に相応しい礼を施しはした、つもりだ。

 

 しかし、アレックス様とフィリアが、少しいぶかしげにこちらを見ている。

 つまりは、そういう表情をしていたのか?俺は。


 見るとも無く、室内を観る。

 コース家との折衝に当たっている者は、いない。

 

 「人払いをする必要があるのですか?」

   

 そのフィリアの言葉に、居並ぶ幹部たちが、嫌な顔を見せた。

 「いくら側近とは言え、メル家の幹部を差し置くのか?図に乗ってはいないか?フィリア様、そこまでのご親交なのか?それともまさか……」といった感情が、うごめいている。

 

 アレックス様が、闘争心に満ちた笑顔を見せた。

 ああ、この人が俺の立場にあったならば、「人払いをお願いします」と宣言するのであろう。

 美しい顔をフィリアに向けて。

 下世話な想像をしたこと自体を恥じ入らせるほどの、貴族的な優雅さで。


 だが、俺にはできない。

 空気を読んでしまう、元日本人の俺には。

 

 「いえ、必要ありません。」


 そう言えばそう言ったで、難癖をつける者が出る。


 「人払いの必要は無いのかね。重要な問題でないならば、持ち場を離れて報告に戻ることはないと思うが、カレワラ十騎……長?……殿?」


 無視した。

 「言いたきゃ言え」という開き直り、いや、コース家に対する憤怒のなせる業だったかもしれない。


 川の水を堰き止めておいて、「どうぞ軍隊を連れてきてください」だと?

 良くもまあ言ったものだ。

 自分でも、気合が入っているのが分かる。


 俺の「気」に圧された男は、難癖をつけおおせなかった。

 彼だけではない。幹部衆全員の表情が引き締まる。


 フィリアとアレックス様が、満足そうな表情を見せて、頷いた。

 

 「報告を。」

  

 「浅川の水位が、不自然に低下しています。」

 それだけを、告げた。


 「豊水期なのに、か。」 


 「不自然に、ですか。」


 千早よ。想像通りだ。

 フィリアもアレックス様も、俺達と同じ顔をしている。


 幹部衆も、反応の早い遅いはあるものの、気づき始めた。

 じわじわと、同じ感情が伝染していく。


 「確証はあるのかね、カレワラ隊長?」


 せっかちな者が、勢い込んで尋ねてきた。目が血走っている。


 「ニンジャを二名、レンジャーを一名、幽霊を二体、川上へと調査に出しました。数日中に、堰のありかについての詳細な地図をお届けします。」


 「独断専行ではないかな?」 


 「軍の安全のため、必要と判断しました。」


 「咎め立てすべきではない。まさに必要な判断だ。この件については、緘口令を敷く。ミッテランには、ダイゼンの街まで使者を送らせよう。幹部ではあるが、この件は教えられない。」


 アレックス様の言葉に、全員が、頷いた。

 さすがに「武のメル家」を支える幹部衆、理解が早い。


 「ヒロ、他にこの件を知っている者は?」


 「はい。第一支隊と遊撃部隊の一部です。私、李紘、キルト、ヒュームとその従卒ハクレン。千早、マグナム、ヴァガン。以上です。緘口令を敷いてあります。」


 口外しないという点については、信用できる。

 ヴァガンにしても、「聡い」。それに口が重い彼にとって、「しゃべらずにいる」ことは、簡単な仕事なのだ。



 「どのような経緯で気づいたのか、説明をお願いします。」

 

 俺に発言を促すフィリアの目は、燃えていた。

 「自分なら気づけるのか」、「今後、何にどう目をつけていくべきなのか」。

 それは、彼女にとっても、大事な問題である。

 

 レオがこけ、マグナムが水位を目測し、ヴァガンが不自然だと首を傾げたことで、疑念が生じた。ヒュームとハクレンが、河原の石から推測の根拠を示した。

 そうした事情を俺から聞き取っている間、フィリアはずっと俯いていた。頭をフル回転させている時の癖だ。


 「自然に、風景に、敏感になる必要があるのですね。観察力を磨かなくては。」

 

 俺が話し終わるとほぼ同時に顔を上げ、そう返してきた。

 ひと言に要約・抽象化してくる。

 これぞフィリア。


 「『戦場を感じる』とはそういうことさ。だが、ひとりひとりが少しずつ気づいてくれたおかげで、明確になったな。『戦場勘』なるものの正体は、観察力であったか。」


 さらに何か言おうとするアレックス様の声は、室外からの報告に遮られた。 


 「第二支隊のモンテスキュー隊長と本隊第二大隊のグリム副隊長が、報告に参っております!」


 「あの二人は、明日が宿営地の警邏であったな?よし、諸君。今の報告は伝えるな。彼らが気づくか、あるいはまた別の何かを見つけてくるか。楽しみに待つとしようではないか。……よし!入るように!」


 アレックス様も、相変わらずですこと。

 なんだか申し訳ないような気持ちになっている俺の前で、セルジュとダミアンが報告を始めた。


 「古川を、浅川との合流地点まで探って参りました。これが渡河可能地点となります。」


 「浅川との合流地点に、やや不審があります。古川に比べ、浅川の水量があまりに少ないような……。浅川の本来の水量を踏まえて、再検討する余地があります。」


 半ば以上、気づいたようなものであった。


 済まない、セルジュ。ダミアン。

 申し訳ないような気持ちになること自体が、傲慢だったな。

 

 幹部たちが、笑顔を浮かべている。

 そりゃあそうだ。

 身内の若手も、外様の俺たちに負けじと面目を施したのだから。

 

 

 翌、8月12日。

 セルジュとダミアンは、やはり異変に気づいて馳せ返ってきた。

 部隊を、完成した浅川沿いの宿営地に残して。


 「上流を調査する必要があります。レンジャー技能に優れた者の派遣を要請いたしま……。」


 と、言いさして、テーブル上の地図に目を見張る。

  

 「この地図は、第一支隊、いえ、ヒロさんの手になるものですね。」 

 「昨日、カレワラ隊長がこちらに帰っていたのは……。」


 ガックリと肩を落としている。

 

 「ローテーションの前後、それだけの違いだ。みな、良く気づいてくれた。」

 「古川の報告も、堅実なもの。劣らぬ功績です。」


 アレックス様とフィリアからかけられた言葉に、気を取り直してはいたけれど。

 やっぱり少し、悔しそうだった。


 「明日は、宿営地に移動します。コース家にどう対応するかも、明日決めます。この地図を踏まえて、各自考えをまとめておいてください。」


 「それでは解散、と行きたいところだが。若手には一杯振舞って然るべきだな。」 

 

 「さよう心得ます、閣下。」

 「我々年長者がいては、気詰まりでしょう。」

 「私達も、閣下とフィリア様の目が届かないところで、好きにやらせてもらいます。」

 

 さあっと、潮が引くように去っていく。


 幹部連中、空気を読んだのだ。

 殊勝な意味で、ではない。

 「戦場勘」によって。

  

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