第八話 おとな その3
その晩は、なかなか寝付けなかった。
かりに、あの子供の霊を、死霊術によって使役したとしても、根本的な解決にはならない。
子供は子供のまま。母親に会わせても、何ができるわけでもない。
あの母親は、霊の影響を受けやすい体質のようだ。そばに子供の霊がいるのでは、いつまでも体調が回復しないだろう。
そうしてみると、死霊術とは、何のためにあるのか。
未練など、果たさなくても良いではないか。浄霊術や説法によって、なるべく早く「天に帰って」もらうか、「輪廻の輪に還って」もらうか。そうすれば良いではないか。その方が理にかなっているような気もする。
フィリアや千早がイラつくのも納得がいく。
つらつらとそんなことを考えていた。やはり眠れない。
外の風に当たりながら、スッキリしてくることとする。
村の外れに立ち、水分を体から排出していると、何やら、やけに臭う。
ふと水分の行き先を見ると…。
黒いかたまり。光るものが二つ。
一瞬、縮こまる。しかし、出ている物は止まらない。
ギャー!!
悲鳴を上げ、縮こまったまま、出ているままに逃げ出した。
粗相を気にしている場合ではない。
向こうの方が、一瞬先に気づいていたのだろう。
黒いかたまりが大きく伸び上がり、こちらに向かってくるかと思ったその時。
白いかたまりが、黒いかたまりにぶつかった。
「いいぞ!シロ!じゃなかった、ジロウ!やっつけろ!」
声に励まされたのか、ジロウは大暴れしている。
余裕ができたので、さらに声援を送りながら距離を取る。しまうべきものをしまいつつ。
俺の悲鳴とヒグマ(「はぐれ」の「大足」だったか)の叫び声に、山の民がテントから飛び出してくる。
不意打ちに失敗した「はぐれ」は、ほうほうの体で逃げていった。
事情を説明した。
「ヒロ、ありがとう!よく気づいてくれた!」
「いや、ジロウのおかげだよ。ほら、そこにいる。」
「それにしても、あいつに、ひっかけてやったのか。ハハハハハ、最高だ!」
「全く肝が太い!」
襲撃を免れた、という安堵。そして、霊体であってもジロウが帰ってきた、という喜び。
みんな、大声で泣き笑いしていた。
フィリアと千早だが。さすがに冷静であった。近づいてこない。
「ヒロさん。」
「服は必ず洗うでござるよ。」
夜が明けた。
テントの外に、ジロウがいた。しっぽを振っている。
懐いてしまったのか…ん、いや、契約が成立しているようだ。感覚的に分かる。
「やっつけろ!」と声をかけたことで、「はぐれ」を倒すまでは主と認める、主になるという契約が成立したのだろう。
ハンスにも紹介した。
「前から知っているだろうけれど、犬のジロウ。こっちがハンス。お互い仲良くやってくれ。」
ジロウがハンスにじゃれつき、ウレションをした。やはりタロウの兄弟だ。
「ぎゃあ、あっち行け!」
霊体どうしは、干渉できる。ザマアミロ。
山の民は、覚悟を決めたようだ。
ここで「はぐれ」を倒すと。
体調を崩していた「黒猿」の奥さんも回復し、怪我をしていた「大猪」も、留守を預けることができるぐらいには元気になった。後顧の憂いは無い。
そして、この火山は孤立峰である。山脈であれば、尾根伝いに逃げられてしまったりすることもあるが、孤立峰では逃げ場が限られる。熟練の狩人である山の民であれば、追い詰めることは十分に可能だ。
千早が申し出た。
「某も狩に加えていただきたい。」
フィリアも言う。
「お役に立てると思います。」
山の民も、「大猪」の離脱によって、やや人手不足になっていることは確かであった。
説法師は力強く、浄霊師は気配に敏感だ。狩にはもってこいの人材とも言える。
それでも、千早もフィリアもまだ13歳。狩の経験も無い。
「鷹の翼」は、初めは断った。
しかし、二人は食い下がる。やれる、と考えているのだ。自分の力量に自信もあるのだろう。それだけのものを、実際に持ってもいる。
いや、それだけではない。
義務を果たす、ということか。
この国、この世界では、霊能力者は大きな期待を背負っているのだろう。
「俺も、加えて欲しい。」
遅ればせながら、申し出た。
身体能力は平凡、必殺技も無い。ただ、狩猟霊犬・ジロウを使役できるのだし、ハンスだって頭数ぐらいにはなる。いちおう三人分の戦力なのだ。
目を背けるという選択をすることは、できなかった。
「ヒロが加わってくれるなら、安心だ。二人にも参加してもらおう。」
「鷹の翼」は言う。
随分と俺を買っているようだけど……。二人の方がよっぽど戦力になるんじゃ??
「フィリア、千早、約束して欲しい。お前たちの班のリーダーは、ヒロだ。ヒロの指示に従え。それが守れるならば、参加をお願いする。」
「はあ?」
三人が三人とも、耳を疑った。
「ヒロは、おとなだ。お前たちは、力はあるが、子供だ。指示を出せるのは、ヒロしかいない。」
フィリアは、特に納得がいっていない様子だ。
分からないでもない。荒事となれば、フィリアは、典型的な後衛タイプ。ポジション的にも、経験的にも、指示を出すことには慣れているだろう。
ことが荒事でなくても、彼女が受けてきたのは、どう考えてみても、リーダーとなるための良質な教育だ。指示を出す心構え・訓練はひと一倍受けてきているはずだ。教育以上の何かも、常々感じさせられてきた。
「昨日のことを思い出してほしい。」
そう、「鷹の翼」は言う。浄化の件だ。
「お前たち二人は、義務を果たそうとした。立派な行いだ。……だが、お前たちには、それしか見えていなかった。幼子を浄化することへのためらい、説法や浄化を行う者への配慮。浄化を終えて後、二人に即座に詫びをいれたのもヒロだ。」
それだけではない。
「ヒロが、テントの中で声を絞っていたのに気づいたか?隣にいる母親に聞かせまいとしていた。帰り際、彼女の状態を確認していたのもヒロだけだ。息子を完全に失った『黒猿』を気遣っていたのも、ヒロだ。」
そう言えば、クマロイ村でも、トマスを浄化した直後だけは、いつもよりフィリアの気が回っていなかった。
説法や浄霊は、それだけ神経を使うのだろう。集中しなければできない作業なのだろう。
「鷹の翼」の発言は、やや酷であるように感じられた。
「俺たちは、一度痛い目を見ている。『はぐれ』を追いかけたとき、追いかけることにばかり目が行き、脇が甘くなった。その結果が、『大猪』の怪我だ。『はぐれ』を相手にする際に必要なのは、広い視野だ。一直線に迫る強さよりも、臆病さだ。分かって欲しい。」
生死がかかっているとなれば、酷であっても言わなければならない。
「鷹の翼」の言っていることは、いちいちが正論であった。
大ジジ様も、口を挟んだ。
「お主らが初めて『はぐれ』に会った時、ジロウを追いかける以外のことを考えていたのは、ヒロだけだったのう。」
そう言われては、我々未熟者三人、狩のプロと賢人のお教えに従うほかは無い。