第八十六話 鞘当て その6
王国は、中世~近世的な社会である。
こと軍事的には、「火器が存在しない社会」と表現すれば良いだろうか。
それすなわち、「個人的武勇が意味を持つ社会」と表現することもできるわけで。
つまるところ、個人の演武も、軍事演習の堂々たる一部門なのである。
今回は示威が目的であるから、腕前を披露できるのは、一定以上のレベルの者に限られる。
いわば模範演武。メルの郎党衆は、ダグダ諸豪などそっちのけで、注目していた。
郎党衆は、お互いの腕をよく知っている。
だがそれは、本領・王都・新都、それぞれの地域内部での「格付け」に過ぎない。他地域の若者がどれぐらい「使う」のかについては、知る術がない。
ウチの誰それより、腕は上か下か。若者達はみな、興味津々である。
さらには一種のお国自慢のような感情も、頭をもたげる。
そういうわけで、会場は、妙な熱気に包まれていた。ただでさえ8月の盆地は暑苦しいというのに。
なんだろう、この感じ。懐かしいなあ。
思い出した。運動会だ。あるいは、部活の対外試合だ。それの大げさなやつだ。
そういや、こっちの学園には、運動会がないなあ。
まあ、トンデモ人間と普通の人間が、同じ大会に参加できる訳もないか。
……「選手」として喝采を浴びながら、俺はそんなことを考えていた。
なお、我らが第一支隊からは、俺と、ノブレスと、李紘が選ばれていた。
サラには、万一の怪我すらあってはならないし。ヒュームは、選ばれても辞退するだろう。そういう政治的な事情は、酌まれていたと思う。
学園の生徒達は、この選出を当然のこととして受け止めていたが。
ミーディエ中隊とウッドメル中隊、なかんずく李紘中隊は、驚きの表情を見せていた。
「え、ノブレス?」
だよねえ。
今回、ノブレスを副官としてみて、気づいたことがある。
ボウガンの腕が無ければ、彼は限りなくレオに近い。
これまでのところ、なんでこんなヤツが大隊長の副官なのか、理解に苦しむという顔を皆が見せていた。
李紘中隊ときたら、さらにこれだ。
「え!?中隊長殿、それほどの腕前だったんすか?」
お前ら!直属の上官をなんだと思ってるんだ。
李紘の弓の腕前は、ノブレスのせいで目立たないだけで、実はかなりのものである。
レンジャーらしく、携帯に便利な小ぶりの弓……いわゆる「半弓」というのであろうか、それよりももっと小さく見えるが……ともかく、そういう弓を得意としている。
彼の得意は、ノブレスのような精密射撃ではない。
連続した速射であり、しかもそれを、「大まかな意味で、まとめてくる。対象を外さない。」というタイプなのだ。
右に左に走路を変えつつ、必死に逃げる敵がいるとする。
ノブレスならば、一発で膝を射抜くであろう。
李紘であれば、次々と矢を射掛ける。
一射めは肩に、二射めは脚に、三射めは腰に……という調子で、ハリネズミを作り上げてしまうのだ。
ピンポイントで当たらないことは、一切気にしない。
「とりあえず当たった。これで逃げられないよ、たぶん。」とか言いながら、のどかな笑顔を見せる。それが李紘。
その李紘が、持てる腕前を遺憾なく発揮した。
次々と矢をつがえては、放つ。
一矢射る度に、どこから取り出しているのやら、次の矢が既に手の内に現れる。
そして放たれた矢は、その全てが、同心円が描かれた的へと吸い込まれて行く。
カカカカカッと、何だかおかしな連続音を立てながら。
絵面としては、非常に地味。
ど真ん中に当たる矢の数も少ない。
しかし、ひとセットを終えて的を変えても乱れることなく、あるいは左右から投げられてくるフリスビーのようなものに次々と矢を命中させる様子が披露されるうちに、会場がじわじわと熱を帯び始める。
分かるのだ。彼らも玄人だからこそ、その技術の高さが。
何十本射たであろうか。その全てを「大まかに」的に当てた李紘には、大歓声が浴びせられた。
「ごめんね。やりにくいだろうけど……って、ノブレス君には言う必要がないんだよねえ。」
今でこそ「鬼軍曹」として振舞っている李紘が、久しぶりに呑気者の素顔を見せた。
俺やノブレスの前なら、「素」に返ることもできるのであろう。
アホどもを引率するストレスから解放されて、ずいぶんスッキリしているように見える。
李紘は、「的を複数用意してもらい、さらにフリスビーを投げてもらう」という準備を頼んでいた。
対するノブレスは、「精密射撃だと分かるなら、何でもいいですけど。」ときたものだ。
呑気にもほどがある。そんな大雑把なヤツが、どうして精密射撃ができるのか、不思議で仕方無い。
「それでは、『頭の上に果物』で行くか。問題は、誰の頭に乗せるかだが。ノブレスの腕を知っている者でなければいかぬな。恐ろしくて震えるようでは、的にもならぬ。」
という、アレックス様の言葉を受けたノブレス。
学園の生徒に頼み始めたのだが、これがなかなかうまく行かない。
「ノブレスの腕を知ってはいるけど、怖いものは怖い」のである。
「何だよスヌーク。普段は偉そうなくせに。」
必要以上に「貴族らしさ」を意識して、常日ごろ高慢に振舞うスヌークに対して、ノブレスが辛辣な口をきく。
「うるさい!なんで僕がお前の引き立て役にならなくちゃいけないんだ!」
「怖い」と言わずに要求を断るスヌーク。そういうとこ、お前は貴族だ。間違いない。
「なら、俺が出るぞ。いちおう中隊を預かっているから遠慮したけど、他にいないなら。」
「おおジャック、心の友よ……」
と、ノブレスがジャックの口癖を真似たところで、「待った」がかかった。
「いけません!中隊長の責任を考えてください。それにどうしても、的は引き立て役。私が出ます。」
「馬鹿を言うんじゃない!万一があったらどうする!」
「絶対に大丈夫だと信じているから申し出たのでしょう、お兄さま?武人ではない私ならば、引き立て役になっても問題はありませんし。」
クリスティーネであった。
スヌークが吐露した感情は、あながち逃げ口上というわけでもない。
意地とメンツの王国社会。的になるだけで演武に参加できないのでは、武人としての「格」に影響する。ノブレスの「下」だと、自分から認めてしまうようなものなのだ。
ジャックの申し出には、好意や友情という要素もあるが……。中隊長として、別の形での「格付け・評価」を受け取り済みだからという理由も、ないわけではない。
「ノブレスさんの腕は知っています。それに私の方が、お兄さまよりは華があるでしょう?」
「ダメだ!認めん!」
「ゴードン家の名を挙げるためです!嫁入りのためには、評判が必要なのよ?私にとってもチャンスなの!」
「済まん。兄ちゃんが頼りないせいで……。」
父親の代で、評判を落としたゴードン家。
サラに言わせれば、それは「ミーディエの歪みをゴードンに押し付けた」からであって、ジャックの親父さんには、まして兄妹には何の責任もないのだが。
現実問題として、家名に傷を負っていることもまた、確かであって。
その傷は、ジャックの出世だけでなく、クリスティーネの縁談にも、影を落としているのだ。
「お兄さま、それ以上はダメ。」
前に出たクリスティーネが、黒目を小さく動かす。
その先には、下を向いているサラがいた。
これ以上の愚痴は、ミーディエとサラに対する非難となってしまう。
「絶対に安全なのに、『勇敢な少女だ』って評判が得られるんだから!乗らない手はない。悪いわね、皆さん。」
そしていま、クリスティーネは会場入りしている。美しく着飾って。
兄・ジャックに似ている……といっては失礼にあたるかもしれないが。ともかく、しっかりとした体格の彼女は、ドレス姿がよく映える。
果汁で頭や顔を汚さぬようにと被ったベールがまた、「夜目遠目笠の内」効果をもたらし、会場にざわめきを呼ぶ。明るくて健康的な普段のクリスティーネとは、随分と雰囲気が異なっていた。
右手に杖を携え、左手に果物を持って、しずしずと歩を進めるクリスティーネ。
会場の端に到達するや、杖を地面に突き立てた。
テーブルに、袂から取り出した扇を広げて固定した。
そして自らは、用意されていた台の上に登る。
注目を十分に集めたところで、控えめに右手を差し伸べる。
揃えられたその指先は、杖に向けられていた。
三拍の後。
杖の頭に飾られていた星が、射落とされた。
会場がどよめく。
同じく控えめに、クリスティーネが左手を差し伸べる。
数拍を待たず、扇の中心に穴が開いた。
騒ぎ声が大きくなる。
クリスティーネが、果物……夏みかんのようなそれを、ゆっくりと両手で持ち上げた。
冠をかぶるかのように捧げ持ち、頭上に掲げ、乗せる。
各所から上がった悲鳴に応ずるかのようにフィリアが立ち上がり、片手を軽く挙げる。
その手を始点として、観客に沈黙のウェーブが広がり。
ものの十秒と経たぬ内に、会場は静寂に包まれた。
果物を頭に固定したクリスティーネが、姿勢を正し、動かなくなった。
両手を胸の前で組む。
合図を見たノブレスが、無造作にボウガンの引鉄に指をかけ、引く。
クリスティーネの足元に、果物が転がった。何事も無かったかのように。
会場が興奮に爆発する中、クリスティーネが再びゆっくりと会場を縦断し、正面にしつらえられたフィリアの席へと挨拶に向かう。
お立ち台から振り返ったクリスティーネに、大歓声が浴びせられた。
フィリアに促されたノブレスも、ボウガンを手に立ち上がる。
「射手は、ノブレス・ノービス!そして勇敢なる淑女、クリスティーネ・ゴードン!」
見事、してのけたのだ。