第八十七話 もとの水にあらず その2
宿営地も完成間近の、8月11日。
この日の警備担当は、我ら第一支隊と、千早率いる遊撃隊(異能者大隊)であった。
一騎当千とは言わぬまでも、ひとりが数十人分の働きをすることもあるのが、この世界の異能者。
それが百人単位でまとまっているとあれば、心強いことこの上ない。
さぞ勇ましかろう。その精猛、如何ばかりなるや……と期待していた第一支隊のメンバーだが、実際に顔を合わせてみると、やや拍子抜けするはめになった。
それはそうだ。
隊長の千早はともかく、副官がマグナムで従卒がヴァレリア。
みな庶民で、威厳というものが感じられない……と言うか、威厳を身に纏おうという意識が無い。
いやいや、俺が見慣れてしまっていて、新鮮味が感じられぬというだけのことかもしれない。
面を改め、襟を正して、見直してみる。
先頭に立つは、その驍勇知らぬ者無き千早。
左右を固めるは、雄偉なる美少年マグナムに、新進気鋭の鉄槍娘子ヴァレリア。
愛騎・グリフォンの「嘴」を背に従え。
……その手綱を取るは、太鼓腹をさすりながらあくびをしているヴァガン。
そうか、お前か。原因は。
「この暑いのに、見回りしなきゃいけないのか?街のみんなも昼寝してるぞ。」
「子供みたいなこと言うなよ、ヴァガンさん。」
「ヴァレリア、私語を慎め。」
マグナムにしては、めずらしく語気が強い。
体が大きすぎて怖がられることも多いから、努めて柔らかい態度を保つようにしてるはずなんだけど。
「カレワラ十騎長殿、遊撃隊~名、ただ今到着。以後、指揮下に入りまする。」
「了解した、千早百人隊長。以後、私が指揮を取る。……もう、私語しても構わないよ?」
「甘やかすなヒロ。ヴァレリアは軍隊ってもんがまるで分かってない。豪傑とチンピラの集まりだと思ってる。これで本当に学園の生徒かよ?何で俺がこんなのの面倒見なくちゃならないんだ。」
「フィリア殿の指示だと伝えたでござろう、マグナム殿?」
なるほど。厳しい口調は、鬼軍曹役も仰せつかったからってわけね?
大きな体と知性溢れる鋭い眼光を持つマグナムには、はまり役かもしれない。
「無理やりに『上官』の立場を経験させてしまえってことか。フィリアも考えるね。」
「のんきなこと言ってないで、頼むぜヒロ。助けてくれよ。」
「そういうことなら……セイミ君!彼女に、何か訓示をお願いする。」
「はい。お姉さん、ご挨拶が終わるまでは、私語をしてはいけません。」
「何だとこのチb」
「こちらは爵子、セイミ・ド・ウッドメル中隊長です。成人すれば伯爵閣下。失礼な発言は私が許しませんよ?ヴァレリアさん。」
「サラ!説法師なのに、うちじゃなくてそっちの隊なんだ。そっか、ミーディエの隊長かあ。」
「そうじゃないだろ!分かってんのか、ヴァレリア?失礼な発言をしたら、ウッドメルの隊員に袋叩きにされてもおかしくないんだぞ?それをサラ中隊長が、『私がぶん殴りますから、失礼があっても許してやってください』と申し出てくれてるんだ!」
「『ぶん殴りますから』ってお前!最高だよマグナム。しかし庶民なのに貴族の会話がよく分かるもんだよ。誰に仕込まれたんだ?え?」
不適切な発言に相応しい(?)不適切なジェスチャーを見せるティナの手。
そこにサラが、しっぺを叩きこんだ。
「子供の前です!控えなさい!」
「僕は子供ではありません!」
セイミがふくれっつらを見せる。
「セイミさん?い、いえ。そちらのお姉さん、ヴァレリアさんのことです。ご挨拶のマナーも知らない、子供なんです!」
「さすがに聞き捨てならないぞ、サラ……って、ああもう!凄める空気にもなりゃしないよ。何してくれてんの、ヴァガンさん!」
口を覆うこともせず、ふあ~おと、大あくびをしていた。
「まだ話終わらないのか?眠くて仕方ないぞ。」
「ヴァガン殿!」
「千早くんもマグナムくんも大変だねえ。強烈なシンパシーを感じるよ、僕は。いや、それでもこちらのヴァレリアくんは、戦場では百人力なんだろうねえ。羨ましい。」
李紘まで。
どうにもまとまらないのは、うだるような暑さのせいもあるかもしれないが。
私語を許したのは、失敗だったか、こりゃ。
「とりあえず、浅川まで巡回する。そこで少し休憩を取るから、それまで我慢しろ!」
どうなることかと思ったが、部隊のほうには規律が行き渡っていた。
千早も、問題児を自分の周りに集めていたと、そういうことのようで。
「相済まぬ。ヴァレリアもヴァガン殿も、他の大隊長の前では、かしこまっていたのでござるが。」
「なあ千早、それって、俺に威厳やしまりが無いってことか?」
「なるほど!得心いたした。さよう、悪いのはヒロ殿でござるな。」
言ってくれるよ、全く。
さすがに俺の隊は千早のところより、ずっと引き締まってるぞ?
と、そんなことを言おうとした、その矢先。
レオが、すっ転んだ。
近くを歩いていたピーターを突き飛ばし、手を伸ばした先にあったノブレスのズボンを引き下ろしながら。
やっぱり、俺の隊の方が問題あるか、こりゃ。
しかし何度目だよ、レオ。
「何事か。」
何事かは分かってるけど、こう言わなくちゃいけないのが隊長の面倒なところであって。
「い、いえ!足元が滑りやすくなっておりまして!」
「確かに滑りやすいね。河原だから仕方ないけど……。」
と、素に戻りかけていた李紘が、顔を作り直した。
「レオ貴様!……まあ良い。注意事項を洗い出した功績に免じてやってください、大隊長殿。」
「了解した。……第一支隊各員に告ぐ!足元が滑りやすくなっているので、注意するように!」
「遊撃隊に告ぐ!足元に注意せよ!」
「ずいぶん広い河原なんだな。リージョン・森とはえらい違いだ。」
太鼓腹を抱えるヴァガンの足取りは、意外にも軽かった。
重心が低く(短足とも言う)がに股だから……いや、野生児だったからである。
そういうことにしておこう。
「確かに、河原が広いな。おっ?あれが浅川か。確かに、見るからに浅いぜ、あれは。河原の広さの割りに、随分と細いし。」
「分かるのか?マグナム。」
「カキサワカ近くにあった俺の村は、川沿いだったからな。ガキの頃は散々遊んだから、どこが深くて浅いか、そういうのは見りゃ分かるさ。徒渉可能地点を探すまでもないぞ、あれなら。」
「やっぱマグナムは軍人向きなんだな。川を見て、最初に渡河のことを考えるんだから。フィリアが尻を叩くのも分かるよ。……しかし、そんな浅い川で、よく水運が成り立つよなあ。」
「ヒロはそっちを見るわけか。……暑いし、渇水期なんだろ、きっと?水運は冬にやってるんじゃないか?」
「何言ってんだ、マグナム?6月の長雨があるから、夏の川には水が多いはずだぞ?上流のリージョン・森から流れてくるんだから、いくら暑くても涸れるわけないだろ。……あれ?でも流れは細いし、勢いがないな。」
「おかしい?不自然だと?そう言いたいのか、ヴァガン。」
「なるほど。ヒロ殿、お話が。……ヴァガン殿、マグナム殿。お手柄やも知れぬ。いや、レオ殿もお手柄にござるな。」
「ヒューム?おい、まさか!」
「ご想像通りにござるよ、ヒロ殿。霞の里は、湖沼地帯。水を使う忍術は得意にて。……ハクレン!」
「はっ。河原が滑りやすいのは、苔や水草などが、乾ききっていないが故にござる。この流れは、急速に細くなったものと見受けられまする。」
「上流で、堰きとめていると?」
「おそらくは。確認は必要でござるがな、千早殿。」
「水運で経済を回す家が、川を堰き止める理由は……。」
「それこそ軍事目的以外ないだろうぜ、ヒロ?……おい、笑いごとじゃないだろ。」
そういうマグナムも、笑っているように見えた。
いや、全員が笑顔を見せていた。
ソフィア様そっくりの笑顔を。
「馬鹿にされたものですね」という言葉までが、耳のうちに甦る。
「ヒューム、ハクレン、キルト。行けるか?」
「いかにも『井の中の蛙』だぜ、コース家は?前にダイゼンをざっと見て回ったが、警戒が甘い。」
「相変わらず油断も隙もないヤツだぜ、キルトは。」
「確認だけしてくれればいい。急ぐ必要もない。安全第一で頼む。幽霊を一体、いや二体つけるから、地図作成はそちらに任せてくれ。巡回終了後、私は報告に戻る。」
「では、行って参る。」
3人の背が、すぐと小さくなっていった。
「アレックス様とフィリア殿の反応が恐ろしうござるな。いや、楽しみにござると言うべきか。」
そうだな、千早。
ああ、全くもってそのとおりだ。